【感想・ネタバレ】女はなぜ土俵にあがれないのかのレビュー

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Posted by ブクログ

ネタバレ

借り物の集まりで、結局本当のところは田辺聖子さんの説の紹介が一番ぴったりしている。
女人禁制の行事は、女性から見れば、かわいい男の姿だという視点。
本書は、田辺聖子さんの視点を紹介してもらえたことで、価値があると思う。

著者も、そこまで割り切ればよかったのにと思う。
なにが、著者をあいまいなところで留めているのかは分からない。

相撲に対する愛着なのか、自身のなにかのプライドなのか。
きっと、本当は愛すべき人なのだろうに。

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2011年10月09日

Posted by ブクログ

「相撲は文化かスポーツか、という問題を、日本相撲協会が土俵に女性が上がることを拒絶している点から浮き彫りにする。2000年に女性初の横綱審議委員に就任した著者が、宗教的儀式としての相撲の歴史を追究し、文化論争を抜きにした男女共同参画に疑問を呈する。」
私も読んでみて、なぜ土俵に女の人が上がれないのかという疑問がわかったが、納得がいくはずもない。日本相撲教会が土俵に女性が上がることを拒絶しているなんて・・・

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2009年12月18日

Posted by ブクログ

なぜ相撲の土俵が女人禁制であるか、1350年の歴史から紐解く根拠に感服。女性である筆者が女人禁制を支持することに、女性からの攻撃を多数受けてきた女性の戦いが面白い。

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2018年08月19日

Posted by ブクログ

ネタバレ

まず、冒頭の文章の
まあ白痴(汚い言葉ごめんなさい)な
女性方がいることに驚きです。
女性の形をした人間外としか
思えませんでした。
どうか他の惑星にお帰り願いたいところです。

なんというか、
同じ女性として、恥ずかしい発言が
多々見られますね。

うちが女性云々という言葉が
嫌いなのは一種の傾向もあるのですが
どこかその平等という考えには
全て平等にはできないものがあるからです。

相撲もそうだと思いますよ。
そこが神聖な場所で、元から女性を許さない。
だからこそ、立ち入ってはいけないということ。
そこまでして意固地になって
あがりたい人の気持ちが分からない。

それだとしたら、レディースプランとか
女性専用車両が
男性側から「差別だ!!」といわれたら
どう反撃するのやら。
見ものですな(笑)

だからこそ、どこかでの妥協は大事ですよ。
ただし、せめてもですが、
著者がなっているような審議委員や
顔パスで通れる人の権利は
女性にあってもいいと思いますよ。
土俵がダメならばまわりでもせめて。

あと、男性のハレの衣装を
ちゃんとやる!!というのは賛成ですね。
…てかあの知事、上がってたのかよっ。

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2017年04月10日

Posted by ブクログ

ネタバレ

チェック項目14箇所。実生活の差別、不平等、人権侵害には断固反対するが、芸能、祭事、文化、儀礼等においては、守ってきた形態を今の時代に合わせて変える必要はないと考える。「土俵は俵で決壊された異空間である。結界内においては、結界内のルールがある。それは結界外の一般社会の法律やルールや風潮とは一致しない場合も多々あるが、差別とは別次元の話であろうと私自身は考えている」。相撲が「国技」になったのは1909年のことである、まだ100年もたっていない。「大相撲」は料金を取って客に見せるものであり、近年に生まれた興行である、一方の「相撲」は『日本書紀』などの文献にも出ている通り、起源とされる頃からのものである。武家時代には、信長、秀吉をはじめとして、相撲好きの大名は数多く、強い相撲人たちは高い禄で大名に召しかかえられた。「醜」には「醜い」という意味があり、人間が神に向かいあう上でへりくだりをしめしたとされる。そこには「改まる」という姿勢が感じられる、まだ土俵はないが、四本柱によって結界された区域は「改まってからあがるべき聖域」であることが、醜名のそんざいによっても浮かびあがる、その点からも、「四股名」ではなく、神に対してへりくだった「醜名」が正しいということがわかろう。当初、横綱とは、吉田司家が免許を出した「資格」の名称であり、最高の「地位」ではなかった、最高の「地位」になったのは、1909年のことである、初代から3代までの横綱が実在したか否か明確ではなく、確かに実在した横綱は第4代の谷風梶之助からではないかという説が根強い、谷風は1789年に横綱免許を得ている。いつから土俵に塩をまくようになったのか、これも定かではない、おそらく「清めの塩」はあ己の心身を清めるより、土俵を清める意味あいが大きいのではないか。「土俵は神が宿る場所だという意識はあります、。機械を使わないのは、神がいる場所だからでしょう」。神を土俵に迎える儀式は、18世紀半ば以降に始まったと言われている。相撲界では神送りを、1957年限りに中止していた、その頃は胴上げされるのは勝負審判の親方であったそうだが、昭和32年に胴上げで親方を落としてしまい、以来、やめていた、ところが迎えた神は送らねばならないという声が、協会の中でも大きくなり、2003年5月場所から復活した。なぜ、女性は土俵にあがってはならないのか、それは、「土俵は俵で結界された聖域」だからである、私はそう結論づけた、つまり、過去、女性は障害物として見られて、結界内に入ることができなかった、それが今に伝わっており、土俵は女人禁制なのである。

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2013年01月26日

Posted by ブクログ

ネタバレ

[ 内容 ]
相撲は古代の神事から格闘技、そして「国技」へと鮮やかな変貌を遂げながら、一三五〇余年を生き抜いてきた。
日本人の豊かな精神性が凝縮されたこの伝統を、「男女共同参画」や「グローバリズム」などという、現代の価値観で踏みにじっていいのだろうか?
誰よりも相撲を愛し、相撲研究のために大学院にまで飛び込んだ人気脚本家が、「聖域としての土俵」誕生の歴史に迫り、「土俵の女人禁制」論争に終止符を打つ。

[ 目次 ]
第1章 土俵にあがりたがる女たち
第2章 土俵は「異界」である
第3章 相撲の始まりは神の力比べ―土俵成立前史
第4章 土俵という聖域の成立
第5章 土俵を築く
第6章 「神迎え」と「神送り」
第7章 女は穢れた存在か?
第8章 角界が抱える矛盾
終章 伝統を守るということ

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2011年06月05日

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