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疲れてる時に読みたい
気負わずに読めて、でも時々ハッとする所のある、大好きなエッセイ集です。
誰しも思い当たることがあるでしょう。読後、心がじわっと暖かくなります。
Posted by ブクログ
読もう読もうとおもっていた外山先生の本。いただいたのでゆっくり読書。傷のあるリンゴは甘い。少し不足のあるほうが人間的な成長を促す。常識と思われている局面を疑いながら、それから真実を見つけていく考察はさすが。
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チェック項目13箇所。時間があると仕事の能率が悪くなる、忙しい方がよく仕事ができる。仕事が多くなれば、仕事が早くなり、案外時間が余る。休日になると目いっぱい用事をこなそうと書き込むが実現しない。書こうと思っていた気力が話したことで圧力低下し書く気がしなくなる。ウソは言ってはいけないが、ウソは人間を豊かにしてくれる。専門意識が強すぎるのはいけない・・・今までみえなかったものが見えるのは素晴らしいが、見えていたもの(常識)がわからなくなるのは問題。仕事があり多忙だと情報がたくさん入ってくるため忘却力が働く、不要なものはどんどん忘れる・・・仕事がなくなると情報は入らないのに忘却力だけ働くので必要なことを忘れてしまう。鶏口が必ずしも牛後に勝るわけではない。傷ついたりんごは甘い・・・人間も完璧な経歴よりかは回り道や失敗している人間の方が器が大きい。不合格は辛いけど、落ちる人がいるから合格者がある。推薦入試には競争が少ない。先進国は少子化で発展途上国は子沢山。昔はガキ大将がルールを教えてくれた。親としての誇りを持たせる・・・あえて甘えてみる。
Posted by ブクログ
気軽に読めたけど、面白い本でした。
人生は様々な角度から解釈することができる。
著者の逆転の発想はユニークで
いろんな見方が出来れば、人生は豊かになるかもしれない。
表題の「傷のあるリンゴ」は象徴的な話でした。
人間も完全無欠な人より
少し欠けたところのある人の方が人間らしさがあって好まれる。
でもその良さがわかるようになるには
本気で人間の価値を見ようとしなければ分からない。
そう考えたら、完璧で順風満帆なキャリアよりも
失敗を挟んだキャリアの方がどこか魅力がある気がします...
社会常識に縛られず
自分の頭で考えて生きることの大切さを忘れないようにしたい。
Posted by ブクログ
思考の整理学で有名な著者のエッセイ集。外山先生は同調圧力に流されない、良い意味のアウトローだと思う。当たり前を疑い、経験を元にかかれている文章は、どの話を読んでも得るものがあると思う。近頃の人は「人を見る目がなくなった」という話が特に印象に残った。他人と向き合い、観察し、対話する経験を積み上げなければ、人の本質など見抜くことは出来ない。それが出来ない人間が人事などやっているのだから、トラブルにならないはずがない。
Posted by ブクログ
エッセーはあまり読まないが初っ端の章「ヒマな人ほど忙しい」が面白かったので読んでみた。
全体的に、Aだと言われるが、Bとも言えまいか、ふーんという感じ。雑談集です。
エッセーは生活感のある方が好き。
Posted by ブクログ
生きるヒント…のようなエッセイである。本来、この手の本は読まな
いのだが、読書コミュニティ・サイトの献本で当選したので読んでみ
ました。
傷のあるリンゴは甘い。著者がどこかで聞いた言葉。それは人間にも
当てはまる。完璧な人間より、少々欠点のある人間の方が面白みが
あっていい。
時々、完璧主義者だと思われることがある。多大な誤解どころではない。
自慢にはならぬが、様々な失敗を重ね、今でも日々「あわわ」と思いな
がら生きている。
人間なんて皆そんなものなんだろうと思う。
本書はいろんな言葉を引きながら綴られたエッセイである。ある程度、
社会経験を積んだ人なら「うん、あるよね。こういうこと」と思うだろ
うし、これから社会へ出る人だったら「あぁ、そう考えればいいのか」
と感じるだろう。
心が疲れたれ時、ぱらぱらとページをめくって本書の中の1篇を拾い
読みしたら少し心が軽くなるかもしれない。
冒頭の「ヒマなほど忙しい」なんて、本当に分かるもの。
3日以上の休みがあると「よしっ、あの大作に挑戦しよう」と意気込んで
秘蔵(?)しておいた本を取り出すのだが、出勤日よりも読書時間が
明らかに少ないものなぁ。
「まだまだ時間があるからいいや」の罠にはまるのが、私の休日の過ごし
方である。うぅ…図星を突かれた。反省しよう。
Posted by ブクログ
う~ん、かなりビミョーかもしれない・・・・・。 恐らく KiKi がまだ高校生ぐらいの年代だったら、それなりに楽しく、ついでにちょっと驚きの目を瞠ってこのエッセイ集を読んだかもしれません。 でも、大人になって、ついでに世間の荒波にもかなり揉まれて、その中でかなり多くの経験を積んできて、ついでに人生半ばにして自分の生き方を結構ドラスティックに変えてきた人間が読むと「ふ~ん」で終わってしまう内容かなぁ・・・・・と。
一番ビミョーだと感じたのは、KiKi 自身が受験生という年代からは遥かに遠ざかり、ついでに社会人1年生という時代からもかけ離れてしまった、「隔世の感」というフィルタがかかった目を持つ世代であるということがあるせいなのかもしれないけれど、要するにその世代に特有の「勝ち・負け(≒ 受験での失敗とか、大会社への就職とか・・・・・)」が必ずしも人生の「勝ち・負け」と一緒ではないという趣旨のエッセイ(これが結構多い! 笑)で、言いたいことはわからないじゃないんだけど要するに著者は人生の「勝ち・負け」にはかなり拘っているんだなぁと感じられちゃうあたり・・・・。 しかもたちが悪いのはその人生の「勝ち・負け」とはどういうことか?という定義をちゃんとしないままにこれを語っちゃっているので、言っていることに現実味というかリアル感が乏しくて、「要するに観念論よね・・・・」と感じられちゃって何となく「ハイハイ。」で終わっちゃう・・・・・(苦笑)
「ヒマなほど忙しい」と題されたエッセイなんかは、「仰っていることはごもっとも」と思わないわけじゃないんだけど、KiKi のように半端じゃないほど忙しい体験を20年近く実際にしてきた人間からすると、本当に忙しい生活を送っている人間っていうのはその真っ只中にいる最中には「忙しい」とか「暇があったら」な~んていうことを考えている時間さえなくて(≒ そんなことを考えている暇があったらこれをしなくちゃ とか あれをやっておかずにはいられない!とさえ思って動いている)、とにかく頭の中に溢れ出てくる To Do List をひたすらこなしていく(機械的にという意味ではありません)だけで、その To Do の中には当然のことながらサラリーマン生活において「仕事」と呼ばれるものとは別種の「仕事(≒ すべきこと、した方がいいと自分が認識していること)」も含まれているモンだと思うんですよ。 で、結果的に時間がたっぷりあるように思われる「休みの日」は読んで字の如く、「休養に専念する日」になっちゃうものだったと後になって振り返って思う・・・・・そういう類のことだと思うんですよね。
そして本当に忙しくしている人は多くの場合、それを「義務感にかられてやっている」わけではなく、「楽しんでやっている」ものだと思うんです。 義務感にかられてやっているケースではどうしても「やらされている感」があり、邪念も入るし(つまり「やりたくないことに時間を使っている → この時間があれば自分の好きなことができるのにと感じずにはいられない → そのやっていることの効率が必然的に落ちる → 結果的にやらされていることに思っている以上に時間をとられる → 自分の好きなことをする時間がなくなってしまう)、結果「忙しい」なんぞという言い訳を言い始める・・・・・ そういうモンなんじゃないでしょうか??
そんな中、1つだけ KiKi の心に深く残った一節がありました。 それは「多忙の効用」という題のエッセイの中の一節なんだけど、以下のような言葉があるんです。
超多忙なとき、忘却はフル回転して、ゴミのような情報、問題を片っ端から忘れていた。 それで本人たちは元気で健康でいられたのである。 それが引退すると、新しい情報はなにも入ってこないにもかかわらず、忘却力は同じようにせっせとゴミを出そうとする。 そのゴミがないから忘却は、空振りをくりかえすようになり、これではならじと、大事な記憶を切り捨てるようになってしまう。 それが続けば、認知症になり、アルツハイマーにもなるだろう。
これが医学的に正しいかどうかはさておき、KiKi の母親を見ているとこれは真実かもしれないと感じられるんですよね~。 KiKi の母親は元気だったころは好奇心が強くてあれもこれもと多くのことに手を出していたんだけど、ある時期から「そんなことをしても何の役にも立たない」な~んていうことを口走るようになり、元気だったころにはやっていたことを悉くやらないようになってしまったんですよ。 そしてそれから暫くして認知症を発症しました。
今にして思えば、それまでは「何の役にも立たないこと」に手を出し続けることによってインプットされていたそれこそ「何の役にも立たない情報」を忘却力とやらがせっせとかき出してくれていたものを「何の役にも立たない」とやめてしまったことにより、インプットされるものが全くなくなってしまった結果として別の記憶を掃き出しはじめちゃったということなのかもしれないなぁ・・・・・と。
アルツハイマーというやつは遺伝的な要因もかなり大きいみたいで、KiKi は祖母も母もこれに罹患したので恐らく自分もそうなるに違いないという確信みたいなものがあったりもするんだけど、それを自衛する1つの手段として仮に体力的にきついなぁと感じられるような年代に入ったとしても「何の役にも立たない」ことに変わらず手を出し続ける・・・・・ということを肝に銘じておきたいなぁと感じました。 もっとも、そう考えたことさえ忘れちゃうのがアルツハイマーのアルツハイマーたる所以なのかもしれないのですが・・・・・・ ^^;