【感想・ネタバレ】三浦綾子 電子全集 泉への招待―真の慰めを求めてのレビュー

\ レビュー投稿でポイントプレゼント / ※購入済みの作品が対象となります
レビューを書く

感情タグBEST3

Posted by ブクログ

副題に「─真の慰めを求めて─」とあります。
ボクは「慰め」といふ言葉の意味するところが、聖書を読んでゐても、いまひとつ理解できてゐません。尤もソレはボクが「苦難」とは何かさへ理解できてゐないからでもあるのですが。そもそも「苦難」が自分にあるのかさへよく解つてゐません。
然し、ボクが得てゐる病といふものは、神様から与へられたものと確信してゐます。また、この本に出会ひ読ませていただき、痛みある肉(身体)が与へられてゐる幸せに喜べる今を、改めて主の恵みとして感謝します。

0
2012年04月12日

Posted by ブクログ

キリスト教を崇拝する方々は、この本に書かれているような考えを皆お持ちなのであれば、素晴らしい宗教ではないかと思いました。なかなかそのようにならないところが人間の弱さなのかもしれません。

0
2024年02月15日

Posted by ブクログ

神は目が見えない人について、弟子たちにこう言った。本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ、神のみわざが、彼の上に現れるためである。と。

著者は、肺結核やカリエス、癌とさまざまな病を発症したが、それは、神からのプレゼントだと思うようになったという。

大島の相沢良一牧師発刊の黒潮誌に、祈りの塔より、として転載された、病まなければ、という詩がある。
病まなければ ささげ得ない祈りがある
病まなければ 信じ得ない奇蹟がある
病まなければ 聞き得ない御言がある
病まなければ 近づき得ない聖所がある
病まなければ 仰ぎ得ない聖顔がある
おお 病まなければ 私は人間でさえもあり得ない

ピリピ人への手紙第1章29節の、あなたがたはキリストのために、ただ彼を信じることだけでなく、彼のために苦しむことも賜っている

1日の苦労は1日にて足れり
私たちの取り越し苦労は集中豪雨に似ている。1日100ミリの降雨量も、もし100日に分ければ、1日1ミリに過ぎない。1ミリの雨なら痛くも痒くもない。それが、一度に降るからたちまち氾濫する。取り越し苦労する人間は、心配という集中豪雨を毎日来らせているようなものだ。そしてその苦労の洪水に悩まされているようなものだ。

どんな状況にあっても、微笑を絶やさないということが、どんなに大いなる精神力であることか。カッとなって怒る人間の弱さと何と対照的であることか。

空腹というこのはすばらしい。全ての味を完全に味合わせてくれるからだ。聖言葉もまた、聖言葉に餓えている者には、即ち霊的に正しく空腹な者には、実に完全にその聖言葉の味を味合わせしめ、力づけてくれるのではないか。

とにかく自分の夫は私に反対する。しかし、夫婦はこれで良いのだと思っている。私の言葉にいつも安易に賛成していてくれていては、二人が共にあるという意味がないような気がする。人間というのは、絶対的存在じゃないし、まして私は浅薄な人間だ。反対されたり、批判されたりしなければ、わたしは何をやり出すかわからない。ここで意見が修正される。ありがたい事だと思っている。

0
2022年07月21日

「エッセイ・紀行」ランキング