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町田さんの猫ちゃんへの愛が伝わって好きなシリーズ、第二弾。
面白いことはとことん面白く、悲しいことは時系列で記録。
町田さんならではの視点と文体がやみつきになる。
本作はまた新たに保護猫家族が増える。
『ヘッケの家族なら預かりたい』という意向を無視してどんどん連れてくるボランティアの方(笑)
最後の解説で動物愛護団体の友森さんが『こいつ濃い目の猫いけるな……と見たら、行き先のない厄介な猫を預けに行く』と書いておられた通り、町田さんはヘッケに似ていないとわかってもどんどん預かりお世話をしていく。
根っからの猫好き、猫愛を感じてたまらなくなる。
町田さんの元に行った猫ちゃんは幸せだろうな。
この文庫の単行本は2007年に刊行されており、2022年の今はこの時から15年経っているというのに、保護猫・保護犬の減らない現実……。
活動も未だにボランティア団体を頼るしかないという事に愕然とする。
人間のエゴで飼われて捨てられる、勝手に増やされることが本当にもう終わって欲しい。
猫ちゃん1頭の命を自分の命と同等に、いやそれ以上に扱う町田さんに惚れる一冊。
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「猫にかまけて」を読みたかったのだが、大型SCの書店になく、代わりにあったのが本書だった。読んでいて思ったのが、内田百閒の『ノラや』と通じるものがあるということ。著者は保護団体が連れてくる元々無縁な猫たちを次々と受け入れて、その猫達との悪戦苦闘するさまが淡々とした面白味があるのだ。2014年の正月から我が家にも保護シェルターから連れてきた猫と暮らすようになったが、まだまだ人に慣れようとせず、時折シャーッと私を威嚇する姿が重なった。最後のゲンゾーとの別れのくだりは涙があふれてきて仕方なかった。
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笑えて、泣ける。猫との生活を味わえる。猫好きの人は深く味わえる。猫を飼ってる人ならもっと深く味わえる。
軽妙な文体だけど、本当に著者が猫を愛していることが伝わる。読んだあと優しい気持ちになれる一冊。自分は3回泣いた。
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町田康の猫エッセイ2冊目。
前著『猫にかまけて』同様カラー写真も満載で、「食パンみたいな顔の猫」ってこういうことかーと納得できる稀有な書であります。
14ヶ月で夭逝したヘッケを悼み、未だ路上生活を送っているヘッケの兄弟猫を保護せんと保護団体にコンタクトするも、連れて来られるのはヘッケとは似ても似つかぬ他猫ばかり。
それでも「この子は助けるけどこの子は助けない、というのは人間の傲慢ではないか」といった思想から、町田夫妻が仕事場に寄寓させる事になさったニューフェイス達がシャア、ニゴ、トラ、ウメチャン、エル。
「ウルトラマンニゴ」とか「インド風ラジオ体操」とか、笑いどころも相当あるのですが、やはりどうしても猫たちとの別れに落涙すること頻り。
ただ、人間共の身勝手に振り回される小動物たちに対して「かわいそうに」と心を痛めるのとは別に、ちょっと心配な事も。
新たにやって来た猫のためにケージを新調し、具合が悪くなれば病院に連れて行き、高カロリーの餌やサプリメントを買い与え、インターネット等で情報収集し、最期の瞬間まで寄り添い続ける。身も心もぼろぼろになって。
町田氏も御内儀も、大丈夫なんでしょうか。
目の前で小さくか弱い生き物が苦しんでいたら、助けたくなるのは人情。
でも、個人で助けられる数はどうしたって限られているし、それ以上にこの国では小動物が捨てられ過ぎている。
今こうしている間も殺処分され続けている命と、それを本能的に救わずにはいられない夫婦と、そのご主人が書いた本を読みつつ何もしない自分と。凹みます。
シリーズ第3作『猫とあほんだら』、早く文庫化しないかなあ。
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作者は、猫たちに出会えて本当によかったと思っているだろうし、ぼくはこの本に出会えて本当によかったと思っている。前作の「猫にかまけて」に続いて。
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町田康先生による猫エッセイの第2弾です。自身の飼い猫に加えて里親となって保護をしている猫たちの存在が出てきます。軽い筆致の中に猫をおもう筆者の想いと、気ままな行動の中に含まれる猫の哲学が印象的でした。
町田康先生の猫エッセイの第2弾です。何年か前にこのエッセイは読んだことがあるんですが、今回、もう一度読みたくなって再読していました。このころから、里親として猫を保護するようになって、ニゴやトラやシャア。そしてウメチャンの名前が出てくるようになります。
もともと野良猫だったり、前の飼い主から虐待されていたりしたという経緯もあってか、えさを与えたり、トイレの砂を掃除したりするときに四苦八苦するさまがなんともおかしく、また人間のエゴのために彼らが必要以上に人間に対して警戒心を持ってしまったんだなと考えるとなんともやりきれないものを感じました。で、さらに保護した猫たちはウィルス性の白血病や猫エイズなどのキャリアを持っていて、当時、筆者は住んでいた自宅ではなく、ここに掲載されてたころは自分の仕事場で世話をしていたのだそうです。
そして、やはり一番心に迫ってくるところは筆者と猫たちの「別れ」に関する箇所で、保護猫のウメチャン。さらには巻末のほうで長年筆者夫妻と生活をともにしてきたゲンゾーが旅立ってしまう場面は何度読んでも辛かったです。筆者いわく
「ゲンゾーはいい奴だった。ともだちだった。
そのゲンゾーが死にかけていた。死につつあった。
涙がこぼれた。
私は、ゲンゾーの名を呼び、背中や頭をなでた
午後二時ゲンゾーは逝った」
というゲンゾーの最期の描写は長年生活をともにしてきて、彼に明け方お腹に飛び降りてこられたり、お気に入りの服を爪で何箇所も穴をあけられたりと、そういう「濃密な」関係の上に成り立っているのかなぁ、と思わせる文章でした。ここに書かれているゲンゾーの死因については詳しくは書きませんけれど、僕がどうのこうのということはできません。しかし、もし将来僕が猫であれなんであれ、ペットを飼う機会があれば、こういうことがもし自分の身に起こった際、ゲンゾーのこと思い出して、筆者の言うように「他山の石」として心のどこかにとどめておこうかと。そんなことを考えています。
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猫とのかけ合いのタッチが好きでした。とってもユーモラスでかわいらしかったです。
私もペットを飼っているので、読み終えて いつかこの子とのお別れがきたとき、しあわせだったと思って逝ってくれるように これからいっそう大切にしてやりたい と思いました。
おすすめの一冊です。
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町田康さんの猫への愛に泣けた。
面白おかしく書いているが、こんなに沢山の、しかも病気を持った猫を受け入れるという事は普通はできない。
我が家にも1年目になる猫が1匹いるが、よりその猫へ愛情を注ごうという気持ちになった。
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町田さんの文章にはよく「例えば」とか「もし」の話でだだだーっと1文が超長い虚構のような名文が出てくるのだが、今回読んだ中の神文↓
『自分はちっとも悪くないのに襟首をつかまれ怒鳴られた猫は、もっと怒って、
「なにが、なにさらすだ。シャアアアアア」と言って怒って全力で抵抗、意外な抵抗にあって虚を衝かれ、呆然としているおっさんの額を引っ搔いて逃走したのである。
おっさんの額がざっくり切れ、鮮血がほとばしった。』
これは町田さんが幼少のころ、とある家の前に憤怒の表情で立っていたおっさんの額にある赤くて太い1本の傷と、玄関から走り出てきた1匹の猫を見て推測した状況を書いたものなんだが、この最後の1文を読んだ瞬間タリーズで吹いた。今も書いてて吹く。
辛いときに思い出すようにしようと思う。
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保護団体から預かった猫のウメチャン、13年一緒に暮らしたゲンゾーが死んでしまった。
愉快な猫エッセイかとおもいきや、前著「猫にかまけて」でも22年一緒に暮らしたココアが死んでしまうなど、このシリーズは猫の死が多く、面白い話も多いけれど大変に悲しい気持ちにもなる。がやっぱり続編が読みたい。
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猫にさんざん手を焼かされる町田氏はハッピーな様子だ
反抗とは、場合によっては庇護者への信頼の証なのだから
逆に、恐怖とか憤りとか敵意といった感情に基づく反抗もある
預かりボランティアとなって
人間に敵意を抱いた不幸な猫たちにも向き合う第二巻
よろこびと引き換えに課せられる責任の重大さも考えさせられる一冊
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ペット飼育未経験者が読むと、ふたつの理由から疎まれる可能性が高そうな作品。
闘病生活の生々しさ。猫飼い特有の、猫中心の生活の自虐。
でも、今作はそれが正しい姿に思われる。
なぜなら、安易にぬいぐるみ感覚で飼われて飼育放棄される動物が一匹でも減れば、この作品を書いた意義になるだろうから。
作品のマイナス点は、文体のくどくどしさ、推敲の荒さが目立つ文体だ。
か、句読点の打ち方が雑で、一文が8行に渡る文があった。これを適宜に切断して、「というわけで」を削除するだけで割と読みやすくなるはずだ。
おそらく、原因は看取り終わってから書く、という執筆スタイルだろう。
素人のブログなら及第点だけど、著者が兼業作家のため、総合点は星3つ。
話の内容に対する感想。
動物愛好家としては、当てレコが愉快だった。飼育経験者のあるあるネタ。
突飛な発想と、東川篤哉さんのような仰々しい文体がユーモラスでよい。
人間の衣食住を犠牲にして、病気の猫を看病する描写が痛々しかった。
私の飼育に対する考えは、著者とは異なっている。獣医も匙を投げる病状の時は治療方法を探して延命を試みるよりも、闘病を諦めることで苦しむ時間を伸ばさない方が好ましいと考えている。生きる時間の長さよりも、猫にも羞恥心はあるのだから、恥をかかせるのは気の毒、とも考えている。
だが、著者の選んだ道が誤りだとは思えない。なぜなら、闘病・延命派の飼い主が多ければ症例が増えて、動物への医療技術が進歩する可能性があるからだ。
この本は、骨身を惜しまず、金銭と時間を猫のために費やした詳らかな描写と、数枚のスナップ写真。猫への溢れんばかりの愛情が感じられる一冊だ。
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町田さんの猫エッセイ第2弾。
ゲンゾーの件について自分を責める町田さんの姿がなんとも切ない。
動物を飼うのではなく、命を預かる。
今は動物を飼っていないけど、またいつか生き物を飼うときは
町田さんの姿勢を見習いたいと思った。
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猫に気を遣いながら、反省しながら、猫の機嫌を伺いながら
猫と共に暮らす。わかるなぁ〜。
いい人すぎやで〜町田康。
この書は、出会った命と消えゆく命、命を見つめる記録でもある。
一匹の猫の死を見送ったとき、人はこうも後悔にさいなまれる。
町田康はその代弁者でもある。
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このレビューを読んで不快な思いをなさる方もいるかもしれません。
本編は非常に楽しめました。生き物を飼う大変さも再確認できました。
ただ、本編、解説の動物愛護団体さまになんだか釈然としないものを感じたので書かせていただきます。
まず、動物愛護の活動は素晴らしいことだとは思いますが、希望とは違う、それも病気であったり気性が荒かったりといった問題のある子をどんどん作者に押し付ける(という表現は適切ではないかもしれませんが)のは如何な物だろうかという感想を持ちました。
作者は引き取って大事に育てていますが、その善意につけ込んでいるような印象を受けてしまったのです。あくまでも私の感想ですが。
全員が全員、猫を救いたいからという理由「だけ」で里親募集に応募するわけではないと思うのです。
家族に迎え入れたいという理由がまずあって、その上で、どうせなら不幸な猫を引き取ろうと思って応募する人が多いのではないでしょうか。
飼う以上は家族ですから、できるだけ長く一緒に暮らしたいと思うのは当然のことです。
愛護活動をしている人からすればあまり好ましくない考えかもしれませんが、やはり健康な子が欲しいですし、希望の毛並みであれば嬉しいものです。
引き取った問題のある子が数ヶ月、数年で死んでしまった場合、恐らく一番悲しいのは里親でしょう。
それを「厄介な猫を預けられて激昂するような人には譲らないのが賢明だ」等と書くのはどうなのだろうかと思ってしまいました。
繰り返しですが、家族ですからできるだけ長く一緒に暮らしたいのです。
もちろん問題のある子を譲り受けてくれる方はより有り難い存在でしょうが、健康な子を望むのがそんなに悪いことなのでしょうか。
長々書いてしまいましたがエッセイ自体は素晴らしかったので★3つです。