感情タグBEST3
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今までにも増して、脳味噌をぐぢゃぐぢゃに掻き回されたような読後感。
私の脳が「余」のとりとめのない思考と、洪水のように溢れ出す
訳のわからん言葉に浸食、いや侵略されそうだ。
やばい、やばい。
うかうかしていると町田康に脳を乗っ取られかねない。
中毒性のある麻薬のような言葉は、もはや快感。
ツボすぎて自分が怖くなる(笑)
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なにしろ、町田さんの文体が好きだから。好き、というのとはちょと違うかな(無論、嫌いではない、ほとんど快感)、ただ引き込まれる、と言うべきか。内容はともかく(もちろん貶してるわけじゃなくて)、文体だけで読ませる作家って、「往年の」にはいるけれど、今では少ないのじゃないかしら。それでこの本。『東京飄然』ではなく「超然」なのか。文体や内容の好き嫌いはあろうから、内容についての感想は控えます。代わって、本体の佇まいを少し。メタリックなシルバーカバーと同素材の帯がよろしい。そこに白文字でタイトルもなかなかお洒落。そして花布と栞紐が黄色…うーん、私の好み。そんなわけで、私は町田康作品、猫と犬だけ読んでるわけじゃありませんよ、ということにて。
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「閑話エニウェイ」とは、やられた。
「エニウェイ」よりも、「エニュウェイ」の方が語感は良いと思っているし、そこは譲れないが、「閑話エニウェイ」という発想はなかった。やはり、センスが半端ない。
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呆れるほど不毛で、生きる活力の溢れる物語。
冒頭から、自殺を志向するという現代的な悩みを持つ主人公ながら、不可解な出来事(?)にどんどん迷い込んでしまう達人。自意識過剰なあまり300P近くの大作になるまで右往左往を続ける。町田作品の中でも、ここまで意味のなさを追求して、笑えて、力が漲る物語はないかもしれない。
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熱海と思われる場所に移り住んだ「余」が、周辺をうろつくという話。強烈なボケもあっておもしろい。社会の底辺のパンク歌手の物語を書くことで金を稼ぎ、とうとうリゾート地に住んじゃったプチセレブ(に見える)な自分の現状について、ちょっと複雑な心境があるのかなという気がした。
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飄然から超然を目指す著者。俗事を遠ざけ田宮にて超然主義を唱える。人間のエゴ、人間の矛盾に疲れ自ら死にゆく場を求め渉猟する。あてどない逍遥の先にあったものは、しかし、生であった。洗練された美しい文章で人間の深奥を鋭く描く。心が浄化されたような空気にどっぷり浸ることができた。
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もーーーなんなんすか、この人ーーーー!!
面白いよ!!
十数年ぶりに町田康さんの文章を読んだ感想です。
「余」の一人勝ち。
私は本書を病院の待合場所やカフェなど、公共の場所で読んだのですが失敗でした。数ページに数回は声をあげて笑いたくなる箇所が訪れるため、笑いをこらえるのに苦労しました。
ひとり、心置きなく声をあげて笑うことができる環境で読むことをおすすめします。
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日々、頭の中で取り留めもなく考えていることを一字一句そのまま文字に表したら
こんな感じになっちゃうんじゃないんだろうか。
所々に時流に乗った単語を入れてくるのはずるい。不意に笑ってしまう!
脳で遊ぶ
という言葉がとても気に入ったので
ネガティブな思考に陥ったら即座に思い出そう。
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あえて迷いこもうとする迷路のようであり、脱線ぐるぐる自己完結のオンパレードなのである。その様を眺めるのはたいへん愉快。いちいちげらげら。それは突飛だからウケてしまうのではなくて、なんというか親近感、そう思うわーとか何その捻くれ具合わかるわとか、そういうの。現実ってもんはこんな感じだよね、僕も私も。あと「余」と一緒にうだうだ巡らすことによって、はっと気付かされることがあるなあと思った。
あ、そうだ盗撮婆が気になって眠れない。
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主人公<余>は何かやらかしそうで危うい。心の内側から繰り出される言葉が、削除されず表現された文章。韻を踏んだり言葉遊びで作られたりした文章から一歩進んだ作品だと思います。これが後退なのか座標の移動なのかはわからないのですが…
町田さん流の人間失格といった感じ。
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今までに読んだものと雰囲気が違うと思ったら、言葉数が少し少ない。まくし立てるような感じではなく、もう少し時間はゆっくりと流れている。『実録・外道の条件』のように重くじっとりとまとわりつくことはない。もう少しドライ。でも、絡まりつくような感じはある。
久々に読んだ町田康。うまくことばにできないけれど、おもしろかった。
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人生、苦しいこともあるだろう、腹の立つこともあるだろう、でも大丈夫。そういう時は『どつぼ超然』を読みましょう!すると人生『頑張るぞー、頑張って、死ぬぞー』って気になりますから!
すると悠々と人生を超然と見据える事が出来るようになり、「善きかな、善きかな、ほほほ。」と言えるようになる・・ハズ!!((笑))
文章の書き方が主人公の独り言の形で物語が書かれているのですが、実は私、こういう文法?っていうんですか?例えば森見登美彦さんの【恋文の技術】や、アンシリーズの【アンの友情】など、台詞があまりない文章を読むのは(しかも、それが状況説明ではなく、独り言だったりすると)集中力を欠いてしまうんです。
なので、例えに出した作品も、最後は面白く読み終わったのですが、本の世界に入り込むまで時間がかかってしまうのですが、この『どつぼ超然』に限って言えば、最初っから、一気に読んでしまいました。
一言で言えば『お笑い読本』ですね。
特に気にいったところ(笑ったの)は、P139の『そこで余は、下りていく男の背中に向かい、心内語、「ばーか」と言い、少し足りないような気もしたので念のため、「ばーか、ばーか、ばーか」と付け加えた。完璧である。』という部分です。
しかも、この作者の偉いところは、これが『何とかの遠吠え』(もちろん、負け犬遠吠えですよ。これが『オオカミの遠吠え』や、『おっかさん!の遠吠え』だったりしたら、怖いだけですからね。)の証拠を、例え話で非常に上手く説明してるんですね。で、最後は『そうか~、そんな小さい事を考えているようではまだまだ凡人、善きかな、善きかな、ほほほ。』とつぶやいてしまっているんですから、恐るべし、どつぼ超然!と思いました。(ホントか?ホントです(爆)
他にも人生を超然と生きるためのバイブルが盛り沢山と書かれていますが、一番盛り上がったのは自殺するための場所選びの主人公の考えている事や行動、縄と踏み台の配色などを遠くから真剣に眺めたりするところでしょうか?
あと、どうしても分からなかったのが、どうして突然主人公が自殺しようと思ったのか?という部分です。その理由が、あまりに超然過ぎて凡人の私などには、とてもとても(ここで手のひらを上に向け、両肩をすくめ、首を左右にゆっくり振る)。理解できなかった次第でして・・うーむ、、やはりまだまだ修行が足りないようです。
最後に主人公が「善きかな、善きかな。」とつぶやいたあと付け加える「ほほほ。」これにも深い意味があるとみました。ただ「善きかな、善きかな。」とつぶやくだけより、そのあとに「ほほほ。」と付け加えるだけで、あ~ら不思議、主人公が心から「善きかな、善きかな。」と思っている時と、実は無理して「善きかな、善きかな。」と思っている事が分かって面白いと思いました。
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飄然から超然へ。世界を睥睨する町田文学の新境地。
って、これのどこがだよ! と、ついつい声を荒げてしまいそうになる作品。
観光地(モデルは熱海)を練り歩きながら、どーでもいい思念を繰り広げるだけで、物語性などは皆無である。
死を決意したりもするが、そこには人生に向き合う真摯な姿勢は微塵もない。しかしそのいい加減さは逆に生と死の在り方を浮き上がらせているような気もする。でもやっぱそれは考えすぎだな。
町田の言葉が生み出すバカバカしいウネリに身を任せ、ヘラヘラと笑うのが正しい読み方であろう。
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エッセイとフィクションと
いいかんじに混ざって、マーチダ的。
後半はちょっと飽きちゃったけど、
前半は、声をだして笑っちゃいました。
最近、町田作品、よく、後半でばててしまうなあ。
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町田康の本としては、ちょっと期待外れ。先入観なく読めば十分面白く、かなり笑ってしまったのだが、期待値が高過ぎたかも。他の人が書いたなら星四つ以上だ。この人でなくては書けない、という本でなかった。お茶目で面白いエッセイという感じで、らしさ、クセが薄い。そろそろ町田康のマイブームも終了の時期か。くっすん大黒と、パンク侍が好きだ。
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善哉、善哉。マーチダさんは熱海で暮らし始めたらしいですね。熱海は観光地であるから、きゃっきゃっ遊びに来ているのはヤングからオールドな方まで様々いるのですが、マーチダさんの超然としようとする視線でみつめると熱海もまた古くて新しく、猥雑な感じがします。熱海の地理に詳しくなってから読むほうがきっと楽しいはず。熱海のパロディ、土地の本歌取りといおうか、熱海、のようなところに何しに行ったの?という話です。
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大して中身はない。ほほほ。善哉善哉。
正直評価に困る作品ではあります。
もしかしたらこれは町田康渾身の、魂を削った大自信作なのかもしれないし、
もしかしたらとりあえずページを埋めるためにいつもの文体で思いつくままに適当に書き連ねていっただけのようにも見える。
どちらにしろ、今作は町田康という作家が好きでかつ、「好きな作家の思考に寄り添って、流れに身を任せるのが楽しい」と感じられる人にはオススメできるし、
逆に町田作品を読んだことが無い、あるいは大して好きでもないという人が読むのはちょっと大変だろうなという気も。
個人的にはなかなか面白かったです。最初は、「ずっとこの調子で中身無いまま続くのキツいかもなーw」と思っていたけど、案外苦痛も覚えずスラスラと楽しめてしまったのは、あらためて氏の文体のリズムが自分と合ってるんだなぁと実感。
Posted by ブクログ
献本キャンペーン有難うございます。
ちゃんとしたレビューを書こうと思ったのですが、結局〆切日になってしまい...申し訳ないです...!
町田康さんは「くっすん大黒」以来で
まず届いた時に、カバーの美しさと適度な重さにうっとり。
中身に関してですが、まとまった時間をとることができず、電車の中などで少しずつ読ませて頂きました。
こういう場合、前に読んだ部分など忘れてしまうことが多い私ですが
不思議とひとつひとつのエピソードが残っています
超然を意識した瞬間、その人は既に超然としていない
意識すればするほど自意識や妄想が止まらない
この主人公は極端に見えるけど人間誰しもそんなものなんじゃないかしら。
無意識に考えている日々の自意識や妄想を丁寧に言語化したら
誰しもこれくらい滑稽なんだろうな
Posted by ブクログ
献本企画で頂いた本。多謝。
自らを“余”と称することを決め、
超然という境地を相手取った自意識によって、
逆に決して超然となれずに、
世間、自然、人工、人間、その他視界に入るありとあらゆるものを
切り取っては徹底的に思考していく主人公の日常が、
町田氏独特の言葉と文体によって綴られた一冊。
人生の可笑しさがつまっている。
「どつぼ超然」というタイトルがいい。
超然として見える人は、
何かその人の道を究めることに集中していて、ある意味どつぼに入っている。
そう思うと、この本は、
「死」のどつぼに入らんと超然を目指した主人公が、
最終的には「生」のどつぼに入り超然を得る、
という話なのかもしれない。
どつぼ超然。善哉。