【感想・ネタバレ】無思想の発見のレビュー

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Posted by ブクログ

読みやすいが、養老さん節が多い(笑)しかし、日本の思想を総まとめ出来るし、最後には「じゃあどうするのか」という部分まで書いてくれている親切な本だと思う。

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2024年05月06日

Posted by ブクログ

日本人は無宗教・無思想・無哲学だと言われているが、無思想とはいったいどのような事態か。無とは「ゼロ」、すなわち「なにもない」状態を表しつつも、同時に数字の起点でもある。ならば、「思想がない」というのも、ひとつの「思想」のあり方である。「無思想という思想」について認識することができるようになる本。
自分」ということを一つのものとして捉えない感覚が面白いと思った。外界からの感覚を取り入れていくことで自分を「創る」のであって、けっして「探す」ものではないのだ。本当の自分とか、自分に合った仕事とか、そんなものはない。どんな作品になるのかはわからないが、とにかくできそうな自分を「創ってみる」しかないのだ。そのために大切なことは、感覚の世界、つまり具体的な世界を、身をもって知ることだ。

印象に残ったところメモ。
・知らない環境に入れば、自分が変わらざるを得ない。だから未知の世界は「面白い」のである。「変わった」自分はいままでとは「違った」世界を見る。
・それならそんな自分は「もはや必要がない」。忘れちゃう程度の自分なんて、「本当の自分じゃない」に決まっているではないか。
・「そんなことしてたら、人格の完成はどうなる」..空竟涅槃だ。少なくともいまの自分のままであるなら、つまり「我がまま」であるなら、涅槃でも菩薩でもないことは確かではないか。

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2023年08月03日

Posted by ブクログ

読書開始日:2021年12月28日
読書終了日:2021年12月30日
要約
日本は世界に珍しい「無思想という思想」がある国。世間、風土、思想は補完関係にあり、従来の日本は世間、風土が大きく、思想は小さくてもうまく回っていたが、西欧思想介入による個性尊重、意識尊重傾向が強まり、軋轢が生まれている。
今こそ無思想という思想を自覚し、その思想を大衆と照らし合わせどう生かすかが重要である。
その重要なポイントである大衆に対して、今一度感覚世界尊重を訴える必要がある。
「同じ」を追い求めていく概念世界では、意味あるもの不変なものが重要視される。なにかに意味づけしたく、最悪は全ての出来事を人為にする。最終的には原理主義のデメリット、決めつけによる思考停止、堕落に陥る。
日本のいい部分は、感覚主義、自然主義として、その時々で柔軟な対応が出来ていたことだ。
違いをあるものとする。感覚を重視する。違いがあるという前提の中で真理を追い続ける。それを個人個人で行うことで無思想という思想ができあがってくる。
自分の証明は身体だ。意識は常に変わっていく。自分の証明は身体に預け、自分が変わること、周囲が変わることを受け入れ、それを味わいながら真理、あるはずのない正解を追い続ける。
これを大衆の1人としてまずは自分が行っていく。
(備忘録)
同じにしていく。抽象度を上げていく。
これは便利だが、やり過ぎると原理主義に陥る。
人ほど自然なものは無い。
やはり感覚を感じとり、その人それぞれへの対応することを「目指す」
意味を追い求めすぎるな。
果ては無機質なオフィスになる。 

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2021年12月30日

Posted by ブクログ

遠い国の物語やことばを読んでゐて、その隔たりを感じることがあつた。あるひは、遠い国であつても同じ様な精神の人間に出会つた時、もつと身近に知つてゐたのなら、話してみたいことがたくさんあつた、そんな風に感じることもあつた。それは時に限らず、時間も同じで。遠い忘れてしまふくらい昔のひとに感じる隔たりと、引き合ふ寄り添ふ力。
どこかで感じてゐただけで、このやうに考へ、ひとつの形にしないできてしまつた。考へ続け、それを何ものかで表現し続けるといふことに耳を塞ぎ、またもや与へられるだけで流され続けてきてしまつた。知りたくて知りたくてたまらない。もつとことばがほしい。
養老先生はいつも考へ続け、生きてゐるひとだ。後どれくらい続けられるかはわからない。けれど、最後の最後まで考へ続けてゐるのだと思ふ。
構造と機能、感覚と概念、違ふと同じ。これらは相補的なものであつて正反対のものではない。なぜなら、どちらもことばによつて重なるところがあるからである。
純粋、といふものは概念では存在するが、感覚としてそれが存在するといふことはあり得ない。感覚からすれば存在しないが、概念からすれば存在する。どうもそんな風に人間はできてゐる。有るといへばあるし、無いといへばない。これこそ、無思想なのだと思ふ。
一見矛盾してゐるやうにみえるが、それは概念で捉へるのか、感覚で捉へるかの違ひに過ぎない。どちらもこのひとりの人間、脳のしてゐることなのだ。どうもそんな風に考へるより他ない。無意識の発見になぞらへた、無思想の発見。
無思想に裏打ちされてゐると考へると、いわしの頭も信心から、八百万の神々、無宗教が一変にあること、自分が漠然と感じてゐたことの正体に気づかされる。
無思想といふ思想、故に価値基準を世間・状況に委ねる。形を重んじながらも、簡単にその形を棄てられる。善し悪しはともかくとして、このやうになつてゐるのだとすれば、それに気づくことは少しは生きやすくなるだらう。
自分はかうだ、とひとつに決めてしまへば、それは再び自分ではない何かに委ね、不満となれば形をとりかへることになるだらう。しかし、この地球といふひとつの球体の上で、さう考へない者と生きてゐる以上、それだけで生きてゐては埒があかない。自分は変るし、変らない。柏手をうつこの右手と左手の間の存在。知ること、気づくことは、かうもひとを自由にする。

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2018年11月17日

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竹村公太郎氏との対談集で、久々に養老孟司氏の言説に触れ、読もうと思ったのがこの本。以前、読んでいたが、レビューを書いていなかったので、読みなおした。
内容は、
第1章 私的な私、公的な私
第2章 だれが自分を創るのか
第3章 われわれに思想はあるのか
第4章 無思想という思想
第5章 ゼロの発見
6章 無思想の由来
第7章 モノと思想
第8章 気持ちはじかに伝わる
第9章 じゃあどうするのか

となっている。
解剖学者として、モノとしての人間の「脳」を観察してきた理系の思想分析のアプローチである。
しかしながら、古今東西の思想家・哲学家の造詣も深い。
そんな養老氏の論理的な「無思想の発見」。
インド人が発見し、中国語で学習した「般若心経」「0」を一番理解しているのは日本人だ(笑)。
「無思想」という「思想」を一神教のメンバーに理解させることは、困難を極めるだろう。
しかしながら、遠い将来、「無思想」という「思想」のすばらしさが世界を席巻する日を夢見て・・・・

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2016年03月03日

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タイトルからは分からなかったが、実質的な内容としては日本人論。本書で使用される無思想という言葉は一見すると把握しづらい。恐らく世間という言葉を用いながら、我々の生活の直感に訴えるような使い方をしているからだと思う。
無思想の一つの理解として、原理原則とそこから派生する規範意識の希薄さと認識をした。もし原理原則論が日本史において希薄だというのであれば、明治維新も戦後の社会変化も説明しやすい。考えてみれば普遍性が高いと思っていた天皇の地位についても江戸期、明治憲法下、現行憲法下と一貫性に欠ける。また本書でもしばしば登場する司馬遼太郎が、くどい程に奇態だ奇態だと呼んだ戦前の特殊性も説明できる。
本来は深い思想を経た上での発露であるニヒリズムや愛などの概念について、無思想の人間が軽々に扱っていいものかと改めて感じる。どうも資格が無い人が語りすぎるのではないだろうかと。

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2015年01月10日

Posted by ブクログ

日本人と西洋人との違いを教えてくれる本。
でも、その内容を要約しろと言われても、なかなか難しい…
読んで心で感じ取るのが精いっぱい。
でも、養老さんのおっしゃりたいことは感じ取ることはできる。

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2010年02月28日

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日本の風土と伝統が生んだ「無思想という思想」を解剖20年経験の著者が語る読み応えのある一冊。(07/10/5)

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2009年10月04日

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無思想の思想とは、相対的バランスの上にある思想であるように思える。絶対を認めてしまうと、そこから演繹的に「思想」が導かれてしまう。絶対を求める「意識」と相対的関係性を基本とする「感覚」の相克が面白く書かれている。唯脳論から一歩踏み出した著作。

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2009年10月07日

Posted by ブクログ

そう、僕も「無思想という思想」の持ち主なのであります。
養老せんせいの本ってその深さがどうも計り知れません。いつも理解しきれない感じが残る。どうやらまだまだ僕には人生経験が足りないようです。

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2009年10月04日

Posted by ブクログ

バカの壁、超バカの壁に続いて読んだけど、ちょっと難しかった、、
消化不良感があるのでまた読みたいな

・感覚(違う)と概念(同じ)、これらは互いに補完するもの。日本は感覚が強い社会だったから、無思想のように見えている
完全な思想はないし、思想は万能ではない。感覚世界では、全てのことは別個のものとして扱われる。概念と感覚をいったりきたりしながら、自分を変えていくこと!怠けない!
「概念」の自分が重視されがちだけど、「感覚」としての自分(=身体)も忘れないこと

「意識と無意識を足して」、はじめてゼロになる P161
どんなに高い玉座の上に座るにしても、座っているのは自分の尻の上だ P171
より確実なものを人は求めようとする、ーーーもう一つ、楽をする方法がある。「こうだ」と決めてしまうことである。 P230

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2024年02月05日

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日本人は自分自身で無宗教、無思想であると思っているが、本当のところは「無思想、無宗教」であることを思想、宗教としているという話であった。
無を信仰しているということはすなわち仏教のことではないかという話があったので仏教について興味がわいた。

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2019年05月10日

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感覚世界と概念世界
仏教の話が興味深かった。
「同じ」という認識についての話。
また読み返したい。
プログラムを今は少しかじっているけど、どれも区別して、分かれたものに名前をつけ、定義付けのような事をして、している。これからもっとテクノロジーの進化には、このような「纏めて」「単語」にしていき、実行されていくんじゃないかと思う。
多様性という言葉からすると、分けて分別して決めつけていくと、養老孟司さんの仰るような「同じ虫でも、個体が違う」ような面がなくなっていきそう。
どっちも大切な、バランスが大事だなぁと思った。

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2017年06月17日

Posted by ブクログ

無思想という思想をテーマに書かれた本
。多くの日本人が持つ思想=無思想とし、無思想とは数字のゼロのような存在で、無思想という思想=世間と論じている。
つまり、思想という絶対的なものがあるわけでなく、世間という型があり、その中で多くの日本人は生きているということである。
この本を読み進めると、この無思想という思想のあり方が非常に上手く表現されていると感じる。
養老孟司氏らしい一冊である。

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2013年08月10日

Posted by ブクログ

文体が独特すぎて読むの大変だったけど、日本人の無意識下における思想について解き明かそうとする本というのは分かった。

有思想と無思想、感覚世界と概念世界の往復、「同じ」と「違う」。
独特の世界観の中へ巧妙に誘われ、それに浸っているうちに読み終わっていた、そんな不思議な体験を与えてくれる本である。

なかなか面白かった。

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2011年05月17日

Posted by ブクログ

自分が好きな著者の一人である養老孟司さんの一冊。自分にとってはとても読みやすく感じた。

 「日本には「無思想」という思想がある」という何とも屁理屈を述べているような主張がこの本の軸にある。まず最初の方では他の様々な著書でも彼が述べている「【私】という存在は変わる」という話から「この世に変わらないものなんてない」という主張が書かれている。他の著書にも書かれていて、いつも「なるほどなー」と思うが、「人間の情報化」の話は毎回ハッさせられる。
 次パートには本書の主張である「無思想が日本にはある」ということが書いてある。ここでいう「無思想」とはどのようなものであるかというと、「私は思想なんて持っていませんよ」という思想のことだ。「思想なんて持っていない」という考えを持つことで、下手に頭を使わなくて済む。もし仮にある人々が宗教等の強い思想を信仰していたとしたら、その人たちがある物事に対する認識を変えるときに、信仰している思想の存在が邪魔になることがあるかもしれない。しかし、無思想であれば、ある意味システマティックに物事に対する認識を変えることができるのだと本書は述べる。
 よって本書では思想と世間は補完関係にあるという。思想が大きな社会では世間が小さくなり、世間が大きな社会では思想が小さくなる。つまり上で述べたような物事の判断が信仰している宗教や考え方に依拠している社会とは、思想が大きく世間が小さな社会であり、逆に日本のような社会は思想が小さく、世間が大きい社会ということになる。別にどちらがいいというわけではなく、どちらにもいい面悪い面がある。しかし「無思想であることのメリット」は意外と一般的に見落とされがちであるみたいだ。この「無思想であることのメリット」を著者は数字の「0」に例えている。「0」(無思想)があることによって「数字」(世間)は充実する。
 中盤はどのように日本の「無思想」が形成されたかという歴史的な流れが記述されている。日本とアメリカの環境による思想の形成過程の仮説はとても面白かった^^
 終盤は「思想と世間」の話からの延長で、「概念世界と感覚世界」の話になる。簡単に言うと、概念世界は頭の中で、感覚世界が皮膚や体である。例えば「りんご」という言葉を聞いた時概念世界(頭)では聞いた言葉のイメージを思い浮かべる。つまり聞いた言葉と「同じ」ものを頭の中で思い浮かべる。それとは対照的に、目の前にいくつかのりんごがあるとき、私たちは手にとって1つ1つのりんごを比べる。つまり肌感覚で1つ1つのりんごの「違い」を認識するのである。よって概念世界では「同じ」というプロセスを、感覚世界では「違う」というプロセスを経て物事を判断するという。これには深く納得した。他にも彼は「概念世界と感覚世界をつなぐのは言葉であり、概念世界を突き詰めていくと神になる」ということを述べているが、分かるようでなんとなく説明しきれないし、別にこれを読んでいる人も知りたくないと思うのではしょります^^
 最後には「日本人自身が無思想であることを認識することの重要性」と「真理を求めることの重要性」について書かれているみたいだが、よく分からなかった(笑)ただ極端に1つの思想に影響されず、心理を追い求めることができるのが無思想の最大のメリットである、というところは何となく納得した。
 本書を読んでいる途中、何かの本に書かれていた「日本人はイデオロギーの無い人種である」という宮台真司さんの言葉を何度も思い出した。また養老さんが「死体を死体という言葉でまとめるな」という話をされていたときは、友成先生のミクマク理論を何度も思い出した。結局みんな言いたいことは同じなのかもしれない、と思った。

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2011年05月06日

Posted by ブクログ

無思想とは何か?それは日本独特の「思想」である。


数字の「0」という概念を発見したとき、飛躍的な発展が起こった。


同様に無思想という概念を発見したとき、我々は日本人独特な考え方に一歩理解が進めることができる。


「同じ」と「違う」は対極ではなく、補完である。


「哲学的ではない」ということ自体に揺るがない哲学がある。


ニヒリストに近い考え方が自分にあったのかわからないが、現代日本人が考えることを放棄しているデリケートな部分に容赦なく突き刺す爽快感が感じられた。

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2011年02月04日

Posted by ブクログ

[ 内容 ]
日本人は無宗教・無思想・無哲学だという。
さて無思想とは、どのような事態か。
もしかするとそれは、「ゼロ」のようなものではないのか。
つまりゼロとは、「なにもない」状態をあらわしつつ、同時に数字の起点でもある。
ならば、「思想がない」というのも、ひとつの「思想」のあり方ではないか。
本の風土が生んだ「無思想という思想」を手がかりに、現代を取り巻く諸問題、さらには、意識/無意識とはなにかを、大胆に、されど精緻に考え尽し、閉塞した現代に風穴を開ける。

[ 目次 ]
第1章 私的な私、公的な私
第2章 だれが自分を創るのか
第3章 われわれに思想はあるのか
第4章 無思想という思想
第5章 ゼロの発見
第6章 無思想の由来
第7章 モノと思想
第8章 気持ちはじかに伝わる
第9章 じゃあどうするのか

[ POP ]


[ おすすめ度 ]

☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)

[ 関連図書 ]


[ 参考となる書評 ]

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2014年10月27日

Posted by ブクログ

「無宗教・無思想・無哲学」
このどれかについて考えたことのある方なら、読むことで新たな発見ができると思います。私のような無学のものには内容がやや難しいですが、丁寧に説明されているので理解できると思います。

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2010年04月06日

Posted by ブクログ

 新渡戸稲造の武士道は、日本人はかくあるべきだとの格言ではなく、「日本人は宗教を持たないというが、どうしてそれで秩序が成り立つのか」ということを英語で説明しようとしたものだった。それからずっと時間がたち、そこに並んだ言葉と論理の展開で、当の我々日本人自身がああ、そうだったのかと自分自身を理解したり、「正しい自分像」を再確認しようとしたりするのは考えてみれば不思議なことだ。

 「日本には無思想という思想がある」
著者がこのことを前提にすることによって、特に戦後の価値観の大転換や、近年の迷走ぶり、若者の「自分探し」の構図などが、だんだん腑に落ちるように理解できるようになる。

 「バカの壁」も、虫取りに熱中していることもあいまって、「養老先生は学者さんだから言ってることがよくわからない」と言われているのを見かけるが、そう言わず素直に読みすすめていくと、次第にぽつりぽつりと霧に穴があくように何かが少しずつ見えていく感覚を覚えることができるだろう。
 

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2009年10月04日

Posted by ブクログ

著名『無思想の発見』は、編集者の勇み足である。日本人の無思想・無宗教性はいままでも多くの論者が語っている。養老先生曰く、「無思想の思想をもつ」が本来のテーマだ。
文中、三島由紀夫と大塩平八郎を並べて思想を語れば、思想とは、政治思想のことだ。司馬遼太郎氏の文章を斜め読みして、三島の政治思想性を語られてもどうかとおもう。司馬氏は、文学的思想性と、そこから生まれたのであろう美的政治思想性の切り分けの話をしているわけで、丸山眞男や山本七平の引用も、思想を政治・宗教思想に限定しているように見受けられ、残念だ。
それでも、『唯脳論』からの、養老先生の「社会は脳がつくっている」論を、わかりやすく(?)アレンジして社会問題を例にしながら話は進む。
対立ではなく補完しあうものとしての「思想」⇔「現実(世間)」をあげ、「無思想」の危うさを、
「同じ」⇔「違う」、「概念」⇔「感覚」、「秩序」⇔「無秩序」、「意識」⇔「脳」
と得意のフレーズを並べる。無思想は、無自覚に悪しき体制を受け入れる「止めるべき思想のなさ」につながるという。
そして、「無思想の思想を持つということを認識して、自分がどう考えているかを明瞭にする。この思想が正しいなどと思い込まず、間違っていれば訂正する。」
養老先生。無難に着地といったところだろうか。
本書でも引用している丸山真男『日本の思想』に、「理想は灰色だ現実は緑だ」というゲーテのの言葉がレーニンが好きだったとある。養先生は、多分こんな気分なのだろう。
「無思想」といいながら、養老先生がかなり右傾なのもはじめて知った。

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2021年02月25日

Posted by ブクログ

養老孟司流の「日本の(無)思想」論です。

著者は「あなたが見聞きし、あなたが考えている」すべてが「思想」だと述べています。それらはすべて脳の働きであり、それゆえ脳の働きはすべて「思想」だとする「唯脳論」の基本的な主張をくり返しつつ、日本人は「思想は現実に関係がない」という「思想」、「無思想」という「思想」をもっていると主張します。

さらに著者は、こうした「無思想」という「思想」の諸相を、歴史や宗教、世間にかんする日本人の考えかたにまで敷衍しながら、西洋や中国の「(有)思想」と日本の「無思想」がさまざまな局面で相互の無理解を引き起こしていることにまで言及しています。

著者の立場は、解剖学者の観点から見れば「唯脳論」であり、それを反対側から見れば仏教の「無」の思想にも通じるような立場であることが、本書では明瞭に語られています。『唯脳論』(ちくま学芸文庫)の段階では、このことがあまり人びとに理解されていなかったように思われるのですが(そんななかで池田晶子の慧眼はさすがに著者の立場のこうした二面性をよく見抜いていました)、「機能」というマジック・ワードで「唯脳論」と「無」をつないでいることには、問題が含まれていたこともたしかです。本書では、そうした問題がいわば素通りされているために、ほんらい「唯脳論」の意図していたところを理解するためによい手引きになるのではないかと思います。

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2019年11月01日

Posted by ブクログ

わたしの理解力ではすべてを理解できないけれど、よく、こんなこと思い付くなぁと、思う。

無宗教という日本人の思想の話より、「本来の自分」のくだりのほうが面白かった。

自分探しにイラク等にいく若者に対して、知らない世界を見ることが未知との遭遇ではない。未知がイラクにあるのではな&ーなかんじやねぉ飾ったんだ♪し!い。「自分が同じ」だから、世界が同じに見えるのであり、退屈に思えるのであり、自分が変われば世界も変わる、未知との遭遇とは、本質的には新しい自分との遭遇である、と。「本来の自分」なんてものはなく、商売や役職、住居など外的条件を変えれば、人は変わる。当たり前のことのようで、個性を意識しすぎている風潮の世の中だからこそ、アホなことに大学生時代は右往左往させられていたんだなぁ、と感じた。

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2015年03月11日

Posted by ブクログ

まず自分とはなんなのかを導入で考えさせる本。それを理解させた上で一般的な学説などを使って人生観をといていた。

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2014年06月02日

Posted by ブクログ

養老孟司の本はだいぶ読んだなぁ~

でも結局、同じことを繰り返し書いているだけのような気がするなぁ~

彼の言いたいことの大半は【唯脳論】で既に書かれているんじゃないだろうか。

だけれども、唯脳論は分かりやすい本ではなかった。

その後書かれた【バカの壁】がバカ売れした。

それは、彼の言葉をジャーナリストが代筆したからだ。

彼の言葉では一般人は理解できなかったのだ。

その後彼も勉強して、一般人に分かる言葉で書くコツを会得していった。

そしてこの本である。

また分かりにくい書き方に戻ってしまった。

彼自身もあとがきでこの本は売れないだろうと予想している。

でも、バカの壁以降乱発したどの本より、ホンネで語っているし、自分が書きたかったことを書いている。

・・・・・・

どうして日本は無宗教で、無思想であるか、例によって彼独特の視点で切り込んでいるのだが、相当本質を突いていると思われる。

大ヒットは絶対にないが、日本人の本質を研究する上でとても重要な指摘をしている。

感覚と認識の間を繋ぐのは言葉であるとの指摘は面白い。


同じものは絶対にないという流れから、自分が認識している自己そのものにまで疑問を進めるのはスリリングでさえある。

もっとも、既に何度も彼は同じことを講演でも述べているし、書いてもいるけどね。

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2013年01月19日

Posted by ブクログ

嫌いな人は嫌いらしい。それは知らなかった。さほど、問題のあることを言っているとも思えないが。

面白く読めるものの、全体としてはやや散漫な印象である。ネットのレビューで、難しい、との声がある程度見受けられるようだが、私が思うには、むしろ、この本があまりキチンと書かれていない、ということかと思う。スケッチとしては面白いが、練られた内容とまでは言えないのではないかと。

以下の点について印象に残った。

ゼロの思想。日本人が実際に無思想なのかどうかはおいておくとして、思想、哲学にゼロを用意しておくのは、良いのではないかと思う。「数」のように思想、哲学の範囲をマイナスや虚へ拡大していくのは良いのかもしれない。

「同じ」と「違う」意識の働きについて。現実に起こる、観察できることはすべて(わずかであっても)「違う」ことであり、言葉や音声でコミュニケーションするためには、多少の差異を「同じ」と考える脳の働きが無いと成り立たない。これはもっともだと思う。

いまだに著者(70歳を超えている)に脅迫状を送る人がいるらしい。もう少し、気が長くても良いのではないだろうか、と思う。というか、実生活に影響することはまずないだろうから、本を書いたり、メディアで好きなことを言っている、あかの他人のことを、そんなに敵視する必要がそもそもないと私には思える。不思議だ。私にはないアツさだ。

私は面白かったが、ファンでなければ、わざわざ新品で買って読むほどではないだろう。古本屋で見かけたら手にとってみても良いかと思う。

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2013年01月02日

Posted by ブクログ

「唯脳論」で有名な養老孟司さんの著書。
日本人は無思想、無宗教だと言われるが、それも一つの思想のありようではないか、という主張を述べた本。

養老さんの著書は「唯脳論」を読んだ時も思ったが、切れ味鋭い発言が多くおもしろいのだが、主張があっちいったりこっちいったりで全体として何がいいたいのかわかりにくい印象を受ける。

本書の主題である”日本人の無思想論”はそれほど感銘しなかったが、意識に関する主張は興味深い。

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2012年07月29日

Posted by ブクログ

ネタバレ

養老先生がまた変な事を言い出した。
日本人には思想・哲学ははないというが、「思想はない」という思想があると。また、日本人は特定の宗教は信仰していないと言うが、「特定の宗教は信仰していない」という一種の信条のようなものを持っていると。
よく言えば多層的に、悪く言えばアイディアの羅列のように日本人の「思想はないという思想」を分析している。大まかには、日本人にとっての「世間」が欧米人の「思想」に対応すると。脳内の思考をより抽象化して上に積み上げていく作業より、下に下げて、現実との結びつきを重視するのが日本人だと。

確かに、日本人が世界に送り出したもの、「食」「マンガ」「アニメ」「武道」「建築のセンス」「電化製品」「自動車」、全て具体的な形を持っている。抽象度は低く、非言語的だ。
養老先生はやはり面白い、変な事を思いつく人だな。現在生きている日本人の中では最大の思想家だと思う。

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2012年03月20日

Posted by ブクログ

日本人には思想がない。

自我やや自己がないことが書かれている。

苫米地の考えと共通点あり。

空や無の言及。

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2009年12月14日

Posted by ブクログ

全体的に難しい・・
はぁ、私はばかなんだろうか。
うすうす気づいていてはいるのだけど

“他人の目と自分の目を、自分について「合わせていくこと」、
それが完全にできるようになれば、「心の欲するところに従って、矩をこえず」となるであろう。
それがつまり「自分を作る」ことであり、世間ではじめて働くようになった若者なら、「自分を創る」ことである。”

日本人の思想についての話。

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2015年11月12日

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