感情タグBEST3
Posted by ブクログ
初鹿島田さんにて胸かきむしられるような名前の付けられない痛くて苦しくて、その合間に一瞬だけ訪れる極上の救済体験をして、目がチカチカした。
独特な文章センス、彼女の独自の言語感覚に初めは振り回されて、自分が何を手にし、何を読んでいるのかさえ分からなくなるような気がした。
語られている二人ではない「二匹」となった少年が身体に受けた痛みや衝撃を共に感じ、彼らが走り続けて向かっていった場所へと同じように追っていったはずが、気付くと振り落とされて迷子になってしまったような感覚だった。
けれど何とか食らいついて鹿島田さんがぶん投げてくる文字に触れ続けていると、突然眼前に、私に干渉もしないが、私を当然のように受け入れてくれる優しい場所が広がっていた。
そこで「二匹」の狂犬たちは、自由に走り回っている。
決して安全そうではなく、頻繁に目を覆いたくなるような危うさが、そこには常に蔓延している。
そうしてこれからも優しくない世界と彼らの未熟な心そのものが、彼らが狂犬になって作った楽園をぶち壊してしまうかもしれないという予感が氾濫している。
しかしもう大人になった私は、そんな彼らを羨ましいと思ってやまない。
もうこれ以上は近づけることはないが、ヒトの座標空間から外れた彼らだけの言語を使い、ヒトには出来ない新しい接近から生まれた二匹の距離で、どこまでも純粋で無垢な心で命を護ることに貪欲な彼らを、出来ることならもっと強く感じて、共にこの危うい世界を狂って走り回りたいと願ってしまうのだ。
ここまで暴力的な小説に出会ったのは久々で、読み終えたのは一ヶ月も前なのに、こうしてまた手に取るとぞくぞくが止まらなくなる。
そして、これは新しい文学だ! なんて思った感動が再び蘇ってまたぞくぞく。
二匹の動物の姿は、私の中にまだ痣のようになって残っている。
そこに触れると痛くて、少し気持ちよくて、なにこれ、ほんとたまらない! 状態になってしまうのだ。
「聖なるバカに福音を!」
ああ、鹿島田さんが大好きになってしまった。
Posted by ブクログ
なんとなくこの感じに騙される。意図していることがなんであるかとか、書かれていることを追っても無駄だったと思う。すごく曖昧なところでおもしろいと言わされる、なかなか抵抗しがたい本だと思った。わからないのが怖いという弱点をもちながら、時々なんとなくこの感じわかるという少しの安ど感があって、そこにあるのは著者の想像だけという気がしてそこが好きだった。ほかの作品を読んで何かを確かめたくなる、挑戦を買いたくなるようなことを『二匹』を読んで思った。
Posted by ブクログ
案外すきです、こういう無意味な中にあるやるせなさ。そうそう書けない。
こういうやり取りって十代はじめにしかできないんじゃないのかな。
今やれって言われてもできないかも。
Posted by ブクログ
今まで読んだことのないような内容でなかなかついて行けなかったというのが本音だけど、気づいたら読み切っていた…
もう一回落ち着いて読んだら、何か見えるのかなぁ。。
Posted by ブクログ
鹿島田真希さんのデビュー作。クラスの出来損ないの男子高校生二人が、現実逃避を繰り返し、仮の狂犬病と化していく姿。諸所に色んな意味が込められてるのだろうけれど、今の私には解せなかった。
Posted by ブクログ
<「青春。青く未熟な春と書く。しかし現実は冬そのものだ」―明と純一は幼なじみの落ちこぼれ男子高校生。何もできないがゆえに人気者の純一に明はやがて、聖痕を見出すようになるが…。“聖なる愚か者”を描き衝撃を与えた三島賞作家によるデビュー作&抱腹絶倒の第35回文藝賞受賞作。>帰省し書籍整理(マイホビー)をしていたら出てきたので再読。前回より随分楽しめた。「二匹」が出版されたのは1999年のことである。しかし読んでみると、「すごく新しいかんじ」がする小説である。当時「ジャンクな日本語」と言われた表現がまさに今現在のコトバとなっているのだろうか。「狂犬病」(明は「狂犬病」にかかっているのだ)の部分が私にはきれいに理解できない。それでもこの作品はいいなあと思う。主に鹿島田真希の言語センスのよさによる。うすた京介的な稀有な言語センスの持ち主である。そしてそれらの表現を楽しんでいるとふいに訪れる「切なさ」。これぞ読書の醍醐味。