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うーん。内容は日本の思想界の変容がまさに変容してるようで、本質的なところをグルグルしてたところが日本的だよね。っていう感じなのかな?だから、そんなゲームボードを降りて、東浩紀は一人ゲームボードのルールを組み立て直してる←今ここっていう風に捉えた。
これを読みながら、佐々木敦と東浩紀の火花が論壇では散っていたので、妙なタイムリーさと生々しい批評界の現場も見え隠れした。
さて、これを書いたあとの著者の動きに注目だな。
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ここに登場する人たちについて、聞いたことはあるけどちゃんと書物を読んだことはありませんでした。(一部の人はそれなりにかじってた程度。)
けれど、彼らが「何を語ったか」というよりも「どうやって語ったか」というパフォーマティブに注目して書いた、と前述にある通り、ディティールや文脈を面白くなぞってくれているおかげで、それなりに楽しんで読めました。
ただ、知っている人にとっては物足りないし、知らない人にとっては省略されすぎている&盛りすぎているのでちょっと疲れる形になってるかも。
丁度良い前提知識量が難しい本。
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80年以降この三十年を総括してみたいという欲求があって、良いテキストをさがしているが、まずこれは十分に期待にこたえてくれるものだ。浅田、中沢、ニューアカブームは横目で眺めていたし、蓮実本も途中で投げ出しているので、ここに登場する思想家たちの本は一つも読んでいない。というのは非常に私的だけれど、まあこの時代をもろに生活人、社会人として何とか適応して生きてきた平均的日本人にとって「思想」とは何だったのかということを考える。直接彼らの本にふれていないものにとってもどこかを経由して何らかの意味があったものなのだろうか?
歴史的な記述も、個別の思想家の読み解きも著者の力量をうかがわせるもので「思想家」のような言い切りがないところにも好感をもった。あとがきでも触れられていたが次はこの人の「思想」を見たくなる。
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現代思想についてはまったく知識がなかったが、これならば割と初期知識が無くてもすんなりと読める。表面的に各思想論者と歴史・内容をなぞっていくのではなく、筆者の視点でまとめてくれているのでわかりやすい。
興味を持ったら、浅田彰やデリダ、東浩紀など読んで筆者の意見とどう異なるかを考えてみると面白いかもしれない。
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80年代の『ニューアカ』ムーブメントの勃興から90年代を経て、ゼロ年代の東浩紀の活躍までに至る日本の思想の歴史を作者目線で切り取り、ひとまとめにした一冊。
「クラインの壺」「脱コード化」「脱構築化」「ポスト構造主義」「大きな物語/小さな物語」…自分には全く聞きなじみのない単語が飛び交っていますが、
落ち着いて(平静を装って)読んでいくと、
なんとなく、ほんの僅かなエッセンスですが、わかるような(わかった気になるような)。
「ニューアカ以降の現代思想の歴史教科書」として使えるように心がけたと作者はあとがきで書いていますが、
全く予備知識もない自分ですら、体系的な日本の思想の変遷を(かなりざっくりと、ですが)追体験出来ました。
ここを足がかりとして、文中で挙げられてる書籍に手を出してみようか、という気にもさせられました。
特に90年代、ゼロ年代は自分にとって「リアル」なテーマが数多く見受けられるみたいですし…。
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「ニッポン」の思想の総まとめ本。宮台さんとか東さんに興味があって読み始めたら、さらにその前からすごい人いっぱいいたんだなーってわかった。全体的に難しい内容ではあるけど、天才たちの考え方に触れることができておもしろかった。
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2010.07 著者である佐々木敦氏の深い洞察に基づく約30年間におよぶニッポンの思想とその系譜をざっと理解できた。自分の読解力では、多分30%くらいの理解ではないだろうかと思うが、それでも非常に興味深く、痛快であった。
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私は正直柄谷行人も東浩紀も理解できていないので(でも知的スノビズムwにより読んでる)、佐々木氏は凄いなと率直に思った。
現代の視点から80年代の思想を捉えなおすという試みが必要なのではないか、と思わされた。
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80年代以降の日本における思想の変遷を、各年代で活躍した人々とともに概観。個々の思想を把握するのにはあまりに簡略化しすぎているとは思うが(本の形態の関係もあるし)、流れを知るのにはいいのでは。ニッポンの思想の特色として、思想そのものの内容よりもそのパフォーマンスに重きが置かれている、という指摘に納得。
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80年代~00年代の批評の流れを交通整理。
90年代、00年代を歴史化する評論は、近年けっこうあるが、本書は中でも分かりやすく整理されていて、勉強になった。
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クラインの壺、物語、制度、不完全性定理、相対主義、…80年台以降ほとんどの思想は、このようなある種の閉塞(すべて同一?あるいは別物?)を見出し、それを克服しようとする試みに見える。その方法は逃走だの表層批評だの命がけの飛躍だのいろいろいわれるが、具体的にどうするのかがわからない。
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浅田彰や中沢新一以降の日本の論壇を振り返る本。浅田や中沢までは読んでいたが、それ以降の動向についてはまったく関心を失っていたので、いまどんな人たちが活躍しているのかも含めて、新鮮に読めた。しかし、フランス思想の最先端をニホンに紹介し、それを日本の現実にちょっと応用してみせるようなことをやっているのが相変わらす日本の思想界の現実だということがよく分かった。
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ニッポンの文学と打って変わって(というか出版順はこっちが先だけど)、内容が全然頭に入って来ない… 思想に関する予備知識が無さ過ぎて、理解が追い付かないです。これすら入門編となると、じゃあ一体どこから入ったら良いの…?って途方に暮れるけど、とりあえず一旦積ん読きます。
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佐々木敦の本をまとめて読んでみることにした第一弾。
彼は音楽批評・文芸批評・演劇批評をする人、というイメージがあったため、「ニッポンの思想」というタイトルに思わずみじろぎしてしまった。
しかし、ふと考えれば東浩紀の批評学校にも講師として参加しているわけだし、そもそも批評は文芸誌がルーツであるらしいし、親しいのも当たり前なのですね。
ニューアカ世代の親を持つ自分としては、読んだことは無いけど本棚にある浅田彰から、宮台真司、東浩紀まで一体日本の批評がどのような流れ、対立構造等で成立してきたのか、読みやすい文章で書かれているので面白く読んだ。勿論、思想の解説本ではないので、いちいちデてくる用語の説明は無いし、す、スキゾキッズ‥?となることも多々あった。
しかし、東浩紀よりも更に下の世代からすれば、大御所の積み上げた思想の上にまた東浩紀の思想が、その若手の思想がと積み上げられており、インターネットのおかげで纏めて読むのが逆に難しくなった今、ざっと基礎を知るには適した本であると思う。
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プロローグの6ページ目に突如登場する「東浩紀もの」(厳密に言えば5ページ目のゼロアカが東浩紀を暗示しているが)から、 ニューアカ、蓮實と柄谷、福田/大塚/宮台、途中に村上隆や大塚英志を挟みながらその全てがゼロ年代一人勝ちの東浩紀に繋がるという佐々木敦の東浩紀好き好き本。「東浩紀もの」の言説を追うにはよいし、視点設定はとても面白いけど、日本の思想史なら仲正昌樹の方が良い。
終章、「東浩紀はメタのふりをしたネタのふりをしたベタ」という指摘、いい歳したオタクを拗らせたオッさんがマジになって社会を語るナイーヴな振る舞いは、『存在論的、郵便的』で指摘したパフォーマンスに自然と接続される。
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私が投稿した論文が返却されてきていろんな要求があるなか,それの対応としてふと思いついて購入した本。著者の佐々木 敦氏は音楽批評家で以前から名前は知っていたし,講談社現代新書として出版された本書のことも知っていた。
そんなことで,初めて佐々木 敦氏の著作を読んだわけだが,期待した以上の得るものがあった読書だった。
プロローグ 「ゼロ年代の思想」の風景
第一章 「ニューアカ」とは何だったのか?
第二章 浅田彰と中沢新一――「差異化」の果て
第三章 蓮實重彦と柄谷行人――「テクスト」と「作品」
第四章 「ポストモダン」という「問題」
第五章 「九○年代」の三人――福田和也,大塚英志,宮台真司
第六章 ニッポンという「悪い場所」
第七章 東浩紀の登場
第八章 「動物化」する「ゼロ年代」
講談社現代新書の帯は表紙の7割ほどを占める大きなものだが,その真ん中に大きく「この一冊で,思想と批評がわかる入門書」と書いてある。それはある意味正しくてある意味では間違っている。著者は本書で自分は思想の当事者ではなく,あくまで読者にすぎないというし,本書で検討されている作品群についても,場合によっては自分にはこれ以上理解できないと正直に書いている。本書は思想そのものを論じるものではなく,あくまでもそういう思想書が社会のなかでどのように生まれ,また受容されていったのかという,特定の時代に生まれた作品を出来事として捉えている。
私は正直,本書で取り上げられる作品をほとんど読んでいない。地理学者のなかでは思想系にはまっている部類に入る私だが,翻訳ではあるがなるべく原著を読むようにしている。浅田彰と中沢新一は雑誌『現代思想』に掲載された論文を1,2本読んだだけ,蓮實重彦と柄谷行人に至っては全く読んだことはない。九○年代の重要人物として挙げられている福田和也は名前すら知らなかったし,宮台真司も翻訳のスペンサー=ブラウン『形式の法則』と雑誌論文をいくつか。むしろ,『形式の法則』を共訳している大澤真幸はけっこう読んだ。クリプキやジジェクについては彼の影響で読み始めたといってよい。本書で出てくる主要な本として読んだことがあるのは東浩紀『存在論的,郵便的』のみだ。
私は本書を通して,本書で出てくる思想家の思想を知ることを目的としていないし,さらに進んで本書に登場する作品を読む気もない。知りたかったのは,彼らの作品が出版界を通して社会でどのような役割を果たし,どのように受け止められてきたのか,ということである。もちろん,それをきちんと調べるのは大変な作業だが,本書ではそれを可能な限り明らかにしている。
浅田彰の『構造の力』が本人が驚くほど売れ,出版界がそれらに飛びついて「ニューアカデミズム」という流行をつくり出したこと。ニュー「アカデミズム」とは名付けられたが,学術界ではむしろ冷ややかな目でみられたこと(浅田彰と中沢新一の大学就職事情にまで言及している)。表面上はお互いが批判し合っているけど,内実はそんなに変わらないこと。そして,これは私の印象にすぎなかったが,当初は積極的にフランス等の思想を取り込むことで自説を組み立てていたように,外向きの力が働いていたが,それが徐々に内向きの力を持つようになり,日本国内で充足する思想になっていくということ。そんなことを明らかにしています。
ただやっぱり気になるのは,あくまでも読者の視点で,冷めた目で本書が書かれているとはいえ,そういうものを読んでこなかった私とは違って,著者は好んで読んできたとう違いがある。そのせいか,あるいは新書であるが故の分かりやすさを重視したためか,八〇年代から始まって,九〇年代,そしてゼロ年代と,そういうように時代区分を明確に論じるのは,まさに内向きになったゼロ年代の研究者と同じやり方である。時折厳しい論調で書いてはいるが,あくまで批評であって,批判ではない。
まあ,それはともかく佐々木氏の本業の著書も読まなくてはと思った次第。
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日本の哲学家、思想家について軽くさらうことができる、読みやすくまとまっている入門書。各思想家の主張や偏り具合が上手く要約されている。この本で掲載されていない思想家もいるだろうし、そもそも思想家の選び方自体に筆者の主観が含まれておりはするものの、現代思想の初心者にとって読む価値はある。
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1980年代からゼロ年代までの、日本の現代思想を分かりやすく整理した本です。
「ニュー・アカデミズム」と呼ばれた、浅田彰と中沢新一の活躍から説き起こし、理論的な補強をおこなった蓮實重彦と柄谷行人、90年代をリードした福田和也、大塚英志、宮台真司、そしてゼロ年代に「一人勝ち」を収めた東浩紀の仕事を総覧しています。
現代思想の担い手たちを、「思想市場」におけるパフォーマティヴな振舞いという面から、次々と主役が交代する一幕の劇のように描き出しており、たいへん分かりやすいのですが、同時にそうした現代思想という「場」に対するある程度の批評性も担保されているように思います。
著者は、思想と呼ばれる営みには世界を変革しようとするものと、世界を記述しようとするものがあると言い、初発の動機としては前者であったはずのものが、「現代思想」という場におけるパフォーマンスがくり返される中で、いつのまにか後者へとすり替わってしまったことを、「ニューアカの悲喜劇」と呼んでいます。そして、椹木野衣が「悪い場所」と名づけたような閉域として、あるいは福田和也が「虚妄としての日本」と呼んでアイロニカルに肯定して見せたような場所として、「ニッポンの思想」を理解し、やがてそれが東浩紀のデータベース消費論と呼応するような、徹底的にベタな「思想市場」というゲームの上での戯れに帰結したことを論じています。
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平坂書房で購入する。読みやすい本でした。登場人物を絞ったことは、いいことです。前半の主人公は、浅田、中沢、柄谷、蓮実の4人です。後半の主人公は、福田、宮台、大塚、東の4人です。そんなに間違った人選ではないと思います。1980年代前半、浅田彰ブームがありました。僕のような思想に無縁な者ですら、その名前を知っていました。残念ながら、その本を読むことはありませんでした。別に、今も、昔も、分かりもしない難しい本を読むのは嫌いではありません。にもかかわらずです。正直、理由は分かりません。この本も、多くの読者がつくような本ではないと指摘しています。基本的に、読むことではなく、購入するだけで、多くの読者の知的スノビズムを満足させただけだと指摘しています。この指摘は、正しいと思います。同時に、悪い時代ではなかったような気がします。後半に登場する思想家は、前半に登場する思想家のように本を売ることが出来ませんでした。そのため、東さんだけが一人勝ちの状態になっています。思想家を育てるには、その思想家を理解できる読者だけではなく、僕のようなその思想家を理解する能力のない読者が必要なことが理解できました。そんなところでしょうか。
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最近、SNSの発達もあり、マスコミで見ない日は殆どない批評家の方々(宇野さんとかびっくりするくらい露出してますよね)。どういった変移があって現在の言説が為されているか、その歴史を80年代=ポストモダン以降から遡って説明しています。さくっと概要掴むには良いと思います。
個人的には、柄谷行人と東浩紀の繋がりを知りたかったので、3、7章が興味深かったです。これらを踏まえて、もう一度「探究」を再読し、「存在論的、郵便的」に手を出してみたいと思います(全く読める自信が無いけれど…)
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[ 内容 ]
クラインの壺、脱領土化、天皇論、「悪い場所」論、物語消費、郵便的、動物化―この30年の論壇を読み直す試み。
[ 目次 ]
プロローグ 「ゼロ年代の思想」の風景
第1章 「ニューアカ」とは何だったのか?
第2章 浅田彰と中沢新一―「差異化」の果て
第3章 蓮實重彦と柄谷行人―「テクスト」と「作品」
第4章 「ポストモダン」という「問題」
第5章 「九〇年代」の三人―福田和也、大塚英志、宮台真司
第6章 ニッポンという「悪い場所」
第7章 東浩紀の登場
第8章 「動物化」する「ゼロ年代」
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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毛利先生の『ストリートの思想』とは対照的な同時代を描く。しかし、東浩紀一人勝ちという10年代の予測はあくまで思想界隈の存在感の話であり、10年代に価値ある思想がそれしかなくなったというわけではない。
本が売れる売れないに関わらず、重要なテキストは多いと考える。
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80年代の浅田彰から0年代の東浩紀までの日本の思想シーンを紹介。主な登場人物を極限まで絞り込んだせいで、相当おおざっぱで、海外との関連もわからなくなってるけど、かわりにかなり見通しがよくなってる。たったこれだけの人物で、ここ30年の思想の流れが何となくわか(ったような気にな)ってしまうのはすごい構成力。実はそれだけ思想ってものが限られたプレーヤーによるものだったということなんだろうか。
やはり読んでいて思ったのは、浅田彰はやっぱりスーパースターだったんだな、ということ。浅田彰の考えや立ち位置が良いのか悪いのかという判断は抜きにしても、80年代以降の思想界では別格だったことは間違いない。なにしろ、これだけ明晰で軽やかなプレーヤーはほかにはいない。現代思想を俯瞰するのに浅田彰から始めなくちゃいけないってのは当然のことかもしれない。
よくよく考えたら、浅田、蓮實、柄谷の80年代組の著作しか読んだことがない。ひさびさに、思想っぽい本でも読んでみようか。
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システムがよくなると人間が堕落する
人間を変えようとすると結局差別的な問題が浮上する
それを回避しようと思想家は新しいシステムを夢想してふりだしに戻る
思想をプロレスに例える事もあるけど
思想には最初から「殺し」が入ってないのです
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丸山真男の「日本の思想」が指摘した「日本の思想的座標の欠如」が、未だに何らの進展も変化も見られないままそっくり本書に持ち越されていることが見出されるにいたって、書名のパロディ以上に悲壮な日本の思想の現状が浮き彫りにされている気がしてならない。けっして前世紀のニューアカの軌跡を懐かしむ本ではないと思うのだけれど……。