【感想・ネタバレ】ドストエフスキー『悪霊』の衝撃のレビュー

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Posted by ブクログ

 私にとって『悪霊』はドストエフスキー作品への入り口であり、大学の講義のテキストとして強制的に読まされたにもかかわらずその破滅的な物語の魅力に今でもとりつかれている。この本は亀山郁夫先生とリュドミラ・サラスキナさんのトークセッション及び後日亀山先生がメールで送った質問表と、サラスキナさんの回答で構成されている。
 例えばスタヴローギンと『罪と罰』のラスコーリニコフはどちらも美形の青年として描かれているが、最初から自殺する道しかないスタヴローギンと、ソーニャによって救われたラスコーリニコフはどう違うのか。『罪と罰』から『悪霊』までの5年間に、作家の心理にどのような変化があったのか。亀山先生の数々のディテールへの突っ込みと、サラスキナさんのロシア人研究者ならではの回答はどれもドストエフスキーファンにとってはたまらなく面白いものである。彼女の「一線を越えた人物の本質とは、犠牲者の目で世界を見ることがないというところにある」という一文はとても印象に残っている。また、スタヴローギンが選んだ縊死は、キリスト教社会では最も醜い自殺方法とされる(ユダと同じ)という指摘も興味深かった。
 この複雑で死の色が濃い物語を「全編に漂う、登場人物相互の不信感と敵対心」「この小説はある町の”集団ヒステリー”を描いている。僭称者たちによる権力の乱用によって町の人々の心に入り込み、一人残らず混乱させていく」と要所要所で総括しているのも自分の理解と一致していて深くうなずける。

 『悪霊』のモデルはネチャーエフ事件であるが、当時のロシアの民主主義者たちはこの小説の登場人物のようにはならないと反発。だがやがてテロリズムが横行し、政治的な動機を持つ殺人は正当化されて小説が示した教訓は生かされなかった。ここは難解だが非常に読みごたえのあるところ。
 ただ、過去の著作からも大変なロマンチストであることが窺える亀山先生による長いプロローグと終盤の「アウラを求めて」の章がかなり読みにくく、サラスキナさんによる「アイスランドのスタヴローギン」もあまり興味が湧かなかった。本編はとても面白いだけにそこが残念。

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2021年11月12日

Posted by ブクログ

 ドフトエフスキーの五大長編の中で、もっとも解釈に苦しむ「悪霊」。この作品につき新訳で知られる亀山氏、ロシアの研究者サラスキナ氏の討論と質疑応答を中心に組み込んだ、文学好きには必読の書。

 特に主人公スタヴローギンの「告白」の取り扱い方と解釈。また、彼のエルサレムからヨーロッパを縦断し、アイスランドに至る放浪をどのように位置づけるのか。という二点がヤマ。

 ロシア正教とその異端、ここのところが事前の知識として必要である。正直、自分はスタヴローギンのアイスランドへの渡航を、作者はどのようなバックボーンを得て作品に入れたのかを解説した終盤の部分にもっとも興味をそそられた。

 「悪霊」そのものを一度しか読んでいないので、とてもではないが、この考察には全てついて行けなかった。

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2012年05月12日

Posted by ブクログ

亀山氏が学生時代に「悪霊」に出会った衝撃は他のドストエフスキーの作品以上に強かったという思い入れの強い作品をロシアの第一人者と語った記録です。ラスコーリニコフとスタヴローギンの相違点、なぜ悪霊の主人公は醜悪な存在として著者は意識して書いたのか?ここまでリアリティがあるからにはモデルはあるのか?作者本人か?などと謎を二人で語っていくこの本はぞくぞくするほど魅力的です。登場人物の解き明かしも明快であり、また読みたくなります。この2人の読み方の違いもあるのが、一層興味を深めてくれています。キリストに対するスタヴローギン、ピョートル、キリーロフ、シャートフの4人主要人物の立場の違いの表現は一言が実に端的にものがったっています。「私にとってキリストは存在しない」「私はキリストの代わりである」「キリストが存在しないなら、それは私である」「キリストがいるなら、私も存在する」

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2013年08月26日

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