【感想・ネタバレ】知性の限界 不可測性・不確実性・不可知性のレビュー

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科学哲学の大家 高橋昌一郎氏の限界シリーズ

前著 理性の限界の前振りから

選択の限界 グー・チョキ・パーの三つ巴の状態では、二者選択の残りが勝者となることがある
科学の限界 科学者が不可能を言ったものも、のちに撤回されて実現されている
知識の限界 ゲーデルの不完全性定理、数学、論理学自体に矛盾を含んでいて、じつは不完全である。

言葉は不完全なので、科学的なやり方に従って世界を実証しようがテーマ

気になったこと

・ヴィトゲンシュタインは、過去の「哲学的問題」は「言語的問題」にすぎない
 言語そのものが不明瞭なものであるので、哲学、美学で取り上げられてきた問題は実は問題と呼べない

・ヴィトゲンシュタインの結論 語りえないことについては、沈黙しなければならない

・『論理哲学論考』には、語ることができないにもかかわらず、「語りえないこと」があると認めている。

・ウィーン学団は、ヴィトゲンシュタインのスローガンをさらに進めて、世界を論理によって分析し、科学によって実証して認識しようとする「科学的世界把握」の立場を掲げました。

しかし、ゲーデルは、不完全性定理によって、論理学から全数学を導くことができないことを明らかにしてしまいます。

このことによって、ウィーン学団は、科学的な手法を失ってしまいます。

ふたたび、言語にもどってくるも、言語理解にも限界がある、相互理解という理想こそが幻想である

観察は常に一定の理論を背負っているわけで、理論に基づかない観察は存在しないといっています。

これを、観察の理論負荷性といい、演繹法をうしなった科学の帰納的アプローチである。

・帰納法のパラドックス:ニュートン力学は、人間がかかわる大半には、正確に予測することができている

・現実は、複雑系の中で成り立っていて,容易に予測はできない。

・なので、科学は論理的であるにもかわらず、現実を帰納的な方法でないとアプローチができず、演繹的でなければならない科学の検証方法に帰納法を使わなけれがならない矛盾が生じる。

これを帰納法の正当化という。

・ファイヤアーベントの「方法への挑戦」が紹介されていて、単に科学理論ばかりではなく、あらゆる知識について、優劣を論じるような合理的基準は存在しないというものだ。

ファイヤアーベントが言いたかったのは、何も科学を否定しているわけではなく、既成の方法論にこだわるなということいっている。科学と非科学、西洋文明と非西洋文明、合理主義と非合理主義は、それぞれどちらもおなじだけの権利で存在するということいっている。

どうやら、結論は、限界があるので、科学と理性にばかりたよるな。と理解しました。

目次

序章 シンポジウム「知性の限界」開幕「理性の限界」懇親会場より

第1章 言語の限界
第2章 予測の限界
第3章 思考の限界
おわりに
参考文献

ISBN:9784062880480
出版社:講談社
判型:新書
ページ数:279ページ
定価:900円(本体)
発行年月日:2010年04月20日 第一刷

高橋昌一郎氏の著書

■20世紀論争史~現代思想の源泉~
■ゲーデルの哲学 不完全性定理と神の存在論
■ノイマン・ゲーデル・チューリング
■フォン・ノイマンの哲学 人間のフリをした悪魔
■愛の論理学
■科学哲学のすすめ
■自己分析論
■実践・哲学ディベート
■小林秀雄の哲学
■哲学ディベート
■東大生の論理
■反オカルト論
■理性の限界 不可能性・不確定性・不完全性
■知性の限界 不可測性・不確実性・不可知性
■感性の限界 不合理性・不自由性・不条理性

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2023年01月18日

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内容はちんぷんかんぷんでした。本読んで眠気がきたの久しぶりです。でも、色々な○○主義者がでてきて、噛み合わないディベートしてる様子がとてもおもしろかったです。長々と持論を展開する○○主義者たちに、司会者が「その話はまた別の機会にお願いします」と何度もピシャリといってのける場面は、ほんと笑えます。笑笑

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2021年05月17日

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ディベート形式の内容は最初ちょっと食わず嫌いだったが、読んでみると作者の狙い通りに、知的好奇心を刺激される面白い本だった
1作目となる理性の限界は未読なので是非読みたい

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2019年02月09日

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『形而上学者:そうなのですが、彼が科学を発展させるべきだと言っているのは、人類を幸福に導くためではなく、人類があらゆる知識をもって「宇宙的無意識」を「宇宙的意識」に進化させ、宇宙が二度と生命を生みだしたりしないように、絶対的に宇宙そのものを消滅させる方法を見つけるためなのです!

会社員:わかった!つまり、宇宙自身が自殺するということですね!

形而上学者:そのとおりです。二度と「存在の悲劇」が繰り返されないように、宇宙を永遠に消滅させるということです。』

分かりやすく面白い哲学解説書。デフォルメされた議論の参加者の発言が特徴を捉えていてうける。ハルトマン、ファイヤアーベント、ポパー、ロールズの著作はいずれちゃんと読みたいなぁ〜。

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2018年01月05日

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本書は知性に関する議論を様々な視点から眺めるにはとても役立つ入り口だと感じました
様々な議論の導入が概観できるので、次に何を読もうか迷っているときに開きたい本です。

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2017年11月01日

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 ネットの『理性の限界』評を読んで、本屋に駆けつけ、『知性の限界』を買ってきてしまった。こっちを先に読んだ方がいいかもとは著者の弁であるから、怪我の功名だが。

 『理性の限界』同様、架空のシンポジウムが組まれ、論理実証主義者、哲学史家、数理経済学者、複雑系物理学者、方法論的虚無主義者などが侃々諤々の議論をし、フランス国粋主義者やら、精神分析学者やらが茶々を入れる。いろいろな立場を説明するのに、総花的にやるより、高橋昌一郎氏が「××論者」になりきって極端な意見を述べた方が論旨が明快というわけである。そのうえ何とか論者たちが難しい話にはいっていくと司会者が「もっとやさしく」と言ってくれるし、議論が脱線すると「その話はまた別の機会に」と言って、本書に書ききれない議論のふくらみを教えてくれるという仕組みになっている。
 「言語の限界」「予測の限界」「思考の限界」の三章で、副題には「不可測性・不確実性・不可知性」とある。取り上げられたテーマの主要なものはだいたいかじったことがあるのだが、もう一度勉強させてもらうとともに、帯にもあるように、「哲学から経済学、宇宙論まで」様々な関連をたぐっていくところが、たいへん刺激的であった。そうすると、あっちもこっちももう限界だ、どうにもならない、ということがよくわかる本である。

 後書きに『理性の限界』に対して「理性にも科学にも限界はない」と大槻義彦氏に叱られたとあるが、この限界とは原理的に予測不能であったり、確実性を得ることが不可能だったり、どうにも知り得なかったりということである。こうしたわれわれの知性の状況についてノイラートという学者が、大海に投げ出されてすでに海上を走っている船にたとえているという。エンジンに故障が見つかれば修理して、別の故障がデッキに見つかればふたたび修理して、とにかく沈没しないようにしながら、走り続けるしかないというのだが、なんて勇気づけられる言葉であろうか。
 なに、人生だってそういうものだ。限界があるときにこそ、人間の創造性は最大限に発揮されるのだ。

 それでは『理性の限界』を買いに行こう。

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2016年02月11日

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文句なく、面白い。
知的好奇心をくすぐられる本だっった。
理性の限界が前作のようなので、そちらも読みたいと思う。

遠目で読むと、コント。
じっくり読むと、関連した本を探し読みたくなる。
(実際辞書や関連本を見ながら読み進めた。)

これ、家に欲しい本です。

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2015年11月30日

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ネタバレ

最高だ。笑った。こういう文章を書きたい。知識を使ったコメディ。
わたしやっぱフランス国粋主義者好きだなー。ねじ曲がってるとことか話が長すぎるとことか。
それと聞いたことある話が多かったけどファイヤーアベントの話は新しかったので新鮮だった。

ロマン主義者は日常で出会うと嫌いだけど、こういうガチガチの人たちに囲まれている場合には癒し系に映るね。

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2015年07月20日

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それぞれの立場の登場人物がディベートをする形式で、哲学、科学、宇宙論、神の存否等々を論じるなかで、不可測性、不確実性、不可知性などを探求する、大変に好奇心を掻き立てられる書です。理性の限界も読み直さないとと思いました。

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2015年04月16日

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序章 シンポジウム「知性の限界」開幕ー「理性の限界」懇親会場より
第1章 言語の限界
1.「論理哲学論考」のパラドックス
2.ウィトゲンシュタインの言語ゲーム
3.指示の不可測性
4.言語理解の限界と可能性
第2章 予測の限界
1.帰納法のパラドックス
2.ポパーの開かれた宇宙
3.予測の不確実性
4.未来予測の限界と可能性
第3章 思考の限界
1.人間原理のパラドックス
2.ファイヤアーベントの知のアナーキズム
3.究極の不可知性
4.人間思考の限界と可能性

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2014年03月18日

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「理性の限界」の続編である。今回はウィトゲンシュタイン、ポパー、ファイアアーベントらの思考を中心に、世の事象をどのようにとらえるべきなのか、についての議論がなされている。特に、自然科学において常識と考えている理論化の限界については非常に興味深い内容であると感じた。但し、素人にも理解しやすいように平易に書かれているものの、後半の宇宙論や存在論は難解であり、理解が難しかった。

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2014年01月27日

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「知性の限界」高橋昌一郎
哲学思考ディベート。無色。
講談社現代新書。

2冊目も流し読み…ですがやっぱり面白い。
もともと本屋でこちらを手にとって、先に1冊目があるということで「理性の限界」「知性の限界」と読みました。
スルメのように、ちょっと読んだだけでもイイ味出してる、さらに読み込んだら味わい深い、そんな哲学本。

本書では、ウィトゲンシュタイン、ポパー、ファイヤアーベントを軸に取り上げながら、
・クワインの不可測性…「ウサギ」が〈その動物〉を指示するかどうかは語り得ない
・ナイトの不確実性…統計・確率で予測不可能な"起業家への投資リスク"が存在する
・カントの不可知論…純粋理性が陥らざるを得ない4つのアンチノミーは、認識の形式が〜
などなどを取り上げています。

立ち向かって考えないと!と感じたのは、方法論的虚無主義者の言う、「何でもかまわない」『理性よ、さらば』。
そして、形而上学に帰ってくるという、なんというスリリングさ!「形而上学者」なんて見たとき笑ってしまった。

2冊続けて読みしめるのがオススメ。たぶん、本棚に入っていれば、折に触れて拾い読み返しできる良書です。(5)

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2013年08月30日

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ネタバレ

対話形式で不可逆性や不確定性について解説され非常に読みやすい。カント主義者の言動に悪意を感じるが笑。

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2014年05月31日

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前著「理性の限界」の姉妹編になる作品で、「理性の限界」のシンポジウムが終わった所へ、女子大生が駆け込んでくる所から話は始まる。
「ウィトゲンシュタインのパラドックス」「ニューカムのパラドックス」「バタフライ効果と複雑系」「宇宙論的証明と存在論的証明」などが、今回もシンポジウム形式で分かりやすく紹介されている。

前著「理性の限界」は、運動選手がA子さんを競技に誘うところで終わったが、今回のシンポジウムでも「また僕の競技を見に来てくださいね!」と言って終わる。「また」ということは、シンポジウムは数日間行われていて、シンポジウムが行われなかった日に実際に見に行ったということだろうか。ともかく、運動選手はA子さんとの関係を着実に深めているようで何よりであった。

第一章では、「世界が集団の言語習慣に基づいて無意識のうちに決定される」という、サピア・ウォーフの仮説が紹介されている。同じような話を飲みの席でしたことがあるが、友人には「屁理屈」とあしらわれた記憶がある。
簡単に言えば、あなたの「赤」は、私の言う「赤」と同じであるかという問題で、本の中では虹の例が出ている。日本で虹は7色あるといわれているが、国や時代によって様々で、アメリカでは6色、ドイツでは5色、昔の日本では2色といわれていたこともあったようだ。

登場人物の一人である日本文化論者は、「高浜虚子でしたか、『虹を見て思ひ思ひに美しき』という名句がありましたね……」といった。虚子は認識の不確実性という根本的問題を示唆しながら、ある意味では当然のことをシンプルに句として残している。こういうものを「名句」というのだろう。

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2020年05月28日

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限界シリーズの2冊目。前作よりも哲学色が強くなり、言語、予測、思考の限界に分けて同じメンバーによるシンポジウム形式で議論される。ウィトゲンシュタイン、ポパー、ファイヤアーベントという異なる哲学者たちの人生と思考に触れることができた。
第2章、予測の限界におけるバタフライ効果は、現在のコロナ感染の広がりを意識させられた。
また、サイエンスウォーズの発端となるソーカルの論文が面白かった。数学や科学の自然用語を文系学者が理解もせず勝手に濫用していることを痛快に批判しているのだが、レベルは違えど、文系の私も理系用語を用いて何か表現するときには注意しなくてはいけないなと感じた。
1人1人の人格を作り出し、架空のシンポジウムで多様な議論を行わせる著者が本当に素晴らしいと思う。フェミニストとロマン主義者はなぜ呼ばたのだろう…というのと、忘れたころにやってくる運動選手の大学生へのアピールが面白かった。

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2021年01月20日

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それぞれの立場の会話形式で面白く読み進無事ができた。
知らない言葉などもあったのであとで調べてみようと思う。
個人的に面白かったのは途中でちょこちょこでてくる急進的フェミニストが急進的すぎてツボでした

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2020年12月30日

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言語、予測、そして思考の限界を仮想ディスカッションの形式で読み解く「限界」シリーズ2作目。
相変わらず、議論を通しての引用が巧みである。

ソーカル事件は衝撃的だったし、ドーキンスの逸話はほつまこりさせられた。
そしてホイルの自説は突拍子もないようでいて、もしかしたらそうかもしれないという気持ちにさせられるパワーがある。

「限界」を銘打っているが、人類の限界はここだと蓋をするものではない。
現時点での臨界点を描き、その最先端でなされている研究や議論が可能な限りわかりやすくときほぐされ、多くの読者がこういった知的臨界点に飛び込むよういざなっている、そんな印象を受けた。

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2019年11月28日

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「知性の限界」高橋昌一郎


どんな方法を用いても人間は100メートル走で9秒37の壁は破れない。なぜなら、人の運動能力が身体の物理的、遺伝的性質によって制限されてるから。スタートタイミングの反応時間も0秒1を切る事はできない。

時間を直線的に遵守するのは、個人主義的なモノクロニックタイム文化圏、時間をより流動的で螺旋状に捉えるのは、集団主義的なポリクロニックタイム文化圏。

パーティの開始前に到着して待っているのが日本人、開始ちょうどにドアをノックするのがイギリス人、20分遅れるのがフランス人、30分遅れるのがイタリア人、40分遅れるのがスペイン人。1時間後にイラン人、2時間後にポリネシア人で、その頃ようやく自宅から出かける準備を始めるのがメキシコ人。

形態学的には、火や道具を用いて調理するようになった事から、食物を噛み切る為の強靭な顎が退化し、顔面は平均化して重量化した脳を支える為に頭蓋骨が発達し、首は真っ直ぐになって咽頭が下がり、頬や唇の周辺筋肉が発達する事で豊かな発声が可能になった。この奇跡的な言語の出現を閃光的発現(フルグラチオン)と呼ぶ。

光は電磁波であり、人間の目で認識できる光線は波長4,000-8,000オングストロームの可視領域にすぎない。赤より長い波長領域は赤外線、ラジオ短波、テレビ長波があり、紫よりも短い波長領域は紫外線、X線、ガンマ線があり、可視領域よりも遥かに広域。

理論に基づかない観察は存在しない事をハンソンの「観察の理論負荷性」と呼ぶ。

ある独立的な事象がより多く観察されればされるほど特定の事象の発生する確率が一定値に接近する事を大数の法則と呼ぶ。

大数の法則を適用して予測可能なのが「危険性」、大数の法則を適用できない為に予測不可能なのが「不確実性」。

現在の事象が過去の事象を引き起こす考え方は「遡及因果」と呼ぶ。

宇宙を支配する6つの物理定数
・相互作用の核力
・原子を結合する電磁気力の強さを原子間に働く重力の強さで割った数
・宇宙で重力エネルギーが膨張エネルギーに対してどれだけ大きいかを示す数
・宇宙の反重力の強さを示す数
・宇宙の銀河や銀河系団の静止質量エネルギーと重力エネルギーの比率を示す数
・宇宙の空間次元数

脳の歴史は、約5億年前のホヤに出現した神経管にあり、魚類両生類爬虫類では脳の大部分を神経管の膨らんだ脳幹が占め、鳥類哺乳類になると小脳と大脳が大きくなり、霊長類で大脳に新皮質が発達して初めて高度な知性が生じる。

生物の脳は、構造に合わせて設計されたものではなく、新たな機能が継ぎ足されて進化してきた。

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2019年03月29日

Posted by ブクログ

この本は不可能性定理、不確定性原理、不完全性定理をベースに哲学という視点で現代の事象を解説しようとしている。最終的には知性には限界がないといいたいのだと思う。複雑系、帰納法と演繹法、リスクと不確実性、人間原理、形而上学、ストリング理論。これからは哲学及び人は何のために生きるのかを考えていきたい。

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2018年09月29日

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93ページの「理論の決定不全生」が良い。
内容としてはよくある話なのだけど、この対話形式でどんどんと進んでいく感じが他の書にない魅力があって面白い。

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2017年11月30日

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新書らしくわかりやすい文体で書かれているが、興味深い内容もミスリードが起きないように書かれている。
良い本じゃないでしょうか。

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2016年04月19日

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限界シリーズの一環で読む.全体に言えるけど,最初は簡単な例から,後半はそれなりの例を,という構成で物語への入り込み方は秀逸.僕はちょっと登場人物がウザく感じる(笑)

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2014年01月10日

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ネタバレ

ゲーデルは、不完全性定理によって、論理学から全数学を導出することができないことを明らかにしましたが、さらにタルスキーは、「真理性」を対象言語内で定義できないという事実を厳密に証明しました。すなわち、「ゲーデル・タルスキーの不完全性定理」によって、ウィーン学団が理想とする普遍的言語やそれに基づく統一科学も、厳密には実現不可能であることが立証されたわけです。皮肉なことに、ウィーン学団の「論理学という武器」によって、論理実証主義の理想が破壊されたのです。p54

【クワイン「指示の不完全性」】p81
たとえば、英語をまったく知らない人に"table"を教えるため、その語を発音しながら、テーブルを指したとしましょう。しかし、相手は、必ずしもそれが物体の名称を指すと認識するとは限りません。その発音は、テーブルの色や材質、部分や全体、あるいは使用法を意味しているのかもしれません。要するに、その発音が何を指示しているのかを絶対的に確定することはできないわけで、この事実をクワインは「指示の不可測性」と呼んでいます。

【ハンソン「観察の理論負荷性」】p93
近代科学が前提とする「帰納法」は、何よりも多くの個別的事例を「観察」して、それらの共通する普遍的パターンとしての「理論」を発見する方法でした。その集大成ともいえる論理実証主義においては、あらゆる経験的知識が、「純粋な観察」の集積によって与えられるものとみなされたわけです。
ところが、ハンソンによれば、そのような「純粋な観察」は、存在しません。「観察」は、常に一定の「理論」を背負っているわけで、「理論」に基づかない「観察」は存在しないのです。これをハンソンは「観察の理論負荷性」と呼んでいます。
Eg. 医師→レントゲン、音楽家→楽譜

【演繹法と帰納法】p118
そもそも人間の思考というか、推論の形式は、大きく2種類にわけられます。
・「演繹法」:普遍的な前提から個別的な結論を導く推論方法。
・「帰納法」:個別的な前提から普遍的な結論を導く推論方法。Eg. 日はまた昇る Cf. 「自然の斉一性原理」「効率的市場仮説」

「自己組織化臨界状態」≒「バタフライ・エフェクト」p184

ケンブリッジ大学の宇宙物理学者スティーヴン・ホーキング「人類は、銀河の千億個の中の一つの、しかもその中心から外れた位置にある平均的な恒星を回る中規模の惑星の上に生じた化学物質の浮いたカス」p194

ファイヤアーベント『暇つぶし』⇔カール・ポパー『果てしなき探求』p208
「方法論的アナーキズム」なんでもかまわない

【「目的論的証明」とインテリジェント・デザイン】p234
18世紀のイギリスの神学者ウィリアム・ペイリー→草原で拾った腕時計、虫や植物

【カント:宇宙論的理念を考察する際に純粋理性が必然的に陥らざるをえない4組のアンチノミー(二律背反)】p240
<宇宙論、原子論、自由意志、神>
①「世界は時間的・空間的に有限である」と「世界は時間的・空間的に無限である」
②「世界のすべての実体は単純な有限部分から合成される」と「世界のすべての実体は無限に分割できる」
③世界の現象は自然法則および自由意志による因果性を有する」と「世界の現象のすべて自然法則による因果性を有するのみであって自由意志は存在しない」
④世界の原因として絶対的必然的な存在者が実在する」と「世界の原因として絶対的必然的な存在者は実在しない。

ノーベル賞を受賞した物理学者スティーヴン・ワインバーグ「宇宙が明確になるにつれ、宇宙に意味がないこともますます明確になってくる」p252

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2013年12月16日

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☆4
色とりどりの知的刺激が魂を揺さぶる、とても面白い本だよ!

ウィトゲンシュタインが言う「言語的問題」にとても共感したよ。
私たちは、考える時に道具として「言葉」を使う。すると、ある言葉の定義が人間にとって普遍的なものでない限り、言葉によって考え出された理論は人間にとって普遍的な真理となるはずはないのではないか、というのが私のかねてからの疑問だった。
そこに明快な見解が示されており、更には自己矛盾まで含んでいるなんて!ここがこの本で一番興奮した部分かな。

他にも、帰納法の落とし穴やバタフライ効果など興味津々な話題あり、ビッグバンから原子が創られ人間に至るまでの途方もない数の偶然に愕然とするよ。
最後にはエヴァンゲリオンを彷彿とさせる「宇宙的意識」なんて考え方にも足を突っ込むことができる。巻末の参考文献から、自分の興味をどんどん広げていきたいと思ったよ!

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2014年11月03日

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?言語の限界
→究極的には、概念(単語)は共有できない
ヴィトケンシュタインの言語ゲームの話
ラカンの玉葱の話と同一

?予測の限界
帰納の限界。本質的には帰納には根拠はない。
複雑系、地震予測の話。頻度の予測は出来ている(切り口による)

?思考の限界
ファイヤーベントの知的アナーキズム。
ホパーの反証主義すら、うまく機能しないケースは歴史に存在。(間違って、社会的に?反証される)

人間原理。宇宙パラメーターの微調整の捕らえ方。
強い人間原理と弱い人間原理。
一般的な人間原理は弱いほう。強いほうは、グレッグイーガンの万物理論の元ねたか?

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2021年06月24日

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【感想】

本書は、「とあるフォーラムに集まった多種多様な人々が、思い思いにポジショントークをする」という舞台設定の中で、古今東西の哲学的論考を柔らかく解き明かしていく。テーマはタイトルにある通り「不可測性・不確実性・不可知性」だ。
タイトルだけを読むと難解な本という印象を受けるが、開いてみると真逆のコメディタッチ。小気味よくお話が進行していくため、その面白さから一気に読み終えてしまった。

「哲学ディベート」は扱っているテーマの複雑さから、えてして議論が難解になりがちであるが、この本は全く違う。
女子学生、会社員、哲学者、科学者から運動選手まで、様々なキャラクターたちが好き勝手に議論を脱線させ、ポジショントークを飛ばす。哲学ディベートというよりも厄介オタク達の推し語りだ。
オタク達の「ところで、違う話だが…」という豆知識と、司会者の「そのお話は、また別の機会にお願いします」との掛け合いが、ストーリーに緩急を与えてくれる。深みにハマり始める哲学議論を、これ以上過熱しないようにリセットしてくれる。

こうした、説明すべきところと簡略化すべきところのさじ加減が非常に上手いのが、本書の味の良さを生んでいる。自明の部分であっても説明を省かず、かといって解説しすぎでも無い。「哲学を知らなくてもなんとなくわかる」をキープするバランス感覚の良さ、これが哲学本とは思えないほどのテンポの良さに繋がっているのだろう。

哲学って難しいという感覚をお持ちの方に、是非おすすめしたい一冊だ。


【本書のまとめ】

1 思考の限界
ウィトゲンシュタインの論理実証主義:
「過去の哲学的問題は言語から生じる問題にすぎない。道徳に関わる問題は、使用する言語(とその言葉の定義)が不明瞭なために生じる問題であって、いくら話し合っても無意味」
「語りうることは明らかに語りうるのであって、語りえないことについては沈黙しなければならない」
=明らかに語りうることは、日本の首都や数学の公式やら、真か偽かを「論理的」に決定できること、あるいは事実か否かを「経験的」に実証できる言語に限られ、それ以外の言語使用(例:神とはなにか?)は無意味である。

これを拡張していけば、哲学は消え去り、自然科学だけが残る。

これに対する反論:ゲーデルの不完全性定理
第1不完全性原理
「矛盾の無い理論体系の中に、肯定も否定もできない証明不可能な命題が必ず存在する」
第2不完全性原理
「理論体系に矛盾が無いとしても、その理論体系は自分自身に矛盾が無いことをその理論体系の中で証明できない」

つまり、この世界にそもそも「矛盾の無い論理体系」というものは存在しないということ。

反論その2:
真か偽かを決定する「有意味性判定基準」が曖昧である。論理実証主義を幅広く活用しようとすればするほど、あまりに多くの日常的概念を無意味としなければならない。


2 言語の限界
思考は言語に依存し、言語は生まれ育った文化圏に依存する。現実世界は、「集団の言語習慣に基づいて無意識のうちに築き上げられたもの」である。
虹の色数が国によって違うように、その言語は、言語外世界の特定の対象に「完全に」対応しているとは確定できない。言い換えれば、言語を超えては「完全に」語り合えない。これは、目の前の赤色が人によって違う色に見える可能性があるように、物体を認識する同言語話者の間でも起こりうる。いかなる指示対象や翻訳にしても、認識が完全に一致するとは限らないのだ。


3 予測の限界
これまでもそうだったから、明日も「日はまた昇る」に違いないという推論が帰納法。未来の予測には帰納法が多く取り入れられてきたが、これまでも当てはまったからといって、これからも当てはまるという保証はない。帰納法を使った推論を前提に置く思想を「歴史法則主義」という。
ポパーは、1945年に発表した『開かれた社会とその敵』において、さまざま思想家たちが「歴史法則主義」を前提としていることを提示し、徹底的に批判した。

未来を予測する際のターゲットとなる「確率」には2種類がある。
危険性…保険商品など、過去の統計・確率から推定できる変動確率
不確実性…株式市場・経済など、予測できない変動確率

複雑系には「不確実性」が多いため、ある特定の原因を与えたとき、それがどのような結果を導くかはまったく予測不可能である。
しかしながら、予測不可能な運動が内部に発生するため、系全体の動きを予測できないものの、「複雑系そのもの」には統計的法則が成立している。


4 人間原理 
宇宙の誕生から地球が生まれ、生命が発展し、人間が誕生したのは奇跡に近い確率である。
私達の宇宙は、さまざまな物理定数によって左右されている。とくにリースの指摘する6つの物理定数(電磁気力や重力など)の数値が少しでも異なっていたら、今のような宇宙は存在せず、人間も生命も存在しなかったのだ。
しかし、この奇跡は全くの偶然なのか、それとも必然なのだろうか?

「宇宙が人間に適しているのは、そうでなければ人間は宇宙を観測し得ないから」
こうした宇宙の構造の理由を人間の存在に求める考え方を「人間原理」という。

ホイルが提唱した人間原理:
まず自分が存在するからこそトリプルアルファ反応(3個のヘリウム4の原子核が結合して炭素12の原子核に変換される核融合反応の1つ)について思考できるのであって、そのような認識主体としての人間が進化するためには、宇宙に豊富な炭素が存在しなければならず、そのためにはベリリウムの共鳴が起きなければならない、と「逆算して」考えた。従来の自然科学のように宇宙の誕生→人間とミクロ化していく発想とは異なる考え方で、宇宙にどんな元素が含まれているかを推論した。

1969年に、ブランドン・カーターは「弱い人間原理」と「強い人間原理」を提唱する。
前者は、物理定数の微調整を偶然と捉え、後者は必然と捉える。後者の立場で、宇宙そのものが観測者を生み出すように「自己組織化」しているのではないかと考えている宇宙物理学者も増えている。


5 不可知性
ファイヤアーベントは、科学を進歩させるためには、観察とはまったく無関係の「形而上学」が必要であると述べ、論理や実証といった「理性」の枠に拘りすぎるなと言った。

本書の中に出て来る方法論的虚無主義者はこう言う。
「我々の生きている宇宙は、言語や科学法則だけでは捉えきれない複雑性と多様性に満ちた実態だ。それなのに、多くの科学者や哲学者は、ちょうど論理実証主義者が「論理的」あるいは「実証的」でなければ「無意味」というスローガンで真の問題を切り捨ててきたのと同じ間違いを、今も犯し続けている。ファイヤアーベントの最後の哲学的著作のタイトルは、『理性よ、さらば』だ。理性は素晴らしいものだが、人間を硬直させて自由を奪う魔力も持っている。彼は、そのことを警告し続けた。」

「科学の進歩によってすべてが解明されていく」のが、第一線の科学者の姿勢なのかもしれない。しかし、自然科学や人文科学や社会科学の専門化された枠組みでは捉えきらない部分にこそ、それらが絡み合った驚異的に興味深く奥深い問題がそびえていることも事実である。

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2021年02月27日

Posted by ブクログ

『理性の限界』(講談社現代新書)につづく「限界」シリーズ第2弾です。今回は、論理実証主義やウィトゲンシュタインの言語哲学、ポパーやクーン、ファイヤアーベントらの科学哲学、人間原理などのテーマが扱われています。

本書のテーマは、前巻に比べてある程度前提知識があったためかもしれませんが、前巻ほどの知的刺激は感じられませんでした。それでも、登場人物たちの会話を通じてそれぞれのテーマにおける核心的な内容が巧みに説明されており、前巻同様おもしろく読み進めることができました。

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2017年11月30日

Posted by ブクログ

「理性の限界」に続いて、同著者による「知性の限界」を読んでみる。

「理性の限界」が、社会科学、自然科学、論理学を中心とした議論であったのに対して、こちらは、基本的には哲学の議論、でときどき複雑系、宇宙論、進化論がでてくる感じ。

中心となる哲学者は、ウィトゲンシュタイン、ファイヤアーベントかな

とくると、分かる人には、なんとなく想像がつく内容かな?

個人的には、「理性の限界」以上に、どこかで読んだ話しが多かった気がする。(ウィトゲンシュタインとか、複雑系とか、宇宙論とかをここ数年かなり読んだので。。。)

けど、様々な立場の人による架空のディベートという形式をとっているので、多角的に理解出来る感じがして、良かったかな?

欲を言えば。複雑系や宇宙論に関するところは、もう一ひねり欲しい気もする。

というのは、無い物ねだりだろうな。

扱っているテーマの幅広さ、難しさから考えれば、すでに相当のレベルのエンタテイメントを実現していると考えるべきであろう。

哲学に興味なくても、最近の自然科学がとんでもないところにいっているか文系的に知りたい人には推薦できる。

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2017年05月02日

Posted by ブクログ

相変わらずの縦横無尽な知的デフォルメ劇場。
前作よりもやや散漫な印象もあるが、要再読。

◯言語の限界
科学は言語の問題に集約されるのか。

・ウィトゲンシュタインのパラドックス
「規則は、それに従う行動を決定するもの」だが、有限個の観測事例から読み取れる規則は一意に定まるとは限らないので、「規則は、それに従う行動を決定できない」
・指示の不可測性
「語が何を指しているのか」という問題を追究するとき、言語を用いて答え続けるしかなく、どこまで適用範囲を狭めて問題に答え続けたとしても、その言語が言語外世界の特定の対象に対応していると確定することができない。
・翻訳の不完全性
「指示の不可測性」と同じく、ある現地語に関するすべてのデータが与えられたとしても、その現地語から母語への翻訳は一意には定まらない。
・理論の決定不全性
観測可能なすべてのデータが与えられたとしても、そのデータと合致する理論は一意には定まらない。
・観察の理論負荷性
「観察」は常に一定の「理論」を背負っている。誰もが自分の持つ「理論」を背負って「見て」いる。

◯予測の限界
・帰納法の限界
・反証主義
・複雑系とべき乗法則、大数の法則

◯思考の限界
・トリプルアルファ反応、原子結合エネルギーの微調整から想起される人間原理
・不可知論

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2015年08月22日

Posted by ブクログ

理性の限界の続編.各章のタイトルは言語の限界,予測の限界,思考の限界.
前回と違って各章に核となるものがいくつもあって,議論が若干散漫.宇宙原理のことをはじめ他の本で既に知っていたことも多く,前著よりも私的なインパクトは弱かった.

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2015年08月14日

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