【感想・ネタバレ】二つの祖国(一)のレビュー

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2012年06月13日

この本も「不毛地帯」同様に約20年余りの年月を経ての再読本です。  初読当時の KiKi は英国文化に憧れ、必死になって英語を学び、その延長線上で米国にも興味を持ち始めていた時期で、どちらかというと「羨望のまなざし」をもって米国を眺め、手前勝手に美化したイメージに憧れていた時代でした。  当時の K...続きを読むiKi にとって英国と米国は同じ英語(実際にはちょっと違うけれど)を話す国というだけではなく、この両国は歴史の中で世界をリードした国という共通点もあり、それだけでも「目指すべき1つの(2つの?)指標となるべき国」というようなイメージを持っていました。

もちろん知識として第二次大戦における我が国の敵対国であったことも、その戦争のさなかに日系人の迫害の歴史があったことも、聞きかじってはいたけれど、それは身に沁みるような感慨を持つ出来事ではなく、言ってみれば歴史の教科書に書かれている活字以上の意味は持たない史実に過ぎなくて、そこで生きた人々の「想い」にまで想像力が及ばない出来事でした。

そこに「ガツン」と鉄槌を振るったのがこの物語だったことだけはよ~く覚えています。  この物語を読んだとき初めて KiKi はそこに生きた人間の抱えていた苦悩を知ったような気分になったものでした。  そして、自分が歴史に学んでいない人間である証左は、この「その時代に生きた人々の想いに無関心であること」に顕著に表れていると反省したものでした。

あれから20年余りの月日が流れ、KiKi 自身、英国にも米国にもそこそこの期間滞在するという経験を経、英国人・米国人ともそこそこの交流(ビジネス上も、プライベートでも)を果たした今、「この物語を読んで何を感じ取るか?」に半端ではない興味を抱き、すでに処分してしまった文庫本の代わりにこの電子書籍を購入しました。

その第1巻。  まだまだ物語は序の口です。  序の口と言いつつも、ここで既に大戦当時(しかもパールハーバー後)の日系人が歩まざるを得なかった非業の歴史が物語られます。  貧しかった日本では糊口をしのぐことができず、決死の思いで米国に第二の人生を求め、移住後も苦労の連続だった日系1世の、そして父母の祖国という以上には日本との関係性が薄いアメリカ生まれ、アメリカ育ちの日系2世が、「日系」という出自だけの理由で収容所に収監されたその日々が描かれています。

日本で生まれ、日本で育ち、日本で教育を受け、自分が日本人であることに疑問も抱かない代わりに、そこに「誇り」というほどの気概も持たないまま大人になった KiKi にとってはまったく無縁だった「アイデンティティの模索」に否応なく向き合わされた人々の迷い・苦悩が痛々しい限りです。

物語の登場人物の1人、梛子という女性の語る言葉に、そんなことを考えずに生きることができている今の自分が幸せなような、逆に寄る辺ない不安定さを持っているような複雑な気分になりました。  曰く

同じ二世でも色々な生き方がある。  父祖の国日本に殉じるような生き方、アメリカ人として生きようとする人、絶えず日系二世としてのアイデンティティを模索し、苦悩しながら生きる人
もちろんこんなことは戦時中というある意味特殊な環境下だからこそ生じてくる思想だとは思うんだけど、そして KiKi のように若かりし頃に自分が生まれ育った村・町を捨て(というほどの意識は持ち合わせていなかったけれど ^^;)首都東京に移り住みそこで生計をたてた20年余りという年月を経た人間にとってはますます縁遠い感覚です。  

そもそも「国に殉じる」な~んていう考え方は、特に戦後教育ではある意味で抹殺されてきた思想でもあるわけで、あたかもそれが「偏狭なナショナリズム」の一形態とさえ見做されかねない考え方のように感じたりもするわけだけど、ここで描かれている人々の想いは「偏狭なナショナリズム」と呼ぶようなモノとは一線を画した感覚であるように感じられました。

KiKi は初めて海外に出た時、そして他国でそれこそ世界中から集まってきた多国籍の人たちと接点を持った時、自分が日本人であることを卑下することこそなかったけれど、どちらかというと「たまたま日本に生まれたというだけの人間」という意識が強くて、そのことに疑問さえ持っていませんでした。  でも、他国で他民族の人たちと触れ合う際、自分の中に「愛国心」と呼べるものが極めて希薄であることに気が付かされ、若干の違和感・・・というか引け目みたいなものを覚えました。

自国で生まれ自国から一歩も外に出ない生き方をしている人は「自国を意識しない生き方」をしていてもいいのかもしれないけれど、他国と関わる場合には好き・嫌いに関わらず「自国を意識せずにはいられない」ことに直面します。  そこに他国、他民族に対する「優越感」やら「劣等感」という付属物までぶらさげるのはいかがなものか?ではあるにしろ、やっぱり自分が帰属する国・民族をまったく意識しない・・・・・というのは、フェアなようでいて実は単にそういうことから逃げているのに過ぎないのではないか??  少なくともそこに「誇れる部分」と「恥部」をちゃんと意識したうえで、他民族と対峙する必要性はあるのではないか??  そんなことを感じさせられたのです。

KiKi が若かりし頃、「新人類」という言葉が流行りました。  一般的にはこの言葉は「1961年生まれから1970年生まれまで」と定義され、その特質は「成熟した成人として、社会を構成する一員の自覚と責任を引き受けることを拒否し、社会そのものが一つのフィクション(物語)であるという立場をとる世代」とされました。 (出典:Wikipedia)  この言葉の前半部分、「社会」を「国」と言い換えた場合、まさに KiKi 自身はそこに反論の余地がなく、少なくとも30代後半を迎えるまでは「母国」を意識したことはほとんどありませんでした。  

KiKi の目はひたすら外を向き、「グローバルな人材たれ」を合言葉(?)に生きていた・・・・・そんな気さえするのです。  でも少なくともこの物語を読んだときには「自分の出自が日本人である」ことを意識したし、外人集団の輪の中にいるときは、その輪の中のたった1人の日本人という意識も否応なく持たされて、「自国の誇るべきもの」を10分以上語ることができない自分に恥ずかしさを感じたものでした。  そしてその時鮮烈に脳裏をよぎったのは、KiKi の親や祖父母の世代が新人類たる自分に説教していた時の言葉

1人で大人になったような顔をするな!

でした。  それを言われていたまさにその時には単なる口五月蝿い説教とばかりに右から左に聞き流していた言葉が、30代後半からは身に沁みるようになり、遅ればせながら・・・・ではあるものの、「日本という国」「日本人という出自」を意識し始めるようになりました。  

この物語でも日系1世は「日本」にある種のスペシャルな想いを抱き続けているけれど、日系二世ともなると、

僕の祖国はアメリカ。  僕にとって偉いのは日本のエンペラーより、ルーズベルト大統領。

と公言して憚りません。  これこそが「1人で大人になったわけではない」証左なんだと感じます。  と、同時に「絶えず日系二世としてのアイデンティティを模索し、苦悩しながら生きる人」が「アメリカ市民としての義務を果たせるか?」に思い悩むのも又然り・・・・・。  個人と国家というのはかくも絶ち難い関係性をもつものである・・・・ということを改めて感じました。

(全文はブログにて)

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