【感想・ネタバレ】幻滅の政権交代 3のレビュー

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2021年03月17日

平成政治史3
~幻減の政権交代~

著者 後藤謙次
岩波書店
2014年12月25日 発行

平成政権クロニクルとでもいうべきシリーズ本、最終の3は、昨年12月に出たのですが、やっと順番が回ってきました。
今回は下野を目前とした自民党政権末期、第一次安倍、福田、麻生、そして、民主党の鳩山、菅、野田と...続きを読む続いた政権についてたどっております。

このシリーズ、竹下内閣からスタートしていますが、当時と比べると裏の駆け引きが少ないのか、著者の切れ味が鈍ってきているのか、あまりおもしろみがありませんでした。
でも、さすがに言われると、ああ、そんなことあった、あった、ということばかり。たまにはこういうものを読んで、思い出しておかないと記憶が勝手に書き換わってしまいます。

それにしても、この6人の政権って、アホなことばかりやって、もがきまくってたんだなあと分かります。
スキャンダルあり、失言あり、漢字が読めない、空気が読めない、防衛知識クイズ風国会質問あり・・・

そして、第二次安倍政権が、いかにメディア、とくにテレビやネットをうまく利用しているのかも、読めてきます。

(メモ)

こんなこと、あった、あった、シリーズ

2006年の年の瀬。政府税制調査会の会長本間正明(大阪大学)が家族ではない女性と公務員宿舎に同居していたことを週刊誌に報じられた。外相麻生太郎は「常識的ではない」と突き放し、結局、12月21日に政府税調の会長を辞任。

福田が退陣表明した直後の2008年9月5日、農水省は大阪の米粉加工販売会社(三笠フーズ)がカビ毒や基準値を超えた汚染米を食用に不正転売していた事実を公表した。その後、不正転売した会社はさらに増え、加工販売会社に農水省大阪農政事務所の元課長が接待を受けていたことも発覚、刑事事件にまで発展した。

鳩山由紀夫の資金管理団体の政治資金収支報告書の虚偽記載問題が持ち上がった。鳩山に寄付をした覚えのない人や既に亡くなった人の名前が報告書に記載。「故人献金」「幽霊献金」と揶揄された。

参院本会議の採決で、自民党参院議員で元農相若林正俊が本会議を欠席した隣席の青木幹雄のボタンを一緒に押した。自民党の参院議員会長尾辻秀久は、民主党議員会長輿石東に動かぬ「証拠写真」を見せられた。若林は青木に詫びた上で議員辞職に追い込まれた。

2010年11月29日に参院本会議場で開かれた議会開設120年記念式典。民主党議員が秋篠宮ご夫妻に対して「早く座れよ」と発言した。ところが自民党議員の携帯電話の着信音が式典中に鳴ったことが判明した。

2011年2月28日夜、那覇市内の居酒屋で沖縄防衛局幹部と地元の担当記者との懇談会。泡盛を酌み交わしながら防衛局長は口にしてはならない女性蔑視の言葉を発した。地元紙は報道。業界用語でいう「完オフ」の縛りがあったとはいえ、局長の発言があまりにも常軌を逸していたからだった。
*田中聡局長(50)が、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の辺野古移設計画に向けた環境影響評価(環境アセスメント)の評価書の提出時期を政府が明言していないことをめぐり、女性への乱暴に例えて「犯す前に、犯しますよと言うか」と発言。

野田政権末期、赤字国債発行法案が未成立のため「11月いっぱいで国の金庫が空っぽになる攻財務省幹部)という「待ったなし」の状況にあった。
 
  
あったような気もするが・・・シリーズ

2012年9月10日。夕暮れが追った頃ニュース速報が流れた。
「松下忠洋金融担当相が自殺」
野田はうっすらと涙を浮かべた沈痛な面持ちでテレビカメラに向かった。
 

へーえ、そんなことあったんや、シリーズ

第一次安倍内閣が実質的に決まった2006年9月20日の自民党総裁選挙。議員票は安倍が267票、麻生69票、谷垣66票。そして奇妙な無効票が一票。「安倍普太郎」と書かれていた。晋三は思わず「父の仏前に供えたい」と漏らした。

2007年夏の参院選。小沢は中国山地を越えて鳥取県八頭町に入った。小沢には多くのテレビカメラが同道した。過疎地でビール箱に乗って演説する方がよりテレビ的だった。前首相小泉純一郎の郵政選挙は典型的な「劇場型選挙」だったが、小沢はいわば「紙芝居型選挙」で自民党と渡り合った。

福田は内閣改造前日の7月31日、麻生太郎に電話、来てくれと呼び出した。麻生は夫人と山形県上山温泉に投宿。麻生は夫人を残し東京へ。現財務相秘書官の村松一郎は「秘書がついておらず切符を買って東京に戻れるのかがとても心配だった」と振り返る。
*麻生さんって、切符買ったことないの?

政権交代後の自民党は苦しい中で賃金カットはしたものの党職員のリストラをしなかった。大島と自民党事務総長元宿仁の考え。これにより長く蓄積された自民党の選挙のノウハウの継承が担保された。2012年に自民党が政権に復帰すると、自民党は即刻職員給与を元に戻した。

鳩山総理、発の所信表明演説(2009.10.26)は、演説時間は50分を超えた。通常の所信表明演説の約二倍。文字数にして1万2905字。従来の演説にはない表現、キャッチフレーズの数々も話題を呼んだ。草稿には民主党官房副長官の松井孝治と劇作家の平田オリザだった。
    

ちょっといい話

各新聞社は、避難して全国に散らばった読者に対して毎朝無料で朝刊を配った。東京や神奈川の避難所には共同通信からバイク便で配達された。避難している人たちはその新間によって自分の町のことを知り、自らのアイデンテイテイーを確認した。岩手日報には読者からこんな電話もあったという。
「家が流されたので、新聞を止めてください」
混乱を続けた政治は真面日で律儀な東北の人たちの忍耐強さに支えられていたと言ってもよかった。
   

マスコミ抱き込み作戦

2010年7月24日の夜、菅直人は就任後初めて新聞、通信、放送各社の政治部長総勢18人と赤坂の中華料理店「樓外樓飯店」で懇談した。三つの丸テーブルに分かれた各社の部長を相手に概ね40分ずつ、菅は上機嫌でしゃべりまくったようだ。
*こんな類の話がいっぱい出てくる。信じられない。アメリカなら、記者たちは出されたコーヒーも飲まないという。

安倍側近にきくと、フェイスブックなどの発信による政治的パフォーマンスを考えているのは、「首相本人です」と即答。どのテレビ番組に出演するかの選択や演説の内容まですべて安倍自身が決めるというのだ。「フエイスブツクや携帯メールの打ち込みの速さは女子高生レベル文同)という。

驚きは読売テレビの人気番組『たかじんのそこまで言って委員会』にわざわざ大阪まで足を運んで出演したことだ。かつて準レギュラーとも言えた番組への思い入れは理解できたが、現職首相の大阪のバラエティー番組への出演は前代未聞だった。
慣行無視の安倍のメディア戦略に今のところ各メデイアはやられ放題で沈黙を強いられる。時には政権の“応援歌”のような記事にも遭遇する。ことさら政権を貶める必要はないが、是々非々を明快に論じないメディアはネズミを捕らないネコと同じだ。メディァの存在価値が厳しく問われている。

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