【感想・ネタバレ】身体の言い分のレビュー

\ レビュー投稿でポイントプレゼント / ※購入済みの作品が対象となります
レビューを書く

感情タグBEST3

Posted by ブクログ

おもしろかった。三軸自在、というのは残念ながら分からなかったが。一番いいタイミングでくるんだから向こうからやってくるまで待っとけ、というのはなるほどと思った。

0
2019年06月16日

Posted by ブクログ

わかる人には
たまらなく 気持ちよく
すんなり 入ってくる

わからない人には
まったく 取っつきようがない

それで 全くいいのだと思います

本を読む というのは
本来 そんなものであると
思っています

0
2023年11月16日

Posted by ブクログ

三軸修正法の池上先生との対談本。いつも通りの内田老師のトーン。
・哲学は複雑な学問であると思われがちだが、世の中の方がよっぽど複雑であり、その点ではかなり正直な学問である。
・頭で感じる快不快と、身体で感じる快不快は異なっている。それを識別できない人が多い。頭で感じる快というのは幻想的なもの多い。政治的陶酔やイデオロギー、はたまた身体毀損によるもので、おおむね幻想的な快楽であるが、身体的な快はじっくり、ゆっくり感じるもの。多くの人が、幻想に惑わされやすい。過度なダイエットやピアスなどは明らかな身体毀損であり、身体的には不快であるにもかかわらず、頭で感じる快の強さに押し負けて、快楽と誤認しがち。もっと、身体的な快に耳を傾ける必要がある。
・目の前にあるものの価値を構成しているのは、先取りされた未来の喪失感。実は、今の目の前のもののかけがえのなさを担保しているのは未来の喪失感であるというワードはとてもしっくりきた。その考え方を推し進めると、今を生きていてつまらないという人は、自分が死んだときに人生を回顧してどう感じるかということの想像をする習慣がない人である。常に自分の死について考えることが今のかけがえのなさをヴィヴィットに感じられる秘訣。

0
2021年12月18日

Posted by ブクログ

-------------
以下引用


ありとあらゆる場面で自分らしさを貫徹するというのは、場の特殊性というファクターを勘定にいれていないということ

今のこって、話題が少ないんです。それぞれある種のジャンルについては詳しいけれど、別のことには全然知らない。自分の知らない話題について適切な質問をして、その質疑応答で盛り上がるというのは、高度なコミュニケーションだけど、それができない。

私はこれが好きで終わり、だから論争にならない。良い悪いを言い出すと論争になる。それが大事


赤ちゃんを育ててゐるときに、おむつを替えてあげたりとか、ミルクを飲ませてあげたりすると、気持ちがいいわけです。それがこちらに伝わってきますでしょう。

何か社会的に立派なことを成し遂げてそれによって承認されるというルールのゲームじゃないんですから。自分自身はすでに承認されているわけだから、あとは暇だから何かやろうかなというくらいいのこと。

こどもの時にすごく親に愛された人というのは、孤立することが恐くないんですよね。百人中九十九人があっちに行っても、あ、そうなの、って、平気で行けちゃう。


承認された経験の乏しい人は、他者の承認がないと立つゆかないから、絶えず周りの顔色を窺ってしまう。


そういう価値観のものと評価されている生き方なわけです、何か基準がないと、自分自身がなんだかよくわからない。人から評価されないと安心感が得られない。安心ってそういうものではないと思うんですが


努力と承認が釣り合わない場面に巣遇すると、混乱しちゃって、どうしていいかわからないくなってしまう。

愛されてきた子どもは、仮に努力が承認と結びつかないような理不尽なことがあっても、「あれ、おかしいな。このメカニズム。故障してるぞ」って思うだけで、「変なの」と思って、そのまますたすた歩き去ったり、別のメカニズムを探しに行ったり、自分で新しいメカニズムをつくったりする

0
2019年11月13日

Posted by ブクログ

今月3冊目
★★★
いや、深いです。池上先生達は野口先生に近い感じかな。
治療家というか哲学、人格者というか、どこまでも考えてるんだなと。
治療家でなくてもなにしてもやってけそうな頭脳。
ちなみに池上先生の息子さんは知り合い

0
2021年11月06日

Posted by ブクログ

哲学者で武道家の内田樹と、「三軸修正法」という治療法の提唱者である池上六朗の対談です。

「文庫版のためのまえがき」で内田が、二人の著者たちの出会いが不思議な「ご縁」にみちびかれたものだったということを語っていますが、本編でも身体知にもとづく共感の重要性が指摘されるとともに、そうした原初的なコミュニケーションの回路がうしなわれてしまっている現代の状況に対する批判が展開されています。

内田の身体論・武道論にかんする本はこれまで何冊か読んだことがあるのですが、もはや言説のレヴェルで説得を試みることを放棄してしまっているように感じられて、どうしてもついていけないと感じてしまいます。フランス現代思想に造詣の深い著者なので、「知」に対する批判もそうした文脈で読んでしまうのは、こちらの悪い癖なのかもしれませんが、近代的な「知」のありかたに対する批判から、「身体」や「自然」へと一気に飛躍してしまう著者の身振りそのものも、著者自身の意図を離れて「反復」されるものであり、そうした問題への警戒心のなさが気になってしかたがありません。

もっとも著者は、言説のレヴェルでの「差異」と「反復」といった問題にはもはや興味がなく、それこそ身体を通して「わかるひとにはわかる」真理を語っているつもりなのかもしれません。

0
2021年10月26日

Posted by ブクログ

豊かに生きるということはどういうことかを考えた一冊。真剣に何かに取り組んでいれば、自ずからつながるべき人につながって、豊かな人生を築いていけるのではないかと思いました。

0
2020年05月24日

Posted by ブクログ

ネタバレ

身体と哲学。私たちは祖先が創り出した最新ヴァージョンという言葉が印象的。
私たちは両親から生まれ、その両親もふた親から生まれ、と一代、二代と遡っていくと膨大な数の祖先が現れてきます。十代遡れば1024人、二十代遡れば52万4288人。わずか二十代を遡っただけで50万人を超え、二十一代では百万人をはるかに超える祖先が居たことになります。
もう、今生きているだけど奇跡。アレコレ頭で考えなくても身体がよりよい方向に導いてくれる。複雑に考えるのをいったん手放してみてもいいのかもしれません。

0
2019年10月13日

Posted by ブクログ

取り越し苦労は傲慢である
みんなが気持ちよければ自分も気持ちいい
反省してはいけない、自分を否定することになる

0
2019年06月19日

「エッセイ・紀行」ランキング