感情タグBEST3
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ブラッド・メリディアンでコーマック・マッカーシーのこと大好きになったけど今作もやっぱり面白かった。
よく感動した作品などに心に刺さるって表現をするが本作は精神に沈み込んでくるような感覚を覚える。ゆっくりと読み進めてじわじわと精神に作用してくるような。
にしてもボーリングのピンを立てる仕事ってなんなんだ
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コーマック・マッカーシーの描く、国境3部作の第1作目。祖父が亡くなって、牧場が人手に渡ることとなってしまい、馬を愛する少年ジョン・グレイディ・コールは、相棒のレイシー・ロリンズとともにテキサスを出てメキシコへ向かう。
マッカーシーの技巧的ながら硬質な文体が、貧困と血と暴力の光景の中で、自然とそこにすむ生き物たちの美しさ、人間存在の確かさと不可解さ、友情の輝き、恋の激しさ、そして悲しさを描き出す。
原題は『All the Pretty Horses』。すべての馬が“Beautiful”でなく“Pretty”――強い印象を与えない好ましさ――であるのは、文中にあるように「馬という生き物は全体でひとつの魂を共有しており一頭一頭の生命はすべての馬たちをもとにしていずれ死すべきものとして作られ」るために「仮に一頭馬の魂を理解したならあらゆる馬を理解したことになる」という考え方のためかもしれないし、あるいは主人公が心から馬を愛しながらも、決して馬と同一化をはかったり神格化したりしない、孤独で高潔な魂の持ち主であるからかもしれない。
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トラックの行き交うハイウェイの横を馬で南へと進んでいく、そんな印象的なシーンが序盤にあって、ある意味ここら辺から発展を遂げているアメリカに対する主人公の反抗的精神かうかがえる。
古き良きアメリカ――広大な大地を馬で駆け抜ける、そんな憧れが主人公ジョン・グレイディにはあった。
ちなみにジョン・グレイディは16歳。牧場経営の家に生まれ育ち、小さい頃から馬に慣れ親しんできたこともあり、将来は自らが牧場に携わるはずだった。しかし親父が死んでしまい、残された母は牧場を売り払うことを選択してしまう。
だからジョン・グレイディは国境を越えてメキシコに行くことを選んだのである。
そこには何かがあるのだ。それこそ馬に関わる仕事があるのではないか――だから友人のロリンズを連れて馬を走らせ南へと向かっていった。
アメリカの小説だなーと思う。アメリカが歩んだ歴史が下敷きとなり、おそらくアメリカ人はこれにノスタルジーを覚えるのだと思う。
馬を愛し、人間のかけがえのないパートナーとして信頼関係を結んでいく。解らないけれどさ、馬って人を惹きつける何かがあるよね(語りかけたくなるなうな、こちらの何かを察してくれるような気にさせれれる感じのさ……)。
たぶん馬のあつかいの上手い人間って当時は尊敬されたりしたんだろーね。
で、ジョン・グレイディは正しさも誤りもない馬の純粋さを信じていた。作中、そんな内省を語る描写はないけれども、ただ、グレイディは誰よりも馬を上手く扱うことができて、そして誰よりも馬に敬意を示している人間だったのです。ある意味グレイディ自身が純粋そのものだった。たぶんグレイディは馬と共に荒野を駆けまわたかった――そして馬を愛し、馬と共に人の役に立てる仕事を求めていたのかなーと僕は勝手してるんです(というのもマッカーシーの淡々とした描写は、いちいちグレイディの内省を描いたりしないのです。でもグレイディの行動の端々には、そうとしか言いようのない愛情が含まれている)。
メキシコ――グレイディは不法入国でこの国やってきた。
途中、ブレヴィンズという若者が旅の道連れとなった。そしてブレヴィンズの乗っている馬はあまりにも見事な馬だった。
しかし、その馬がメキシコの地で事件を起こすきっかけとなってしまう。グレイディを含めたアメリカからやってきた三人は誤解をされて馬泥棒の汚名を着せられることになる。
メキシコは彼らを放っておいてはくれなかった。彼らは結局、捕まって酷い仕打ちを受けることになる。
グレイディは自分の信念に従って決して折れることはない。時には死を恐れることもなく真っ直ぐに行動したはずだった。事実、馬は自分たちの馬であり、そもそも馬たちの愛すべき場所を求めていただけだった。
しかし事件がひと段落を迎えたころ自分の行動を振り返って、グレイディは自分は馬のように純粋ではなかったことを知る。時に必要のない人間を傷つけてしまったことに苦しんだ。
何故、人間は馬のように生きられないのか――グレイディはそんな人の愚かさを知って嘆いてしまうのです。
読んでいて読者は16歳の若者を苦しめたものの正体を考えてしまうでしょう。
グレイディの考えはおそらく青臭いものなのでしょうね。でも、グレイディの健気さに触れていると、我々は忘れてしまった純粋さを思い出すんですよ。そうだ――確かに、あの頃は何かに真っ直ぐだった。
グレイディほどに実直じゃなかったにしても、似たような理想は持っていたはずだ。
それから情景がいいんですよ。若者と馬と荒野――これがなんとも似合うんですよね。
読み終えて、いい小説だなーと、しみじみしてしまいました。
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「…世界の美しさに秘密が隠されていると思った。世界の心臓は恐ろしい犠牲を払って脈打っているのであり世界の苦悩と美は互いにさまざまな形で平衡を保ちながら関連し合っているのであって、このようなすさまじい欠陥のなかでさまざまな生き物の血が究極的には一輪の花の幻影を得るために流されるのかもしれなかった。」(459頁)
マッカーシーの名を知ったのは映画『ノーカントリー(No Country for Old men)』を観てから。マシーンのように冷徹に人を殺していくシガー(ハビエル・バルデム)が印象的な映画だった。
これ、原題をちゃんと見ないとタイトルの意味するところが全然伝わらない。原題は「古い世代の人たちに最早居場所はない」という意味らしい。
そして、このタイトルの意味はそのまま『すべての〜』にも通ずる。
主人公ジョン・グレイディ・コールは17歳の牧童(カウボーイ)だけれど、自分の愛する牧場が手放されることを機に“相棒”であるレイシー・ロリンズとメキシコへの旅に出る。
当初から「メキシコに行く」というように目的地を設定したわけでもないのだけれど、とりわけ第1部の大自然の描写はアメリカとメキシコとの境界を非常に強く意識させるし、“相棒”ロリンズとの会話以外はほとんど全編にわたってスペイン語で話される。
しかもご丁寧に会話文の横にスペイン語の発音がカタカナでルビ振られている。
2人は旅の道中で大きな牧場に住み込みで働くことになり、ジョン・グレイディはその牧場主の娘に恋をする。その描写も全然全く甘ったるいものではない。
そこから感じるのは娘アレハンドラを見つめるジョン・グレイディの眼差しをさらに遠くから見つめる目だ。その先にはどうにもならない哀しみが待っていることを予期しているかのような、突き放した視点。
そして、タイトルにもあるように、「馬」に関するこれまでに読んだことのないような美しく綿密で、そして畏怖の念を抱いた記述が特筆すべき点だと思う。
「彼(ジョン・グレイディ)にとっては馬を愛する理由こそ人を愛する理由である、それは彼らを駆る血とその血の厚さだ。彼が敬い慈しみ命のかぎり偏愛するのは熱い心臓を持ったものでありそれはこれから先もずっと変わることはないだろう。」(10頁)
「最後に老人は自分は馬の魂を見たことがあるがそれは見るからに恐ろしいものだといった。それは一頭の馬の死に立ち会ったときにある種の条件がそろうと見えるがそれというのも馬という生き物は全体でひとつの魂を共有しており一頭一頭の生命はすべての馬たちをもとにしていずれ死すべきものとして作られるからだ。だから仮に一頭馬の魂を理解したならありとあらゆる馬を理解したことになると老人はいう。」(185頁)
ジョン・グレイディの馬に対する接し方はかなり細かく描かれていて、カウボーイの文化(?)に関しての知識がそんなになくても馬への愛情、そして馬の息吹が伝わってくる。
冒頭で『ノーカントリー』と通ずる部分があると述べたけれども、それは「居場所がない」という点だ。ジョン・グレイディは「ここに自分の居場所はない」と考えて、メキシコへと馬を向ける。
そのことを象徴するように、ペレスという男にこう言われるのだ。
「きみははみ出し者(オベハ・ネグラ)だな、ちがうか? 黒い羊(オベハ・ネグラ)だ。」(316頁)
この『すべての美しい馬』も『ノーカントリー』と同様に映画化されている。というか、俺は先に映画を見たので、ある程度風景をイメージできたから読みやすかったのかもしれない。
主演はマット・デイモン、娘役はペネロペ・クルス。何気にちょい豪華キャストだった。自然を綺麗に撮ってあって、映画としてもなかなかよかったように思う。退屈と思う人もいるかもしれないけれど…。
あと『ロード・オブ・ザ・リング』3部作でものすげーカッコよかった人間の王、アラゴルン役のヴィゴ・モーテンセンが主演でマッカーシー原作の『ザ・ロード』も映画化されてるので、手っ取り早くマッカーシーの作品を味わいたいのなら映画を先に観るのも手だな。
3本ともそれぞれかなり毛色が違いますけれど。
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少年二人が馬にのってメキシコへ行く、その旅の小説。
俺の勝手な先入観もあると思うが、いかにも「アメリカ」な小説だと思った。解説にもあったがウエスタンの雰囲気を色濃く漂わせているのと、少年たちの旅が、旅を通しての成長が「スタンドバイミー」を思い出させたからかもしれない。
この小説に盛り込まれている要素に、あまり目新しいものはないかもしれない。旅、旅の途上でのトラブル、新天地での生活、恋、挫折、急転直下の苦難、そして故郷への帰還。どれをとっても意外な展開などない。
にもかかわらず、この小説が与えてくれる感動は一体何なのか。これほど多くのシーンが目に心に焼きついた小説も珍しい。
現在の生活から飛び出したい、未知の世界へ飛び込みたい、若いころ多くの人が抱いた想いが追体験できるからかもしれない。
不思議と心に残る、傑作である。
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1949年。祖父が死に、愛する牧場が人手に渡ることを知った16歳のジョン・グレイディ・コールは、自分の人生を選びとるために親友ロリンズと愛馬とともにメキシコへ越境した。この荒々しい土地でなら、牧場で馬とともに生きていくことができると考えたのだ。途中で年下の少年を一人、道連れに加え、三人は予想だにしない運命の渦中へと踏みこんでいく。至高の恋と苛烈な暴力を鮮烈に描き出す永遠のアメリカ青春小説の傑作。
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てっきり競馬か何かの話かと思ったが全く違った。
国境を足で超えるって一つのロマンだなぁと思う。
恋愛、暴力、生死の不条理さの描かれ方は上手い。
なぜマッカーシはメキシコ、テキサスそして国境をこれだけ描写できるのだろうか。
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一度読んだだけでは著者の文章の魅力には気づけないだろう。はじめは退屈に感じたが牧場に到着してからが面白い。物語の展開よりも、節々に出てくる、登場人物の長々とした一人語りに最も引き込まれた。
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1992年発表 、コーマック・ マッカーシー著。1949年のアメリカ。愛する牧場が売られてしまうことを知った主人公が親友ロリンズとともに馬でメキシコに越境。二人は辿り着いた牧場で馬達と幸せな時間を過ごすが、越境中に出会った少年の起こした事件がきっかけで刑務所にぶち込まれるはめになる。そこからの脱出は主人公にとって恋人とのつらい別れを意味していた。そして訪れる物語のクライマックス、主人公の暴力。読点を極力省いた息の長い文章、鉤括弧を使わない独特な文体。
とにかく馬達の描写が美しい。彼らの息遣いが聞こえてくるかのようだ。この小説は主人公と彼の選ぶ運命の象徴としての馬(メキシコへの越境もその象徴と言える)、その二者間の物語という気がする。様々な暴力に見舞われ、時には誰かの死を横目に、どこまでも移動し続ける(移動せざるを得ない)少年達。「すべての美しい馬」とは、そういう少年達のことを指しているのではないだろうか。
個人的に少しうれしかったのは、著者の小説として私が先に読んでいた「血と暴力の国」の殺人者シュガーのコイントス(相手が当てたら殺さない、外したら殺す)についての詳細が書かれていたこと。職人がコインを鋳造した時点で決まる運命。この哲学的な考察を語るシーンは非常に興味深い。
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苛烈極まる暴力と不条理渦巻く世界で、ただひたすらに己の生きる道を貫くジョン・グレイディの生き方が眩しい。人生の暗部を厳しく見つめるマッカーシーならではの文学だ。
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自分達の理想の世界を求めて、旅に出て、恋をして、騒動に巻き込まれて、生き残って、また理想の場所を求めて旅立つ。全体的に寂しさが漂うのは、幸せになれる場所がまだ見つかる気配が無いからだろうか。
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独特の文体がいくらか読みづらくあるけれど、それが非常に心地よくもある。
ときどき湧き立つ詩情、痛みを感じさせる描写などが非常に印象的。
プロットもおもしろく、最後まで楽しく読むことができる。
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冒頭、主人公ジョン・グレイディ・コールの見る、馬に乗るインディアンたちの幻影の美しさに、まず心をつかまれた。とにかく全篇の自然描写が鋭く、美しい。ことに馬に関しては、なまめかしいくらい。ハイウェイを走るトラックの描写で、ああ、これは現代の物語であったと思い出す程、主人公の立ち位置が西部開拓時代を思わせる。いっさいの心理描写を廃しているせいか、16歳という年齢を感じさせないジョンの独立不羈ぶりが際立つが、時折挿まれるメキシコの子どもたちとのやりとりからは、彼のナイーブさが感じられる。特に、物語後半、牧場主の娘に会いに行く時に出会った貧しい子どもたちの一団に、メキシコに来てから自分の身に起こったことを話して聞かせ、牧童と牧場主の娘が結婚するにはどうすればいいか、子どもたちが心から心配してあれこれアドバイスを与えようとするシーンには、心和まされる。このような善意と悪徳とが混在するような(筆者が描くところの)メキシコの複雑さも興味深かった。
――All the Pretty Horses by Cormac McCarthy
Posted by ブクログ
追悼。なので評価はプラス☆1つ。ってことは実際の評点は…。ちなみに積読状態にあったものをこの機会に、ということで。”ザ・ロード”がとても面白かったから、きっと本作もと思ってたけど、なんともかんとも。一風変わった道程を、ただひたすらに描くという点では、両作は似ているとも言えるんだけど、なぜかこちらは辛かった。ひたすらandで繋がれる地の文、著者の特徴として評価されているみたいだけど、個人的にはこの手法、好きじゃないです。読みにくさしか覚えないし、結果、読み流しになってしまう。ストーリーが面白ければまだしも、展開もいまひとつ。本作は三部作の第一部みたいだけど、続きは読まないです。
Posted by ブクログ
死んだじいちゃんの牧場に行くかとおもったけどそうじゃなかったな。
・馬はよくついてきたな
少年ってこんな逞しいんだ
・ハイウェイを馬でって?
・刑務所でナイフが無事に届くかはらはら
・アレハンドラ?
・コインの鋳造の話
・最後つれて旅した警察署長って悪いやつのボスだった?
・馬をもとの持ち主に返しに最後いってたけどみつかるかな。
・裁判所の検事さんが、わかってくれた
・学校行ってる年齢?
・プレヴェンスなんで殺された?
・砂漠の赤土の描写が荒涼としてた
・一文が長すぎ。
Posted by ブクログ
テキサスからメキシコへ、美しい景色を親友と美しい馬で行く。親友、仲間、恋人、別れと、殺伐とした世の中を淡々と描き、引き込まれた。
読み応えありました。
Posted by ブクログ
情景描写やキャラクター描写からアメリカとメキシコの対比が見られた。
保守的なロリンズと自分の感情の赴くままに行動するジョン・グレイディの2人の性格も対比的に描写され、先進的なアメリカへの批判という、コーマック・マッカーシーの脱中心主義に基づいているのではないかと思われる。
目を背けたくなるような暴力的なシーンが多かったため、読み進めるのに時間がかかった。
Posted by ブクログ
牧場という理想郷を失った少年は新たなる土地を求め旅に出る ―
アメリカ大陸を横断し、メキシコへと向かう中での景色はまさにアメリカ。
荒野、草原、平原、稜線・・・著者は広大な世界を読者の我々に、まるでそれが目の前であるかのように描きます。
それは時に暖かく、時に厳しい西部の大地。
そして人生も同じです。
出会い、別れ、失意、幸福、絶望、暴力。
たくさんの経験が少年たちを喜ばせ、苛み、成長へとつながっていく。
続編「平原の町」も楽しみだ。
Posted by ブクログ
アメリカ人にとってメキシコはいつでも夢の場所なんだろうか。ケルアックが目指した喧騒とは異なる、忘れられた南部の夢を求めて主人公たちは国境を越える。しかし、そこにはやはり熱狂があり、喧騒があるのだ。ボロの30年型フォードよりもよっぽど頑張り屋の馬が伴侶となるが。隣人たちは、彼等をまるではるか彼方、1万光年を旅した宇宙飛行士のように崇める。しかし、そこはやはり彼等のいる場所ではないのだ。
Posted by ブクログ
なんだろう、これ、この感じ。
物語としては先に読んだ「越境」のほうが好みだが
読み進むスピードと、惹きこまれ具合は、コチラのほうが上。
かぎ括弧の無い会話は、表向き交わされる記号の
やり取りにしか過ぎないのだろうか。
何かを求めて国境を越え、何もかも失って戻る。
失いながらも得たものを背負って次の地平へ向かう。
若き日のココロに現れる
理想と現実、無限の希望と挫折、荒廃と再生
運命に抗えない人間
「平原の町」を読み終わるまで
全ての姿は見えないのかもしれない。