【感想・ネタバレ】パサージュ論 二のレビュー

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Posted by ブクログ

ベンヤミン『パサージュ論』とのそもそもの出会いは、笠井潔の『群衆の悪魔―デュパン第四の事件』だ。
それは、パリの街を舞台に探偵オーギュスト・デュパン、ボードレール、バルザック、ブランキなどのビッグネームが活躍するミステリーで、その中でベンヤミンと『パサージュ論』について触れられていたのだ。
この巻は、先日、『悪の花』、『ボードレール パリの憂鬱』の二冊の詩集を読んでもあまりピンと来なかったボードレールがテーマの巻ということで、案の定取り付く島もない感じではあったが、かろうじて心に残った断章を引用しておきたい。


《一八四〇年ころのユゴーについて。「同じころ、彼は、人間が孤独を好む動物だとすれば、孤独を好む者とは、群衆の人だということを次第に悟るようになる。ー以下略ー」ガブリエル・ブヌール「ヴィクトール・ユゴーの深淵」(略)》


《新しいものがどういったものであるか、そのことをもっともよく教えてくれるのは、おそらく遊歩者であろう。独自の運動をし、独自の魂を宿した群衆という仮象こそは、遊歩者の新しいものへの渇望を癒すものである。実際のところ、この集団は仮象以外のなにものでもない。遊歩者が享受するこの「群衆」は、七〇年後に民族共同体〔ナチズムを示唆している〕なるものが流し込まれる鋳型なのである。》


《大都市で売春がとった形態のもとでは、女性は商品として現われるだけでなく、明確な意味で大量生産品として現われる。化粧によって個人的感情を覆い隠し、職業的表情をするということから、その事態がわかる。後に、お揃いの衣装を着たレビューの踊り子たちがこうした事態をさらに強調することになる。》

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2022年01月09日

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