【感想・ネタバレ】おしゃべりな脳の研究――内言・聴声・対話的思考のレビュー

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Posted by ブクログ

人は脳内で常に会話劇を上演している。心理学用語で「内言」と呼ばれる"頭のなかのおしゃべり"を研究している発達心理学者が、内言はどのように機能し、なぜ聞こえてくるのかを、スポーツ選手、小説家、子どもたち、統合失調症を持つ人、ろう者など幅広い例から考えていくサイエンス・ノンフィクション。


私は一人っ子なせいか、子どものころからずっと脳内で「パーソナリティ:自分/ ゲスト:自分 / 作家:自分」のラジオ放送を垂れ流して生きてきた。だから本書の主題は「わかる!」と「そうだったんだ」の連続だった。
たとえば、内言が未来へのリハーサルとして有用であること。役所の窓口に行く前に段取りを頭のなかで反芻する人間にはとてもよくわかる。スポーツにおけるイメージトレーニングはその発展形だと、初めて一つに繋がった。なるほどぉ。
著者の専門である発達心理学では、子どもが心理を築き上げていく過程を探っている。話せるようになった子どもは、作業しながら独り言を口にしはじめる。その内容からは、内言が他者の心を推論する社会的認知に関わっていることがわかるという。対話が内在化するとは、他者が内在化すること。子どもは自分のなかに他者を住まわせることで社会に適応していく。
また、言語にも「内面的な言語」と「外面的な言語」があり、英語は内言を表現するのに工夫が必要な言語だったからこそモダニストは〈意識の流れ〉という文体を発明する必要があった、という指摘が面白かった。前から『源氏物語』ってめっちゃ〈意識の流れ〉だよなとか、ヴァージニア・ウルフって日本の少女漫画文法で読めるよなとか思ってきたのだが、それは日本語が内面的な言語だからなのかもしれない。
本書の後半は、統合失調症を発症して声が聞こえるようになった人たち(聴声者)の体験を取り上げる。内言はそもそも他者の声の内在化なのだが、通常はそれが自分の声でしかないことも理解している。統合失調症によって聞こえる声(聴声)は自分と完全に分離しているように感じられ、自分を責め苛みトラウマを抉る。著者はトラウマが脳内で声として表現されるのは、内言の対話思考と関係するのではないかと考えている。聴声者のグループに参加して意見交換をしているが、今のところ医師と当事者のあいだでは内言よりも記憶に由来するという説が有力だという。
先月読んだヴェロニカ・オキーンの『記憶は実在するか』でも同じように統合失調症による声の話があったが、そこでは記憶に機能不全が起こると個人のアイデンティティが崩れ、自分の考えが他者の声にしか感じられなくなるのだと説明されていた。これは記憶説と内言説をゆるやかに繋げる見解だと思う。本書でも語られるように自伝的記憶と内言の結びつきが強いのであれば、記憶説と内言説は全く矛盾することなく一つにまとまるのではないだろうか。
おそらく著者は内言説を採ることで、「異常」とされている聴声と「正常」な内言との差はあいまいでシームレスなものだと示し、統合失調症のスティグマを薄めるのに役立てたいのではないかと感じた。小説家でもある自身の視点からキャラクターが人格を持ちだす瞬間と聴声を結びつけて、「作家は聴声的な経験を探し求める」と言っているのもユニークだし実感がこもっている。
本書ではさまざまなトピックが取り上げられていてどれも面白いので、俎上に上がらなかった事柄についても考えを巡らせたくなる。たとえば、声の幻覚は人の存在感の幻覚だと書かれているけど、それならば霊視体験との繋がりはどうなのかとか(本書は意図的にスピリチュアルな話を避けている気がする)。音声メディアや映像メディアが内言にどのような影響を与えているのかとか。
一番気になるのは、日記やSNSと内言の関係性。私は日記をつけ(られ)ない人間だったけど、Twitterというソーシャルメディアが脳内ラジオ体質と恐ろしいほど相性が良いために、とりとめない考えのログが取れるようになった。それをきっかけに内言のスタイルもきっと変わっているのだろう。自分と同じように脳内ラジオが止まらない体質の人がこんなにいるのだとわかったのも、SNSが普及してからだった。
こうやって感想を書きながら思うに、「書く」ということは常に「書く私」と「読む私」との対話である。スポーツ選手が実行者の体と指示者の頭に分かれてセルフトークするのと同じく、書くという手の運動と思考が分かれているがために、私たちは自分自身と批判的な距離を取り、眺められるようになる。もしかすると、文字と聴声とは同じものなのかもしれない。声を病ではなく神と結びつけて、それを書き残すことが文字の重大な役目だった時代もあったことを思えば。言霊ってそういうことなのかもしれない。

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2024年05月30日

Posted by ブクログ

軸となる明確な結論が出るわけではないが、内言について、精神病に閉じないフラットな視点から様々な論点を提示している。
個人的な体験としては、内言→幻聴は統合失調症と直結して捉えられることが多かった記憶があるので、その認識を改める良い機会だった。雑に統合失調症にまとめられて生活苦しい方が日本には多そうだなと思った。

自分の思考についても考えさせられた。対話はあまりピンとこず、自身とは異なる別人格が話しかけてきたこともないが、黙読したり思考が流れているこの状況はなんなんだろう、と客観的に認知してみると面白い。

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2024年01月31日

Posted by ブクログ

自分は内言や独り言が多いので考えさせられる本だった。自分Aと自分Bで会話しているような感覚があったりする。他の人にもある感覚なんだとわかってよかった。冷静になって物事に対処したいときほど独り言が出てくるのにも納得いった。まだまだわからないことが多い分野なので研究が進んでほしい。

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2023年03月31日

Posted by ブクログ

ネタバレ

自分の頭の中で行われる思考の「声」について書かれた本。自分にはあまりそういう認識がなかったので、多くの人が思考で自分と「対話」しているというのには驚いた(これは終盤で、ある特徴を持つ人たちは対話的内話が乏しいらしいとネタばらし的な回答が得られるのだが…)。自分の思考に伴う「内話」、統合失調症の象徴のようになっている「聴声」の研究の話が続くが、わかっていないことがまだ多すぎてちょっととっ散らかった印象かも。統合失調症の聴声が内声の認識の失敗であるという説は別の本でも読んだが、トラウマ説というのが別にあって競合しているというのは初めて知った。もっと研究が進めば面白そうな分野であることは確かだし、また読みたいテーマ。

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2023年03月17日

Posted by ブクログ

日本語で読みなおしてもやっぱりそんなにおもしろくない、っていうか私はこのネタについてもっと知りたいことが別にあるようだ。

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2022年06月19日

Posted by ブクログ

黙読中に文章が声となって脳に響く。その声が響かないと本に集中していない。
音はないのに頭の中で音で会話している。どうなってるのか不思議です。

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2022年04月27日

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