一見易しい本だが、社会の歴史を巨視的に捉えた、とてつもない奥行きを持つ議論。しばしば読み返すことになりそう。(以下、この本の要約ではなく、私の意見である)
気の早い人は「ポストモダン」と言うけれど、まだまだ近代化はピークを迎えたくらいであって、定着と呼ぶには早い。「ポストモダン」ではなく「ラストモ
...続きを読むダン」と呼んだ方がいい。もちろん「ポストモダン」も始まりつつあるが、いま前景化している(観測される)のは「ラストモダン」のほうだ。
「富を得る能力が人の価値である」というような「富のゲーム」の価値観(文化)においては、ベーシックインカムの受給が「スティグマ」になってしまう。しかし人々の価値観が「智のゲーム」の価値観に変われば、ベーシックインカムを受け取ることのスティグマ性もなくなるだろう。
かつては「農業しか知らない親を馬鹿にしつつ大学に通ってサラリーマンになる若者」がいたが、いまや「親はサラリーマンだが農業に憧れる若者」がいる。成熟から定着のフェーズにかけて「衰退」する産業は、プレイヤー(競争)が少ない「金のなる木」でもある。そして従事者は規制で保護された特権階級になる。その特権はしばしば家督として相続される身分である。同じ事が市民(サラリーマン)と智民の関係についても言えるのではないだろうか。智民に憧れる若者が増え、サラリーマンになる若者が減る。これから数十年は「ダサい」と呼ばれるサラリーマンが、そのさらに数十年後には「カッコイイ」と呼ばれるかもしれない。みんながやりたがらない、しかし社会のなかで誰かがやらなければならないソレを、あえてやっている人になるからだ。いまの農業従事者がソレであり、数十年後(?)のソレがサラリーマンになるかもしれない。