感情を率直に歌い上げるという評価の通り、歌に迫力があります。
但馬皇女の116番の歌や、大伯皇女の105番、106番、大津皇子の107番の歌など緊張と臨場感が伝わってくる。
また大岡信氏が高く評価した笠郎女の歌も、多くがこの岩波文庫版(一)に収録されている。
第4巻に彼女が家持に贈った歌が24首一気
...続きを読むに載せてあるが、とんでもない才能だなと。
本文庫の特徴は、学校の教科書に載るぐらい定着していた解読を一部改めたこと。
例えば
柿本人麻呂の「ひむがしの」の歌、炎(かぎろひ→けぶり)
志貴皇子の「さわらび」の歌、石激(いはばしる→いはそそく)
どちらも納得いく改定でした。ここから分かるのは、『万葉集』の解読はまだ完了していないということ。
そして、100%確定することは不可能なのではないか、ということ。どこまで行こうと推測・仮説の域を出ない。
それは本書の解説に、1000年の研究史を経てもなお完全には読み解けていない歌集だと書かれている通り。説が分かれるどころか、解読すらできない歌が中にはある(9番や67番など)
しかし、じゃあ何を言っても正解なのかというと、それも違う。
100%確定することは不可能でも、その正解に一歩ずつ近づいていくことはできます。その努力を放棄することはない。人ごとに遥かに歩み続けなければならない。
もう一つ言いたいのが、なぜこんなに
天皇・皇子・皇女・貴族・官人から名もなき庶民に至るまで作者の階層が広いのか
北は陸奥、南は薩摩まで地名分布が広いのか
数多くの動植物、装束、調度品など詠みこまれる事物が豊富なのか
さらに歌の内容も豊富だし、漢文や漢詩や書簡集まで収録されている
こんなに内容豊かな作品が日本の文学世界に突如として出現した。第二分冊の解説で「空前絶後」と言われてるがその通り。もっと段階を踏んで作品が少しづつ豊かになっていくなら分かるけど。
なにしろ序文が無いので『万葉集』がなぜ生まれたのかについてはどの説も仮説の域を出ることはないでしょうが、想像してみるのも面白いかもしれない。