島田龍・編の「全集」が書肆侃侃房で刊行され話題になった1年後、文庫で出た。
岩波文庫なので、印象としては「列聖した」感じがするが、多くの研究者のタマモノなのだろう。
本書、編者は川崎賢子で、津原泰水界隈で知った人。
前年の島田龍への言及が、解説に一切ない(定本は2010年森開社版、とのみ)ので、ギョ
...続きを読むーカイ的になんかあるのかしらんと邪推。
読む前はぼやーっと、久坂葉子とか少女趣味とかかしらん、と早とちりしていた。
が、厳しく冷たい言葉遣いに、ガツンとやられた。
現代詩に疎いものだが、先日、「一九二〇年代モダニズム詩集 稲垣足穂と竹中郁その周辺」という本を読んだところ。
で、佐川ちかの詩ってモダニズムで言及されるらしいが、前記”神戸モダニズム”とは全っ然違うんだな、という感慨を抱いた。
知っている人には当然だろうが自分のためのメモなので。
たとえば「青い馬」の中盤にて、
「テラスの客等はあんなにシガレットを吸ふのでブリキのやうな空は貴婦人の頭髪の輪を落書きしてゐる」と、いかにも足穂っぽい語彙が散見されるが、前後は全然「っぽく」ない。
だいいち、冒頭が「馬は山をかけ下りて発狂した」だし、そもそも足穂っぽい語彙ってそこだけだし。
むしろ、吉本隆明や谷川俊太郎が、急に冷酷な言葉遣いをして唖然とさせらるときを、思い出した。
あるいは、吉田一穂の「母」における「あゝ麗はしい距離〔デスタンス〕、/
つねに遠のいてゆく風景……//悲しみの彼方、母への、/捜り打つ夜半の最弱音〔ピアニツシモ〕。」
のような、短い詩を連想。
北海道という共通項だけではなかろうが、
世界と、それを認識するために頼らなければならない言葉との関係。
言葉を削ぎ落したり、付け加えたり、を繰り返す中で、言葉の連なりが別の風景を見せたり、世界の持つ「説明以上の」意味がぽかっと浮かんできたり、するような言語活動そのものが、詩文に現れる瞬間を、動きの中でつかまえてみせた、というような。
同じく短めの詩ということで愛好するのは中井英夫だが、中井の紡いだ語彙は、佐川を前にすれば「甘々」だ。
山尾悠子が、集成だったか、手元にないので適当だが、デビュー当時を思い出した感想として、片仮名混じりで「私ハ少シモアナタタチトハ似テイナイ」と思っていた、という一文があったが、それを連想した。
以上、既知の名でしか整理しきれない、理解のステップにならない、すごいコトバの連なりが、いくつも集まっている本だ。
具体的には、「私は人に捨てられた」とか「私は生きてゐる。私は生きてゐると思つた」とか、今まで聞いたことがあるし、一文だけ抜き出せばあれこれ意味づけできそうな文が、その前に空前絶後の文が提示されているので、「すごい」としか、言えない。
あとは数行だが、「1.2.3.4.5.」とか、仮に暗記して暗誦しても、記憶者・暗誦者の所有物にはならない、はみでる言葉そのものだ。
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左川ちか(1911-36)は昭和初期のモダニズムを駆け抜けた女性詩人。日本近代詩の隠された奇蹟とされた。「緑」「植物」「太陽」「海」から喚起する奔放自在なイメージ、「生」「性」「死」をめぐる意識は、清新で全く独自の詩として結実した。爽快な言葉のキーセンテンスは、読む者を捉えて離さない。初の文庫化。
目次
詩篇
昆虫
朝のパン
私の写真
錆びたナイフ
黒い空気
雪が降つてゐる
緑の焰
出発
青い馬
緑色の透視
死の髯
季節のモノクル
青い球体
断片
ガラスの翼
循環路
幻の家
記憶の海
青い道
冬の肖像
白と黒
五月のリボン
神秘
蛋白石
夢
白く
緑
眠つてゐる
The mad house
雲のかたち
風
雪の日
鐘のなる日
憑かれた街
波
雲のやうに
毎年土をかぶらせてね
目覚めるために
花咲ける大空に
雪の門
単純なる風景
春
舞踏場
暗い夏
星宿
むかしの花
他の一つのもの
背部
葡萄の汚点
雪線
プロムナアド
会話
遅いあつまり
天に昇る
メーフラワー
暗い歌
果実の午後
花
午後
海泡石
夏のをはり
Finale
素朴な月夜
前奏曲
季節
言葉
落魄
三原色の作文
海の花嫁
太陽の唄
山脈
海の天使
夏のこゑ
季節の夜
The street fair
1.2.3.4.5.
海の捨子
詩集のあとへ(百田宗治)
左川ちか詩集覚え書
左川ちか小伝
補遺
墜ちる海
樹魂
花
指間の花
菫の墓
烽火
夜の散歩
花苑の戯れ
風が吹いてゐる
季節
小文
Chamber music
魚の眼であつたならば
春・色・散歩
樹間をゆくとき
校異
解説(川崎賢子)