塚原史のレビュー一覧

  • パサージュ論 五
    ベンヤミン『パサージュ論』の最終巻だが、そもそも未完の書物なので完結編という訳ではない。
    だが、この書物は、未完の断章形式であるということそのものによって、永く生き延びるのではないだろうか。
    一つのストーリーによって、全ての断章が論理的に並べられ、不要なものは刈り込まれ、首尾一貫した一冊の書物として...続きを読む
  • パサージュ論 二
    ベンヤミン『パサージュ論』とのそもそもの出会いは、笠井潔の『群衆の悪魔―デュパン第四の事件』だ。
    それは、パリの街を舞台に探偵オーギュスト・デュパン、ボードレール、バルザック、ブランキなどのビッグネームが活躍するミステリーで、その中でベンヤミンと『パサージュ論』について触れられていたのだ。
    この巻は...続きを読む
  • パサージュ論 一
    ベンヤミン(1892年〜1940年)は、ドイツの文芸批評家、哲学者、思想家、翻訳家、社会批評家。
    代表作:『複製技術時代の芸術』、『写真小史』、『パサージュ論』。/
    《1940年、ナチス・ドイツ軍はパリに侵攻した。亡命中のベンヤミンは膨大な未完草稿をジョルジュ・バタイユに託して、パリを脱出する。》
    ...続きを読む
  • 人間はなぜ非人間的になれるのか
    [ 内容 ]
    「人間」とは、自由で平等な近代社会を作るための発明品だった。
    そして、それは理性的で主体性をもつ個人のはずだった。
    ところが、巨大化し機械化する都市の孤独のなかで、この人間たちは気づかされる。
    「理性と主体性のある「私」なんて嘘だったんだ!」このときから「人間」は「非人間的」な存在へと...続きを読む
  • パサージュ論 五
    ベンヤミンの断片集であった。特に他の巻との関連があるかどうかはこの巻だけでは不明であった。メディア論と関係があると思って読んだが特には関連は見いだせなかった。スマホからの記載ができなかった。
  • 人間はなぜ非人間的になれるのか
    人間は、人間でありたいと願い、自由を手にし、それを万人が行使した結果群衆となる。群衆は歯車であり、機会的であり、代替可能であり、非人間的になれる環境となる。
  • 人間はなぜ非人間的になれるのか
    自由と平等のもとに権利と義務を果たす理性を持った普遍
    的「人間」というのはたかだか18世紀西欧に概念として造られたものであるにすぎない。そしてその後の歴史はアンチテーゼとしての「非人間」的な現象や行為との往復によって彩られ、戦争や革命、収容所が、主体的な個人のロンリネスの逃げ場としての全体主義によっ...続きを読む