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『新古今和歌集』や『小倉百人一首』の選者として知られる歌人藤原定家は、果たしてどのような日常を送っていたのか。青年期から生涯にわたって綴られた日記『明月記』を詳細に読み解くことで、宮廷での公務の心労、人間関係の軋轢、家長としての重圧と苦悩、息子たちへの思い、など、生身の定家の姿を浮かび上がらせる。
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Posted by ブクログ
新古今和歌集、小倉百人一首の撰者の日常に迫る一冊。明月記を丹念に読み、ときには大胆な推測をしていて、定家とその周囲の人々の姿をありありと感じることができました。 オーロラについての記事が取り上げられるかな?と思いましたが、それはなかったけど、いい本でした。
「明月記」を読み込んで、定家を含む家族との関係に重点が置かれたものだという印象。若いころは姻戚関係の記述が煩雑で嫌いでサラッと読み進めていたが、最近は文章と系図を交互に見ながらその人物の考え方や行動に影響があったのか考えるのが楽しくなった。当時を含め、古代(縄文を含めて)から近世までの日本では女性の...続きを読む果たす役割がすごく大きいと定家周辺の姻戚関係を見ていて、改めて感じた。いつもそうだが本を読むと興味が無限大に広がっていく。この本からは定家の生きた時代、後鳥羽天皇、新古今和歌集、百人一首、嵯峨の中院への旅・・・。時間が足りない。あと、定家が猫を飼っていたとは驚きであり、微笑ましくもあり、嫁さんが飼ったから世話をしたというんもええなぁ。どんな顔して猫をゴロゴロさせとったんやろう。(6/23記)
新古今和歌集や小倉百人一首の撰者である藤原定家を知りたくて読んでみた。彼の私日記である明月記を通して彼の人生について述べているが、彼が見物好きだったり暴力事件を起こしたり、後鳥羽上皇なんかにも無礼なことをしたり、長男の光家を疎んじて弟の為家ばかり可愛がったり、上級官位への欲望の強さだったり、優れたア...続きを読むーティストだからかやたら我が強いように見える。
「明月記」に興味はあるけれども、全部を読み通す能力のない人間にはうってつけ。鎌倉時代の京都に住む貴族の様子も分かる。
日記『明月記』を中心に藤原定家とその周辺を歴史的に見た書。細かいところだが定家邸の変遷とか、家族についての考察など大変興味を引かれた。子の為家が関東武士宇都宮頼綱の娘を妻にしていたとか、その縁で牧の方(このころは牧尼となっている)が登場したりとか、朝幕関係を考えるうえでもなかなか面白い。もちろん後鳥...続きを読む羽院とか京都側のことも。 『玉葉』はかなり研究されているが、『明月記』ももっと歴史的にちゃんと読み込んで研究すべきなのだろう。個人的には著者も取り上げきれなかったと書いている天文関係記事についてもっと知りたい。かに星雲関係は有名だが最近注目されているオーロラ記事など天文学史的にも歴史学的にも重要な記事が多そう。
1200年代の京都に住んでいた貴族の生態を「名月記」から考察した面白い本だ.当時の女性は天皇の后として男の子を産むことが、自分の一族の誉れであったようだが、本書でそれを期待していたが彼女たちの肉声はなかなか出てこない.ここでは定家の行動を追っているが、男として出世を願いながら、政敵との葛藤を勝ち抜く...続きを読むことも重要であり、定家の行動は1200年代も今もあまり変わっていないなと感じた.このような資料が残っていること、それを読める人がいることは、日本の文化としては非常に重要だと感じた.定家が家司として仕えた九条兼実、彼のカウンターパートであった源通親.それぞれの娘が男の子を産むがどうかで親の出世が決まる世界.何か腐臭を感じるが、通親が曹洞宗の高祖 道元の父だった可能性があるとの説もあり、貴族の世界の魑魅魍魎を実感した.
藤原定家(1162~1241)が1180~1235の55カ年に渡って遺した日記『明月記』を家族、任官、荘園経営といった側面から読み解いたもの。家族に関する記述は特に充実している。筆者によると、『明月記』は多くの貴族日記と比べて私的なことを多く書き残しているため、中級公家定家の喜怒哀楽を窺うことができ...続きを読むる。 『明月記』を通じて筆者がたどり着いた結論は、定家=ジコチュー(自己中心的性格)。殿上での喧嘩、任官への強い関心、後鳥羽院との仲違い、息子たちへの接し方など。源平の争乱や承久の乱を目の当たりにして、「紅旗征戎吾ガ事二非ズ」とうそぶいた精神も、この端的な例に加えられるだろう。もっとも、定家の「自己中心的な性格こそが、和歌の革新をもたらした原動力であった」。
藤原定家の『明月記』を読み解き、定家の実像にせまっている本です。 建久の政変によって九条兼実が失脚し、兼実の家司であった定家は官途の望みを絶ったと告げたことに触れて、著者は「「そんな言い方はまずい、破滅するようなものだよ」などと、声をかけたくなる瞬間がたびたびある」といいつつも、「それが良くも悪く...続きを読むも定家の真骨頂であった」と述べています。 こうした著者の定家に対する批判的なまなざしは、定家が為家を目にかける一方、光家に対してはあまりにも冷たい態度をとっていたことを紹介しているところにも見られます。「定家さん、冷酷に過ぎませんか」といったことばがしばしば記されており、定家のつきあいきれない性格にあきれつつも、『明月記』に記されたことばから定家の実像を明らかにしようとしています。 「あとがき」で著者は、「『明月記』は徹底して私の視点で書かれた、いってみれば極私日記であった。この時代に、これほど“じこちゅう(自己中心的)”な記述も珍しい」と述べていますが、そのような性格をもつ『明月記』がのこされていたからこそ、定家のアクの強い個性がはっきりと見えてくるのかもしれません。 なお、本書とおなじ岩波新書から五味文彦の『藤原定家の時代―中世文化の空間』が刊行されており、やはり『明月記』の叙述をくわしく参照しながら、定家と彼の生きた時代について考察がなされています。
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藤原定家 『明月記』の世界
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村井康彦
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