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公害病の中でも大規模で最も悲惨なものの一つ、水俣病。苦痛に絶叫しながら亡くなった人々や胎児性患者のことは世界的にも知られているが、有機水銀によるこの環境破壊の恐るべき全貌は、いまだに探りつくされてはいない。長年患者を診察してその実態の解明にとりくんできた一医学者の体験と反省は、貴重な教訓に満ちている。
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Posted by ブクログ
先日の環境省の問題で手に取ったが、かねてから「近代/環境」の関係を事例レベルから理解する必要性を感じていた。YouTubeで水俣病の症例を見てから、本書を読むと、ある意味淡々と症例が列記されている感じにも思えた。恐らく、動画にあがっているものは本書でいう「重症」患者で、水俣病の一面的な部分でしかない...続きを読むのだろうと思う。本書で取り上げられている事例の多様さは、恐らく著者にしか書けないであろうリアリティが伝わってくる。また、著者の本音も随所に描かれているのが良かった。 医学部は「水俣病の実験的研究はしても、臨床的研究には手を出すな」「あれは研究でなく社会運動か県庁のする仕事だ(p. 234)」なる記述には心を痛めた。科学とは何か、科学における客観性とは何か、科学はいかに社会に貢献すべきかを考えるきっかけになった。また、水俣病が近代社会論という大きな括りだけで議論できるものではなく、日本社会特有の構造(e.g., 村社会の閉鎖性,企業城下町)にも起因していた点に、事例研究の重要性を感じた。 そして、今「普通」に生きられていることが幸せだと思った。
原田正純さん、最初の著書。初版からちょうど10年後、学生だった私は、とある古本屋でこの本と出会いました。水俣病は教科書の中で知っていたことでしたが、それが現実であることを思い知らせてくれた1冊でした。私の、「いま」につながる、大事な大事な1冊です。
「安全性の考え方」に学ぶ 表題は武谷三男氏の著書名。 武谷氏の著作を根拠に、本書の中で企業の環境マネジメントにおける善管注意義務を語る。 そのポイントだけを言うと、 ・危険なものはできるだけ外へ出さないのが、 排水処理の根本原理。 ・排水の処理方法が研究、調査されるべき。 ・排水後も環境に異常が...続きを読むないか常に監視すべき。 さらに筆者は、 企業は安全性不明の排水から生じる危険を予見しこれを未然に防ぐ必要な処理を講ずるべきと主張し、 予見の対象をメチル水銀に限定するチッソの態度は「言い逃れ」に過ぎないと断ずる。 企業はなぜ環境マネジメントをやらないといけないのか、その答えがわからなくなった時本書へ帰ってくる、 そんな位置づけの本。
一見とっつきにくそうな見た目、タイトル、そして本を開いてびっしりを細かい活字やグラフが並んでいるのを見て一瞬ためらったが、読み始めると止まらない感じでぐいぐい読ませる良書だった。 水俣病の診断と研究に心血を注いだ筆者が、昭和46年当時の水俣病の状況について、様々な観点から論じた本。 水俣病の発見と...続きを読む原因の特定にはじまり、それでも原因物質を垂れ流し続けた企業論理との対決、そして水俣病の実態とは何か、その中で医師の役割とは、といった感じで話が進む。 今から40年前に書かれた本でありながら、全く古さを感じさせない。 公害問題が起こったときの安全性や保障についての考え方、公害病の診断、認定の基準についての考え方など、勉強になった。 ただ、安全性についての、武谷氏の「安全性の考え方」から引用されている、「放射能が完全に無害だと証明されない限り核実験はすべきではない」というような主張はいまいち腑に落ちなかった。 それではどんな経済活動もできなくなってしまうが、それは同書からの引用「許容量とは科学的な概念でなく社会的な概念である」(つまりトレードオフ?)という部分が絡んでくると思うが、上記の部分とうまく繋がっていないような気がした。 同書もいずれ目を通したいところだ。 本書の最後の方で、原因物質に特有な症状が消えても、表面上は成人病や神経薄弱といった症状に姿を変えて、水俣病は世代を超えて残り続け、今後は疫学的な、継続的な研究が必要であろうという話があって、背筋が寒くなった。 また、こういった新しい種類の毒というのは、本来毒をブロックする胎盤を通り抜けてしまい、出産という形で母体が毒を排出するという、種の保存とは逆の作用をもたらしているという話もあり、筆者と同じで、戦慄を覚えた。 筆者は、そうして人類のレベルは低下していくのでは、というような感想を漏らしているが、全く笑い飛ばせない。 公害問題というのは一時期騒がれて終わった気になってしまうが、基本的にとりかえしがつかないということが分かった。 しかし、水俣病の患者の惨状というのは、学校で習ったつもりではあったが、やはりすさまじい。 一方では多くの被害者の人格が完全に変わるほどの毒を垂れ流しながら(しかも影響が顕著なのが分かっても当該企業は続けていた。)、一方ではその診断や研究に奔走する。 筆者もその点について奇妙な感慨のようなものを抱いたようだが、本当に人間というは奇妙な生き物だ。
水俣病の臨床をその初期から現在まで続けている医師、原田正純先生によって1972年に書かれた本。「公害」について、「公害に対する国や企業の姿勢」についての本質を痛感すること請け合いです。今回の福島第一原発事故も間違いなく「公害」であり、すべての人、特に医療者は必読と思いました。久々に赤線を引きまくった...続きを読む本でした。
[ 内容 ] 公害病の中でも大規模で最も悲惨なものの一つ、水俣病。 苦痛に絶叫しながら亡くなった人々や胎児性患者のことは世界的にも知られているが、有機水銀によるこの環境破壊の恐るべき全貌は、いまだに探りつくされてはいない。 長年患者を診察してその実態の解明にとりくんできた一医学者の体験と反省は、貴重...続きを読むな教訓に満ちている。 [ 目次 ] [ POP ] [ おすすめ度 ] ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度 ☆☆☆☆☆☆☆ 文章 ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性 ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性 ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度 共感度(空振り三振・一部・参った!) 読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ) [ 関連図書 ] [ 参考となる書評 ]
1988年に数度読んだ本です。水俣病の原因を追及するまで7年。単に問題を研究することが目的ではなく、被害に遭われているかたのことを1番に考えねばならないことを記してあります。 社会の本質を鋭く描写してある本でもあり、我々は決して目をそらしてはいけない課題だとも思いました。
水俣の裁判の場合は、企業に過失があったかどうかということがいちばん大きな争点であること、水俣病の発生から実に15年も経って、はじめて「水俣市報」で水俣病認定申請手続の広報がなされたことに驚かざるを得ない。とにかく日本という国は責任を取ろうとしない。実際に起こってしまったことに対して、被害者が納得でき...続きを読むる責任の取り方は事実上まず無理ではあるのだが、起こしたことの非は認めて謝罪することはできるはずだ。
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