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「誉れの子」「靖国の遺児」と呼ばれた戦没日本兵の子どもたち。戦時下にあって、毎年五千人を超える彼らが、全国各地から靖国神社に参集したという「社頭の対面」。この一大行事を通して、国家は何を意図し、どのような効果を及ぼそうとしたのか。肉親の死を、国家への絶対的忠誠へと転化し、さらに戦意昂揚の一翼を担わされていくという、子どもたちが負った過酷な戦争の一断面を、豊富な一次資料と証言を通して明らかにする。
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Posted by ブクログ
戦争で父を亡くした子が,国からどのように「大切」に扱われていたのか。そのことのみに焦点をあてた本。わたしは,最近プロパガンダポスターの本を読んだこともあり,とても興味深く読むことができた。 著者は,わたしのところにも一度来てくださったことがある。友人宅(この方の祖父は戦時中,小学校校長)の土蔵か...続きを読むら大量の古書が出てきたのを,「研究用にいただきたい」と取りに来て下さったのだ。なるほど,その研究成果はこういう本になって世に出るのか…と思った次第。本書を書くために,蒐集されていった古書が利用されたのかどうかは知らないが,こうして〈戦時中の一般的な雑誌〉から当時の世相やプロパガンダを切り取って示してくれるととても分かりやすい。 それにしても,父を亡くした子どもたちに向かって「おまえたちも父のように国家の為に命を捧げる人になるんだ」ということを「感動を持って」押しつけていく国の姿は大変怖い。こういうことが当たり前に行われていたことに驚愕する。 教育現場での式典には「日の丸・君が代」が当たり前になってしまった。ほんの30年前までは,これをめぐって死者まで出たというのは,もう遠い昔になった。いまの子どもたちは,「日の丸・君が代」になんの違和感も持たないで育っていくのだろう。それはそれで幸せなのかもしれない。しかし,このことが「再び戦争ができる普通の国に向かっている今の日本」と無関係ではあるまい。 こういう本を読むと,「昔はそうだったんだね」だけではすまないものも感じてしまう。 今は大丈夫か? 本当に大丈夫か? あなたは自分で判断しているのか? 本書で紹介されていた,内閣情報部によって発行された国策雑誌『写真週報』より,「社頭の対面」に関する部分の一部を引用してみたい。それは少年の笑顔の写真に添えられた一文だ。 靖国の社頭に頭を垂れ 父の遺志に耳をすます可憐な姿 やがて父子安相伝えて国に殉ぜんこと われらひたすらその健やかな成育を祈り 心を一つに力を共に われらすべてがその父たらんことを希う こんなのあり得ん児童観・教育観だ。
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