ブックライブでは、JavaScriptがOFFになっているとご利用いただけない機能があります。JavaScriptを有効にしてご利用ください。
無料マンガ・ラノベなど、豊富なラインナップで100万冊以上配信中!
来店pt
閲覧履歴
My本棚
カート
フォロー
クーポン
Myページ
10pt
イェール大学で23年連続の人気講義が、ついに日本上陸! ――人は必ず死ぬ。だからこそ、どう生きるべきか―― なぜ、余命宣告をされた学生は、 最後に“命をかけて”、 この講義を受けたのか!? 死を通すことでますます「生」が輝きを増す、世界的名著!
アプリ試し読みはこちら
Posted by ブクログ
こんなに「死」を深堀して考えたことなかったので読んでいる間楽しい時間だった。哲学的な部分は読むのが大変に感じてしまったが、死はどのような状態をいうのか、死の何が恐いのか、不死は良いことなのか、自殺はどのように考えたらいいのかなど、死に直面する前に考えておきたいことばかりだった。
おもしろすぎる!! 分厚い本だったけど一気に読み終わった! 是非私もこの講義を受けたい。そして、その時にはシェリー教授に多くの質問をし、語り合いたい!!! 本当におもしろかった。
イェール大学の哲学者による、死に関する様々な命題を取り上げた一冊。 長年死に対して恐怖を抱いていたが、今回読破してみることで、少なくとも永遠に生き長らえることが苦痛であること、死に対してより具体的なイメージを持つことができた。ぜひ強く読破をおすすめしたい。
自分はこれまで死について深く考えることは無かった。この本を読んで死についての認識や在り方、考えかたが変わった。 死とは、本人にとって悪いものではないし、恐れるものでもない。死んでいる状態は本人にとって何も存在しないから。生まれる前の事を気にする人がいないのもその為。死が悪いといえるのは、死が思...続きを読むっているより早く訪れた場合。しかし、不老不死は良いことではなく、逆に良くないことになる。なぜなら、人は永遠に生き続けられる生き物ではないから。自殺はケースによって許される場合がある。それは、本人が生き続けることが死ぬことより悪くなる場合。例えば、人間らしい生活が送れなくなる、生きるのに苦痛しかない場合など。しかし、ほとんどの場合、道徳的に自殺は許されない。 自分は、死が悪いのは死が思ったより早く訪れる場合に悪くなるという「剥奪説」を知った。確かに、死ぬだけなら本人にとって何ら悪いことはない。しかし、生きていれば経験することができた良い事が、死によって奪われるのは誰にとっても悪いことになる。また、自殺を何がなんでも良くないという考えを改め、その人にとって必要な場合もあると考えるようにする。 生きることとは、自分が人生で良いと思えることを実行できている時、価値があると考えらる。人生は充実度の量より質を求めていくべき。なので自分の人生の生きる目的・目標を定めるべきだと思った。
序盤の「宗教的に考えません」って所でもう心を掴まれてたんだけど、形而上学的な考察が長くてって言うか終始それなんだけど中弛みがありはした。 ただ、やはり、死の考察はそれぞれがやるべきだけど「宗教がこういうからこう思う」で済ませる人を否定も出来ないなと改めて思った。 結局、この本の言ってる事を踏まえた...続きを読む上で抽象化すると、身近に例えると「人=細胞」かな。システムではあるんだけど、それを悪性や良性に分けたり、殺す意味や細胞の適齢を伸ばす意味、生まれ変わりとしての代謝、自浄作用などを自分の体内で起こってる事なんだけど俯瞰で見るとこういう言い方にもなるのかなとも思いながら。 ただ、私の死に対する恐怖は単に「健康寿命との差異」だな。それについては触れてたかも知れないけど、あまり私の読み方では目につかなかったなぁ。
死とは何か、死はなぜ悪いのか、人生の価値をいかにして測定するか、といった死にまつわる諸論点の哲学的説明を試みる本。 機会費用的な考えを応用した剥奪説に対してエピクロスやエピクロスの再解釈、ルクレーティウスをぶつけ、さらに反論を加えたあたりはなかなかエレガントだったように思う。 また著者の主張の本...続きを読む流ではないかもしれないが、カート・ヴォネガットの著作の一節から引用した考え方が素敵だった。 死に向き合おうとするときの適切な反応は、生への感謝であるという。起き上がることを許された我々「幸運な泥」たちは、多大なる幸福に浴している。 一つの論点に網羅的な可能性を提示し平易な言葉で十分な検討を加えてくれるのは素晴らしいのだが、説明が平易な分、思考の交通整理にはややこしい。ひとまず頭から一読した。
「死」とは何か?この深遠なる謎に対して、まったく未知の、あるいはこれまで抱いていた概念がガラリと変わるような、そんな知識を授かることを期待していましたが、その期待は外れました。著者はドラスティックに断言します。「人は機械である」と。機械は壊れてしまえばもうおしまい。つまり、魂など存在せず「死」は一巻...続きを読むの終わりであり、その後は無であると。私も、もとよりこの考えでしたが、それでは救いがない。どこかで永遠不滅の魂というものが存在することに期待を寄せていました。けれども、本書を通じて、そもそも「死」を深遠なる謎などと見なすことが不適切である、と考え直しました。そこには「死」に面と向き合うことを避ける心理が見てとれます。その先には、どう生きるか?なにを為すか?という問いが立ちません。「死」に対する不安や恐怖は依然としてあります。また、多くの人にとって「死」は早く訪れ過ぎると思います。技術の進歩が新たな生命の器をもたらし、自分が心から満足するまで生きることができて、いつの日か「もう充分」と思ったら、死に方や死ぬ時も意のままになる。そんな世界が訪れないかと幻想を抱きます。一方で、事実を受け入れ、恐れたり幻想を抱いたりしないようにしよう、という対立する新しいチャネルが自分のなかに立ち上がったことも確かです。本書は、「死」について考えるきっかけを与えてくれる良書だと思います
自分の死生観に関しては、決してここで書いてよいものではないはずだ。それが誰であっても。 ただ、「死」に関して、自らフィルターを設け、考えるのを拒否している人間が多い。 酒やタバコ、自堕落な食生活。薬のODやetc. これらはゆるやかな自殺に他ならない。死を早めているのにもかかわらず気にしない素振...続きを読むりで馬鹿みたいな顔で続けているのは、「いつか死ぬ」ということについて考えることをやめてしまっている。そんな人間は決まって「いつ死んでもよい」と宣う。そんなわけはないだろう。一番命乞いしそう。知らんけど。 死生観すらも持っていないのではないか?なんとなくで時間を消費していないか? 本書を読めば、ある程度死に関しては深く考え、救われるかもしれない。死というものが怖くなるかもしれないし、受け入れ、そのためにどんな行動をすればいいかの指針が決まるかもしれない。 読むと読まないでは生き方が変わってくるだろう。
哲学書だけに答えが無く、読み進めていくうちにモヤモヤしたものが残る。前半部分は冗長と感じたが、後半部分は面白い。人生を充実度と年数を掛け算した面積で比較する所は興味深かった。自殺を±ゼロより悪い人生を基準に肯定している所は同意出来る。死というテーマは全ての人にいずれ訪れる人生のイベントで有り、避けて...続きを読む通る事は出来ない。そして死後の自分がどうなるのか誰にも分からないし、答えもない。
死についてのいろんな側面について定義を置いてその正当性を考察している内容。世間一般で言われる説に関して反例を挙げて批判するところが学問的に感じた。これを呼んだからといって死に対する恐れがなくなることはなかったが、死について学問的に考えるいいきっかけとなってよかった。
レビューをもっと見る
※アプリの閲覧環境は最新バージョンのものです。
新刊やセール情報をお知らせします。
「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義
新刊情報をお知らせします。
シェリー・ケーガン
柴田裕之
フォロー機能について
「学術・語学」無料一覧へ
「学術・語学」ランキングの一覧へ
ホモ・デウス 上下合本版 テクノロジーとサピエンスの未来
21 Lessons 21世紀の人類のための21の思考
あなたが消された未来――テクノロジーと優生思想の売り込みについて
格差の起源 なぜ人類は繁栄し、不平等が生まれたのか
大惨事(カタストロフィ)の人類史
緊急提言 パンデミック 寄稿とインタビュー
経済は「競争」では繁栄しない
ケンブリッジ大学・人気哲学者の「不死」の講義
作者のこれもおすすめ一覧へ
▲「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義 ページトップヘ