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老齢に至って病いに捕まり、明日がわからぬその日暮らしとなった。雪折れた花に背を照らされた記憶。時鳥の声に亡き母の夜伽ぎが去来し、空襲の夜の邂逅がよみがえる。つながれてはほどかれ、ほどかれてはつながれ、往還する時間のあわいに浮かぶ生の輝き、ひびき渡る永劫。一生を照らす生涯の今を描く全8篇。古井文学の集大成。
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Posted by ブクログ
「ゆらぐ玉の緒」(古井由吉)を読んだ。 この作品群はひときわ死の影が濃いような気がする。 しかしまあ古井氏の文章にはいつも唸らされる。 『春先は病みあがりに似る。』(本文より) 読む者の想いが時空を超えて彷徨い、辿り着いたそのいつかのどこかの春先の自分に戻り「あゝ!」と腑に落ちる。
2016(平成28)年刊。2020(令和2)年に82歳で亡くなった古井由吉さんの、77-78歳頃に執筆した短編小説集である。やはり古井さんは、日本語の現代芸術小説の最高峰に位置する、孤高の作家であった。 私が古い文学に出会ったのは高校生の頃で、言葉の鋭利さを研ぎ澄まし、自身の心の内奥のミクロな部...続きを読む分にまで分け入るようなその世界に驚嘆し、何冊も買って読みふけった。特に当時新刊本だった新潮社ハードカバーの『眉雨』(1986《昭和61》年)、今は講談社学芸文庫から出ているらしいが当時は集英社文庫にあった名作『山躁賦』(1982《昭和57》年)は、何度繰り返し読んだか知れない。 当時たまたま古井さん(当時49歳前後か)がインタビューされたのがTVで放映されたのをVHSビデオに録画した。非常に温和、穏やかで大きな抑揚なく話される方で、その語りには、何度視聴しても強烈に眠くさせられたものだ。すべての者を深い沈黙の眠りへと誘う、凄まじいラリホー、ラリホーマである。この起伏のない穏やかさ、打ち続く主体の語りの濃やかさは、彼の小説世界に通じるものがあったかもしれない。 ムージルの影響が強いと覚しいその作風は、初期の作品では観念的なところがあったが、次第に明解な大仰な物語性を失し、日本語特有の微妙さを極めにかかって、どちらかというと私小説のような随筆のような、私が永井荷風の作品を分析して「随筆フィールド」と呼んだような場所に入っていった。 言葉の機能を引き出し、「普通の」コンテクストを乗り越えて内面の前意識/無意識の隅々までもを照らし、彷徨い続けつつ意識化してしまうこの芸術は、まさに現代芸術の粋である。ただし、すべての作品において同じような実験性のスタンスが維持されるため、個々の作品に多彩さは無い。一つ一つが結局同じようなものを目指してゆく武満徹さんの楽曲が、幾つかのアルバムを立て続けに聴くと全部似たような印象に閉じこもってしまうのと同じように、古井さんの一編一編が入魂の、ミクロな探索となっている小説群も、多様さを欠いて、作品相互の差異に驚かされるということは無い。 社会人となって以降は、古井由吉さんの本はほとんど読んでいなかったが、やがて自らの「老い」を主題化したような方向、さらに私小説めいた方向に進んでいったらしい。 80歳近い頃に書いた本書の諸編も、いずれも「老い」の通低音が響いている。そして、老人が得てしてそうだとでも言うように、自身の遠い記憶の断片をしきりに蘇らせる。20代の頃、40代の頃、50代の頃と思い出は頻繁に浮上してくるのだが、特に強い記憶であるのか、8歳の頃に経験した、1945年の東京の空襲で燃える街を母親と共に逃げる場面が頻出する。 老いた現在において、縦横に過去が侵入してくる意識の旅は、時制を自在に混在させる小説世界へと結晶している。 <八十の坂を這って登りつつある今になり、年の傾きとしては暗鬱な空よりも、穏やかな光のほうへ、死刑台の支度を思わせる薪の音よりも、風も息をひそめた中を降る木の実の音のほうへ、耳を澄ませられるが、さて我が身のことと振り返れば、どんな秋の、どんな年の傾きを、うち眺めてきたものやら。春も知らず秋も知らず、一日の移りも知らず、年を経てきたような気までしてくる。秋も暮れかかる頃と言えば、貧しかった子供の頃の、ひもじさ肌寒さ、身の置きどころもないわびしさが思い出されるが、成人してからも、何かにつけて秋の色を眺めさせられたことはあったはずだ。青年もすでに老いのはじまりである。とりわけ、人を慕うとなると、とかく今の境を超えて遠くを思いがちになり、そこにおのずと老いははじまる。まして中年に深く入れば、日の落ちると同時に、赤い残照の差し返す中で、まがまがしい黒さをふくむ秋の雲に、我が身の内にこそ近頃、いままで知らなかった翳りのときおりひろがるのをひそかにあやしむ。そのまま早い死に至った人もあるだろう。>(「時の刻み」P.88) この作品集の文体のありようを例示しようと思い、任意の1節を引用した。 80年代の作品にはあったエロティシズムや情感の濃密さはむしろ老いの枯れたような乾きに取って代わられており、過去と現在を自在に渡り歩くような言葉のアクロバティックなしぐさがめざましい。 古井文学は高踏的な現代芸術がそうであるように、「何かを表現するために」具材(言葉)を操るのでは無く、現出してきたそれにその都度改めて向き合い、コンテクストへに埋没すること無く常に覚醒した自己を生成し続けるのだと思う。このことを明かすような1節が、本書の中で見つかった。自作『山躁賦』の海外での翻訳について述懐する件で、こうある。 <しかし私自身こそ、書きながら読み、読みながら書く者であり、節々で自身半解の文に立ちつくし、よろけかかるままに前へ踏み出す。さらに迷いこむ。原点というものがないので、どこから来てどこへ行くか、知れない。>(「その日暮らし」P.194) こうした意識は、私自身が作曲に耽っているときそのままに実感していることだし、現代音楽の作者は基本的にこういう場所にいるのではないか。出てきた言葉、出てきた音にその都度向き合い直し、覚醒しつつ瞬間瞬間の生成を編み出してゆくのである。 日本語という独特な領域の中で、現代文学の最高の探究の痕跡を残したこの文学は、やはり恐らく未だに比類無く絶後であり、研ぎ澄ました五感の奥まで分け入りつつ、既存のいかなるコンテクストにも依存しようとしない、孤高の芸術といえるだろう。
俳句の余韻をずっと味わっていたような読後感。 電車の中ではなく、静かな場所で心地よい椅子に座ってじっくり読みたい。
明確なストーリーはなく,季節のうつろいと,作者を彷彿とさせる老人の心情が詩情豊かに描かれています。 意味を捉えるのもなかなか難しく,私は読み終えるのにとても時間がかかりましたが,とても常人には真似のできない高尚な表現力に,本格的な文学というのは本書のような小説をいうのだろうと思いました。
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