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虐待の家で育った少女が、笑顔を取り戻した──。貧困・虐待・スクールカースト・ドラッグ・性。現代の子どもたちが抱える問題の最先端が現れる「保健室」と、そこで彼らを支えて奮闘する「養護教諭」の活動に密着したルポルタージュ!
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Posted by ブクログ
昔の保健室は怪我をしたり、熱や頭痛・腹痛などの体の症状で通っていたように思うけれど、現在は、心身、心も身体も両方のケアを求められていて、養護教諭が果たす役割が大きくなっているのですね。やってもやっても終わりがない、幅広い活動が求められているようです。 スクールカウンセラーはまだ、配置が遅れていて、...続きを読む配置されても、週1回、など時間や日にちが限られているところが多いのですね。 数年に渡り、ルポライターの著者が沢山の学校の保健室をまわり、サブタイトルにもあるように、その裏に隠れている「貧困・虐待・性の問題」を取材、自分の知らない沢山の世界を垣間見ました。 子どもには親の他にも、周りの人たちがちゃんと見守っていく、関わっていくことが必要だな、と改めて感じました。 保健室の先生には本当のことを話せるけれど、担任の先生や友達、親には話せない、そんな子どもたちがいることを、教員にも知ってほしいです。 (問題は起きていない、と断言する、または見ないふりをする教員がいるそうです) そんな先生には、是非、一読願いたいです。
自分がSSWを志すきっかけとなった1冊 『保健室は困ったときに来るところ』 『困った子は困っている子』 『なるべくたくさんの人の手をかける』 一見あたりまえのようではっとさせられる 子どもの些細なSOSも見逃さないように 世間の ふつう の枠組みからこぼれ落ちてしまった子どもを受け止める保健室...続きを読む 普通の子に戻ったらもう振り返らない それでもなにかが変わるきっかけのひとつであれたら 定期的に読み返したくなる大切なことが詰まった1冊
■困った子は困っている子 ・教師から見て問題行動の多い「困った子」は見方を変えると,様々な困難を抱えて助けを必要としている「困っている子」である。 ■養護教諭は日本独自の教育職。 ・養護教諭のツールは1905(明治38)年,岐阜県の小学校に配置された「学校看護婦」にある。 ・トラコーマという目の感染...続きを読む症が全国的に大流行していたため,当初は子供たちの洗眼を役割として各地で公費採用されるようになった。 ・1941(昭和16)年に公布された国民学校令で,学校看護婦は「養護訓導」に変わり,教育職員となった。 ・1947(昭和22)年,学校教育法の制定により,養護訓導は「養護教諭」へ改称された。 ■養護教諭が差別的な位置にある原因(「養護教諭の社会学」すぎむらなおみ氏) ①教壇に立たない教員であること ②職務内容が他者に理解されにくいこと ③養成課程が統一されていないため学歴がまちまちであること ④前身が学校看護婦で「病院」から「学校」への移民であること ⑤ほとんど女性であること
臨床心理士の立場から。養護教諭の先生の役割はとても大きい、どちらかというと閉じて入りづらい(相談という用事がない限り)スクールカウンセラーの部屋とどちらかというと開いていて入りやすい保健室、そこの違いも大きくあるような気がした。どちらが何を背負うべきという話ではなく、スクールカウンセラーはスクールカ...続きを読むウンセラーとしてより学校に根ざせるように何かできないものかと考えさせられた。
子どもの頃、保健室には身体測定とケガをしたとき以外ではお世話になったことのない僕です。たまたまなにげなく見たテレビの特集でなんとなしのイメージがあるばかりで、具体的には保健室ってよくわからず、でもなんだか知っておかねばならないような……というひっかかりを本書のタイトルから感じて、手に取りました。 ...続きを読む保健室ってどう機能しているのだろう? どのような苦しみを背負った子どもたちがやってきて、どういった悩みが寄せられるのだろうか。そこで養護教諭はどんな対応をしているのだろうか。著者が実際にいくつかの中学校の保健室に滞在し、そのなかでリアルタイムに経験したものや、養護教諭や生徒への取材から知ったことなどを中心とした内容です。昨今の子どもたちのリアルな負の部分、それは虐待や貧困がそのひどい部分が主なところです。また負の部分というよりも、子どもたちが悩んでいたり弱っていたりする部分、社会の変化やその社会の変化からの相互作用によって自分たちに生じた変化にもがいているような部分、そういったところから保健室でこそ発せられるSOSを世に明らかにすることで、その内容が多くの大人の読者たちが知ったり考えたりすることができるように問いかけてきます。 第一章では、さまざまな子どもたちのいろいろなケースが語られる。しかし、養護教諭は話を聞き、励ましたりアドバイスしたり寄り添ったりはできますが、たとえば家庭での貧困や虐待にはなかなか介入ができない。それに、中学校の三年間が終わったり養護教諭が転勤や退職になると、悩める子どもとの縁が切れてしまう。第一章だけ読むと、歯がゆくてたまらなくなります。ほとんど放置じゃないか、と。家庭の味はインスタントラーメンという母子家庭(母親に健康上の問題がある)の子ども、愛着障がいの子ども、マスク依存の子ども、それぞれが難しいケースで対症療法的な軽いアプローチをするのが関の山のようなところがありました。 しかしながら、第二章のひどい虐待を受けている女生徒、それもあらゆる虐待を経験し続けている女子ですが、彼女と養護教諭との交流や、第三章のつよい精神薬を服薬しながら保健室登校している女生徒と養護教諭とそのチームの関わりの話、第四章のLGBTの男子生徒と、卒業後も続く養護教諭(養護教諭が退職後に町の保健室を開設したがため繋がっていられた)の話、それらが、各々の場所でなんとか活路を見出すために獅子奮迅しているさまに、なんともいえず胸が熱くなるときがありました。 「困った子は困っている子」という本文中の言葉に、そうだよなあ、と肯かされました。各学校に少数でもそういった困っている子がいるとして、全国でトータルしてみれば、そして各世代を合計してみれば、いまも苦しんでいる人はかなりの数になるでしょう。 児童相談所に連絡しても、かなりひどい案件だったとしても「様子をみましょう」という対応になることが多いそうです。児童相談所が抱える事案がことのほか多いためではないか、と書かれていました。だとすると、「ちょっと待て」となりますよね。苦しんでいる子どもたちがどれだけの数いるのか、と。その一人ひとりの苦しみの深さを考えたうえで、その一人ひとりのケースの集積を思うと、子どもたちの問題はとてもつもない大きな問題だとあらためてわかってきます。 第一章ではがゆいような思いをしたと書きましたが、こういった多くのケースは家庭に介入できないことがネックになっているからでした。文部科学省では何年か前からスクールソーシャルワーカーを地域ごとに設置し始めていて、彼らであれば家庭に介入する動きができるため、今まで助けられなかった子どもたちと同様のケースに希望がすこしずつ見いだせるような体制にはなってきているとのことです。 本書を読んでいると、養護教諭はなんだか伴走者のようです。といいますか、訪ねてくる生徒に対してまるで伴走者のようにふるまえる養護教諭であれたならば、コトは好い方向へと流れていきがちなのかもしれない、という印象を持ちました。現役の教師でも、養護教諭や保健室に対して否定的な考えを持っている人が多いようなのですが、たぶんに、養護教諭を伴走者のイメージで見てもらえたなら、価値観がちょっと変わるのではないでしょうか。まあ、教師っていろいろと信念や考え方ががちっとした人も多いでしょうから、なかなかそうはいかないのかもしれませんが。 保健室という場は、たとえばSNSがそういった場として機能する場合だってあるのではないでしょうか。僕がネットを始めた97年ころ、契約していたinfowebというプロバイダに加入者専用の広場(掲示板)があって、そこはとてもくつろいだ優しい雰囲気で、そこでの会員同士の交流には悩みの告白とそれへの励ましなども多く、またネット初期特有の独特なオルタナティブな感覚で時間がゆっくり流れていて、今思えば保健室的かもしれないなあと思えるのです。そこは加入者が増えていくにつれて荒らしが増え、悪貨は良貨を駆逐するのごとく閉鎖にいたるのですが、荒れだすまでの良質だった空間をその場で過ごせたのはネットに対する原体験として僕にとってはとても好いものでした。そういったコミュニティーがSNS上にぽこぽこと点在している状態になったら「豊か」ではないですか。 本書のようなルポから、子どもたちの「現在いるところ」に注目できると思います。まるで見えてなかったところに視線を定めてもらえた感じは僕にはしました。 著者ははじめとおわりにこう書いています。 ____ 保健室が、子どもたちを救う最前線として認識され、その力をさらに発揮できるようになることを願う。この社会はそれだけでずっと良くなるはずだ。 p10 & p249 ____ 読み終えた今ならば、肯くばかりです。
洋の東西、時代の今昔を問わず、社会の歪みは全て子どもたちに表れる。いつもどこでも、犠牲者は子どもたち…。
小学校の時、保健室は逃げ場の一つだった。 周りより少し大人びていた私は、放課後に、休み時間に、そこに駆け込んだ。 話を聞いてくれる大人がいることに安心した。 中高ではそんな少女たちがたくさんいた。 追い返されたこともあったが、今考えればある程度見極めていたように思う。 本書に登場する子供たちは、当...続きを読む時の私よりずっと過酷な状況である。 私と同じ、などとは言えない。 発達障害が疑われるのに、保護者や教員の理解を得られぬ子、虐待を受けている子、貧困に喘ぐ子......。 見えない、見ようとされない子供たちを必死で支えているのが養護教諭たち。なのに彼女たちも理解されず、孤軍奮闘を強いられている。 この需給のミスマッチはなぜ起きるのだろう。 「困った子は困っている子」という言葉が印象に残る。 一般の大人が考える以上に子供たちは困っている。 しかし彼らは、表現方法も、発信力も、何もかも未熟で、うまく自分を語れない。 それを補って汲み取ってあげる側の大人も、余裕がない、知識がない、いろいろな理由で十分に向き合えていない。 そのため、「できる人」に負担がのしかかる。 すでに提言されているようだが、本当に今、必要なのはチームを組むことだ。 スクールソーシャルワーカーを入れたり、複数配置にすることが子供のためにも、支援者のためにも重要なのだ。 善意だけでは人を支えることなどできない。 本当に、この社会を持続させていきたいのなら、もっと子供に予算を使わなければ、間違いなくこの社会は消滅する。 「まちかど保健室」の提案は魅力的だ。 子供食堂と合わせて解説できれば、より適切なフォローができるように思う。
スクールソーシャルワーカーとして、度々出会う場面がいくつも詰まった一冊でした。 学校内でのもどかしさ。 関係機関との連携のもどかしさ。 そのような中で何ができるのか。 本書を読むうちに工夫を凝らした実践を重ねる先生方のお顔が浮かびました。 子どもの支援に携わる方に一読を勧めたい内容でした。
ネグレクトや貧困、どんな状況でも学校に来ている子どもたちがたくさんいる。保健室は子どもたちが平等に頼れるセーフティーネットでなくてはならないなぁ。
公立中学校の保健室を丹念に取材したルポ。都市圏の事例という偏りはあるかもしれないが、学校の中で受け止められる一人ひとりの「SOS」に関わる養護教諭の養護実践は、さながらソーシャルワークそのもの。養護教諭自身のスクールカースト問題や、コーディネーターとしての役割課題など、なんだか共感できる部分も。これ...続きを読むから養護教諭を目指す人、そして福祉関係者も必読の一冊。
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ルポ 保健室 子どもの貧困・虐待・性のリアル
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