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『古事記』『日本書紀』は、ただの神話ではない。新しい国家の実現を目指し、大和王権が各地で口承されていた神話の力を利用して創作した、極めて政治的な〈神話〉である。本書では、この二つの〈建国神話〉をどのように読めばよいのかを説き、また「風土記」を読みとくことで、国家・地方間のダイナミックなテキストの攻防を明らかにする。地方が〈建国神話〉を受け入れたとき、「日本人」の自覚と、精神史上の「日本」が誕生した。その過程を目撃せよ。
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Posted by ブクログ
『古事記』『日本書紀』の内容を恣意的につなげ、イメージとしての「記紀神話」を代補するのではなく、『古事記』『日本書紀』『風土記』がどのようにそれぞれの「神の物語」の世界を構築しているか、そして、その背景にどのような権力の関係が見えてくるかを検討すべき、というのが本書のスタンス。『出雲国風土記』が、...続きを読む『古事記』の物語の体系を大枠では受容しながら、部分的に異説を提示したり土地の起源神話との整合性を取っていたりしている、という部分もなるほどと思わされた。 いちばん面白かったのは、『日本書紀』神代巻の「一書」(あるふみ)という割注をどう読むか、という箇所。著者は「一書」として紹介される記述が、主文の空白や欠如を補い、主文だけでは矛盾と見える記述に別の文脈をもたらす機能を担っていることに注目する。つまり、これらの註釈的記述は、本質的にパッチワークであるところの『日本書紀』の建国神話を事後的に代補する役割を担っているのだ。 この記述を敷衍していくと、『日本書紀』の記述が、建国神話に由来するさまざまなスピンオフ・ストーリーを生む基盤になっているとも言える。「主文」の背後に、複数の異伝を潜在させる可能性を開いてしまっているのだ。言いかえれば、日本の建国神話は、構造的に複数の「偽史」を生成する仕組みを内在させてしまっている。
『古事記』『日本書紀』および『出雲国風土記』を、大和政権が神話を通じて統一国家のイデオロギーを創出しようとする政治的な力学の中に置き、そのドキュメントとして読み解く試みです。 民衆によって信仰されていた神々の物語には、当時の人々の生死や社会の道徳を支える「神話力」がそなわっており、この力を利用する...続きを読むことが建国のための神話を創出する際に求められていたと著者は考えます。そして、『古事記』における出雲や日向に関する叙述が、まさにそうした観点から「建国神話」のうちに取り込まれることになったと論じています。 次に『日本書紀』に関しては、主文と一書の関係についての考察が展開されます。ここでもやはり著者は、数多くの神話のヴァリエーションがあったことを念頭に置き、それらの叙述をいわば撚り合わせていくことで、統一国家の「建国神話」が紡がれていったという考えを提出しています。 最後に『出雲国風土記』に関しては、大和政権の「建国神話」にみずからを溶け込ませていくことで、統一国家である「日本」の内部での独自の地位を占めようとした、極めて高度な政治的意図を読み取っています。と同時に、サダノ大神に関する記述されなかった神話の存在についての推測が述べられ、複線的な政治的コンテクストをまとめあげた「記紀神話」の「外部」についての示唆をおこなっています。 日本神話を政治的な力学の中で読み解くというスタンスは、上山春平と梅原猛の仕事によって、広く一般の読書人にも知られるようになりましたが、最近の一般向けの解説書を読むと、単に藤原不比等や持統天皇らの政治的な企図に基づいて記紀神話の成立事情を探るのではなく、テクストの内部と外部を往還することで、神話の中にポリフォニックな響きを聴き取ろうとする試みが多いように感じています。本書にも、そうしたスタンスが共有されていると言えるように思います。
神話と昔話の違い。神話は伝承するもの。いにしえのこと。いにしえとは、かつて通ったところ(去にし辺)。むかし、は向こうの岸、で今は違う、という意味。 ペルセウス・アンドロメダ型神話=怪物と乙女の生贄と英雄の退治物語=ヤマタノオロチ バナナタイプ型神話=選択したために死ぬことになった。アダムとイブの...続きを読むリンゴ。 コノハナサクヤヒメが天皇の死を合理化した。 釣り針探求型=海さち山さち=蛮族の平定の物語。 イザナギイザナミの子供=アマテラス、スサノオ、ツキヨミ オオクニヌシはスサノオの子孫 皇祖ホノニニギは筑紫の日向に降臨する。 コノハナサクヤヒメとホノニニギが結婚した。
古事記・日本書紀は、大和政権の正当性を説くために作られた建国神話である。神話力を維持するために地方の神々を取り入れて、国民に受け入れられるよう綿密に計算されている。 「神話力」という説明は説得力があり、神話の新しい読み方を学べて視野が広がった。日本書紀や古事記はまだ読んだことがないので、それらを読...続きを読むんだらまた楽しめそう。
日本最古の歴史書である『古事記』と、漢文で書かれた正史である『日本書紀』 同じような内容を書いているが、よく読むと細かな部分が結構違う。 ということは、学生時代に習った。 稗田阿礼が暗唱した物を書き写して編纂した『古事記』の方がとっつきやすく、分量も少ない。 だからそれほど『日本書紀』については知...続きを読むらなかったのだけど、編年体なのね。 とにかく、正史であることを強く主張している。 だからなのか、主文のほかに伝承という形で、いくつものパターンを収録している。 日本の神様は、天つ神と国つ神のふた系統あると言われている。 皇室の祖である天つ神は、天から降りてきて、この国を支配していた国つ神(大国主命)から国を譲り受ける。 国の誕生から国譲りの辺りまでが、『古事記』と『日本書紀』に書かれている神話部分。 なぜ、歴史に神話が必要なのか? それは、新しい支配者として国を譲られることは神の認めたことである、というお墨付きが、新たな領土を治めるために必要だったからではないか。 『日本書紀』にある、いくつもの伝承は、土着の神話を新しくつくりあげた神話に組み入れる際に、「正」以外として分類され、取りこぼされたものなのではないか。 神話は好きだけど詳しいわけではないから、いくつもの仮説に対して「そうだ」とも「違う」とも言えないけれど、ヤマタノオロチ伝説が、「出雲国風土記」には収録されていないというのは、なかなかにわくわくする。 スサノヲノミコトが天から出雲に降りてきて、一番初めにやったことがこれだというのに、肝心の出雲にはその記録がない。 つまり何らかの政治的判断がそこにはあるということ。 当時生きていた人には当たり前だったのであろうその判断が、今はもう喪われてしまい、残された文献から想像するしかない。 一生正解はわからなくても、紐解いた本の中に真実のかけらを探す。 そのごく一部を読ませてもらうだけで、こんなに楽しい。 ありがたいことです。
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神話で読みとく古代日本 ──古事記・日本書紀・風土記
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