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銀婚式の日、妻と共に若い日の思い出の地を訪れた初老のアシャーストの胸に去来するものは、かつて月光を浴びて花咲く林檎の樹の下で愛を誓った、神秘的なまでに美しい、野性の乙女ミーガンのおもかげ、かえらぬ青春の日の悔いだった……。美しく花ひらいた林檎の樹(望んでも到達することはできない理想郷)の眩ゆさを、哀愁をこめて甘美に奏でたロマンの香り高い作品。
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Posted by ブクログ
まさに傑作! 現代においても色あせないテーマ設定に主人公の苦悩の描き方が抜群に上手い! ラストは山川方夫の『夏の葬列』を思わせる素晴らしい急展開だね~(こう書くとオチがバレてしまいそうだけど)。 ちなみに国際ペンクラブの初代会長です。
昭和56年のこの新潮文庫(カヴァーは違っていたけれど)を読んだのが初めてだったと思う。月光を浴びて花咲く林檎の樹、その下で愛を誓う……、私にはこれ以上ないほどの愛の誓いに思われた。誓いは悲しくも果たされることがない。そのことがわかってもなお、林檎の樹は、その物語は、私にとって美しいもののように感じら...続きを読むれた。私は若かったのだろうか……。
妻との旅行で立ち寄ったとある田舎で、男は若かった頃の恋を思い出す。そのように回想として始まる物語。 これは… なんといっても田舎娘のミーガンが可愛らしい!主人公のシーツをくんかくんかしていた彼女にメロメロです(笑)声を出して笑ってしまいました。 時に情熱的に、時にいじらしく、 心を捕らえて話さない...続きを読む彼女の不思議な魅力に惚れてしまいます。都会に出てきて主人公を探す場面の悲壮感、胸がギリギリと痛むようでした。 ミーガンが素晴らしく愛らしい女性であるだけに、身勝手な主人公にはイライラしてしまいます。彼の気持ちは分かるけど、やっぱり自分本意の言い訳でしかないんですよね。 全編、主人公の語りではありますが、彼に感情移入するのではなく、ミーガンというひとりの女性の恋物語と捉えると、もしかしたら良かったのかもしれません。
美しく、悲しく、甘酸っぱい、林檎の匂いが漂ってくる物語。 遠くまで主人公を探すミーガン、林檎の木の下でただずむミーガン。 最期は、ハムレットのオーフィリアのようだった。
身勝手な男と純粋な女性の恋愛小説、と言ってしまえばそれまでですが、風景の描写や気持ちの揺れが細やかに描かれていて、何度となく読みたくなる本です。
若き日の過ちと過ぎ去った青春。 青年の揺れ動く恋心を描いた作品。 彼女の最期を聞いて、彼は何を思ったのか。 淡く切ない悲恋の物語を、詩的な文章が美しさを際立たせている。 この無常な結末は″飽満と倦怠に苦しむ近代人の悲哀を語っている″という解説の言葉に頷ける。 この小説のテーマ、シンボルである″黄金な...続きを読むる林檎の樹″の元ネタ、ギリシャ悲劇の『ヒッポリュトス』も読んでみたい。
何気にこれがキッカケで私は読書にハマったと言えなくもない。面白いかつまらないかなら面白いんだけど、それ以上に思い入れの方が強いかも…。
年老いた男の、銀婚式の日の話。 林檎の木と、過去の自分と、素敵な女性の話。 神話に描かれるひとつの愛をモチーフとしてそのテーマにそって書かれた作品。 そんな銀婚式も、あるのかもしれない。
ジョン・ゴールズワージー(1867 -1933)による、美しい一幅の絵のような物語である。 銀婚式を迎える日、初老のフランク・アシャーストは妻を伴い、思い出の地デヴォンシャーを訪れる。 目的地の手前の美しい田舎の風景に妻が目を留め、スケッチを始めたとき、アシャーストはふと、若き日の恋を思い出す。そう...続きを読む、それはまさにこの地だった。 林檎の樹の下で、神秘的な美しい少女、ミーガンと、彼は恋をしたのだ。 ウェールズ出身の農場の娘と、上流階級の前途洋々たる青年。 およそ身分違いの恋だが、娘の美しさ、純真さ、素朴さに彼はときめいた。林檎の樹の下で交わした甘やかな接吻は、この娘とともにこの先の人生を生きることを、彼に誓わせた。 だが、その恋はもちろん、成就しなかった。 隣にいる妻は、ミーガンではないからだ。 カッコウやヒバリの歌。藍色の闇に浮かぶ月。桃色の蕾の中にたった1つだけ咲いた真っ白い林檎の花。少女のほつれ髪。 農場の豊かな風景の中、黒い長い睫毛の美少女は異界のもののように美しかった。 少女もまた、愛のまなざしを注いでくれた。それは天にも昇る心地だった。 この物語は、ギリシャ神話のオマージュでもある。 黄金なる林檎の樹 美しく流るる歌姫の声 (『エウリピデスのヒッポリュトス』(マーレイ(1866-1957))) 本作の冒頭に引かれたこの節は、英国古典学者マーレイがギリシャ悲劇『ヒッポリュトス』を意訳した作品から採られている。 林檎の樹はゼウスの妻ヘラのもので、ヘラは大切なこの樹を遠くの島に植え、3人の歌姫に守らせていた。誰も林檎を取ることはおろか、近寄ることすらできなかった。ある意味、理想郷の象徴である。 また、『ヒッポリュトス』の中で、主人公の王子ヒッポリュトスは義理の母の邪恋を却け、愛の女神アフロディテの怒りを買っている。これも本作の1つのモチーフになっている。 ある種、ギリシャ神話の近代への移し替えを試みたような印象である。 自然の中の生きものや風景、ミーガンの容貌や物腰など、個々の描写は非常に美しく、また悲恋に終わるロマンティックな物語なのだが、どこかちぐはぐな感じが残る。 それはまるで、泰西名画のざっくりとした複製を思わせる。美しいがどこか作り物めいているのだ。 美しい娘と愛を誓いながら、その娘を身勝手にも捨ててしまう。 それ自体は古代でも近代でも現代でもあることだろう。 しかし「近代的」で「常識的」な「紳士」が、思い出の地を偶然通りかかるまで、そのことをすっかり忘れているなどということがあるものだろうか? 若き日の彼の心の揺れが丁寧に描き込まれているだけに、そこに取って付けたような嘘くささが生まれる。 ここで引き合いに出すのが適切かどうかはわからないが、『舞姫』を書いた森鴎外は、確かに「エリス」を捨てたのだと思う。身勝手な豊太郎に我が身をなぞらえ、エリスを狂女になったと書いた鴎外は、薄情のそしりは免れないかもしれないが、エリスを忘れはしなかったろう。狂女として描きはしても、自殺したとは書かなかった。これはまったく勝手な想像だが、自らの身勝手さを思えば、嘘でも死んだとは書けなかったのではないか。 対して、この作品でミーガンは、帰らぬ恋人を待ち、まるで夢のように自死を選んでしまう。キリスト教では自殺は罪である。墓地に葬られることを拒まれた彼女の墓は、十字路の脇にある。哀れな魂が眠る小さな墓。不謹慎な言い方だがロマンティックである。 これもまた勝手な想像だが、ゴールズワージーは「ミーガン」に会ったことすらなかったのではないか。田舎娘に不実な恋を仕掛け、捨てたことなどもちろんなかった。もし本当にそんなことをしていれば、こんなロマンティックな仕上がりにはならないように思うのだ。だとすればこの娘は麗しい古代そのものの象徴なのか。冷淡な言い方をすれば、何だか都合のよい駒のようだ。 古代への憧れ。近代の「自我」。それがうまく噛み合っていないように私には感じられた。発表当時の人々はこの物語を楽しんだのだろうか。川端康成はこの物語を愛したのだという。描写の美しさを思うと、そういうものかとも思うが、どうにも据わりが悪い思いが拭いきれずにいる。
燃えさかるほどの、無垢で純粋な愛。 愛を守るため神話の中に生きるのか 罪悪を背負いながら現実で生きてゆくのか。 美しいままであった彼女は永遠ともいえる。 神話の中のような世界への憧れ、のようなものを感じた。 ただ、所詮キリスト教徒でない私には本当には理解できないのじゃないか、なんて。
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