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物質の過剰に陶酔している現代社会で、それと同調して市民的に生きることのできない放浪者ハリー・ハラーを“荒野のおおかみ”に擬し、自己の内部と、自己と世界との間の二重の分裂に苦悩するアウトサイダーの魂の苦しみを描く。本書は、同時に機械文明の発達に幻惑されて無反省に惰性的に生きている同時代に対する痛烈な文明批判を試みた、詩人五十歳の記念的作品である。
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Posted by ブクログ
人は誰しもいろいろな側面を内に持っている。ハリーはヘルミーネと出会うことで、自己の諸側面について気づき、洞察を深めていく。その中には、自身が否定してきたものと相反する矛盾した自身の姿もある。たとえば、反戦思想を唱え人道を叫びながら、裕福な身分のまま亡命し個人の活動に耽っている自分、自殺志願者である自...続きを読む分についてである。 物語で、ハリーの矛盾する己の存在への葛藤は、ヘルミーネによって解消される。 しかし、現実はそうした自己の存在に気づくことは容易ではない上に、気づけたとて向き合うことは非常に勇気のいることである。多くの人は気づいていなかったり、気づいても無意識に知らぬふりをしてしまうだけで、実は誰しもが、未だよく知りえない、向き合えない自身の側面を持っているのだと思う。この物語は荒野のおおかみに限ったものではなく、誰しもが持つ自身についての物語なのだと思う。
よく描けていて読むのは大変かもしれない。でも、悪い意味で大変なのではなくて深く響くから大変という感じ。建設的に捉えれば多く学びや気付きがある作品だと思う。
20世紀ドイツを代表する小説家・詩人ヘルマン・ヘッセ(1877-1962)の作品、1927年。時に作家五十歳、第一次大戦敗戦後のワイマール体制下で1923年にはヒトラーがミュンヘン・クーデタ未遂で投獄された情況下、作家自身の自己省察と同時代批判とを本作品で試みた。なお同年の1927年にはにハイデガー...続きを読む『存在と時間』が刊行されている。 □ 「荒野のおおかみ」ことハリー・ハラーは、ヘッセ自身を表わしていると云われる(そのイニシャルは作者と同じH.H.である)。彼は、ゲーテとモーツァルトを愛し、学芸に則ち書物と古典音楽とに、その観念に、沈潜する。「精神」の人である、「文化」の人である、「考える」人である、「憧れ」を抱く人である、「一次元よけいに持つ」人である、時代の「少数者」である。そうやって・またそういう自己意識で以て、自己の存在を支えてきた人である。そして、観念に沈潜する者は、往々にして「極端」な人である、不可避的に破滅に向かわずには在り得ない「極端」の人である。「世界外」の人である。「対自的」な人である。「不幸」の人である。「夜」の人である。「夢想」の人である。「倦怠」の人である。「破滅」の人である。「運命」の人である。「英雄的孤独」の人である。「全体的」たらんとする人である。端的に云えば、「死」の人である。 では彼らと対照される「市民=ブルジョア」とは何にか。即物的な功利主義に骨まで浸かった非-精神性。他者との関係性が虚栄と欺瞞の化かし合いかさもなくば享楽と狂騒と官能の交換の為でしかない俗物性。社会通念・公衆道徳、則ちおよそ日常的な平穏さなるものにべったりと同一化しでかつこの日常への屈従状態に対して疑問を抱かないでいられる空虚な自己。こうした堕生態にある「市民」は、破滅に到る極端に陥らない「中庸」を、欺瞞的にも自らの徳であると云う。彼らは徹頭徹尾「世界内」の人である。「即自的」な人である。「太平楽」の人である。「朝」の人である。「規律」の人である。「活動」の人である。「安穏」の人である。「日常」の人である。「匿名的群衆」の人である。「断片化」されている人である。端的に云えば、彼らは「実生活」の人である。 「もちろん大多数の人間は泳ごうとしません! 地面に生まれついて、水に生まれついていません。それからもちろん彼らは考えることを欲しません。生活するようにつくられていて、考えるようにつくられていません! そうです、考える人・・・は、・・・、まさしく地面を水ととりかえたものであって、いつかはおぼれるでしょう」 それゆえに彼ハリー・ハラーは、時代の圧倒的多数者であるところの「市民=ブルジョア」の世界に、自らの存在余地をもたない。「市民」の世界とは、「株式会社に吸いつくされて、支離滅裂な地球のまっただ中で、人間世界といわゆる文化が虚偽に包まれた野卑なブリキ製の年の市のけばけばしさで、どこに行っても、きざな男のように歯をむき出して私たちに笑いかける」世界である。一度でも自己の内面に沈潜しその深淵の底無しに戦慄してしまった者にとって、卑小な日常的「市民」世界は自らの存在をそこに安置しておくには絶対的に奥行きを欠いたものである。内面の深淵とは、内面の深淵の果て無き果てのその彼方であるがゆえに。であればこそ、孤独なる時代沈潜者は、「市民」世界に於いて何者かで在ることが不可能である。ハリー・ハラーが偶然に手にした白昼夢のようなパンフレット『荒野のおおかみについての論文』から、いくつか引用する。 「こういう人々はみな、その行為や作品をなんと呼ぼうとも、実際はまったく生活を持たない。彼らの生活は存在ではなく、形を持たない。彼らは、他の人たちが裁判官であり、医者であり、くつ屋であり、教師であるような仕方では、英雄でも芸術家でも思想家でもなく、彼らの生活は永遠な苦悩にみちた動乱であり、岩に砕ける波である。そういう生活の混沌の上に輝く、あのまれな体験や行為や思想や作品の中に、意味を見いだす用意がないとすれば、たちまち彼らの生活は不幸に痛ましく分裂し、おそろしく無意味になる」 「事務所、役所、執務室、それは彼にとって死のようにいとわしかった」 「・・・、「自殺者」は、個体化は罪であるという感情に襲われた人間なのである。人生の目的は自己の完成や表現ではなくて、自己の解体、母への復帰、神への復帰、全体への復帰だと思っているような人間である。・・・。彼らは生の中にではなく、死の中に救済者を見るのだから。自己を投げ出し、捨て去り、消えうせて、はじめに帰る用意ができているのだから」 □ 彼ハリー・ハラーは、或るブルジョアから会食に招かれた際に不体裁を働き、ついに「市民」世界に則ち世界そのものに堪らず、自殺を決意する。さて、反時代的沈潜者は二様に分けられる。則ち、天才とそれ以外と。 天才は、自己の内なる深淵を現実へと外化し、以て「市民」世界に裂目の戦慄を走らせることができる者の謂いである。尤も、それは現実化された途端に「市民」世界が自らを保持しようとして吐き出すあらゆる欺瞞に塗れることが運命づけられている。これは悲劇であるが、天才の悲劇である。豪奢な敗北である。 それ以外の者はどうか。彼らは、自己の内なる深淵へ無際限の否定運動――それは、対自的である彼らゆえに、必然的に自己否定に到らずにはいない――とともに下降し、終ぞ何らの具体的な形を与え得ない。「市民」世界からすれば、何とも無害な無用者である。彼らには英雄的・運命的・悲劇的に没落していくことすら許されず、ただただ「市民」世界という地獄と内面世界という深淵とのあいだに宙吊りにされたまま、振り子のように両極を右往左往する。「市民」世界の片隅で、一層強張った内面に於いて尽きること無く否定を繰り出しながら底着くことなく何処までも沈潜していくか、その内面の重みに耐えられなくなるかである。 では、ハリー・ハラーを含む、天才以外の反時代的沈潜者は如何したものか。ブルジョア教授の家を飛び出して惨めに街を彷徨していたハリー・ハラーは、ジャズが荒れ狂うダンスホールでヘルミーネと出逢う(これは作者の名ヘルマンの女性形である)。娼婦ヘルミーネは、ハリー・ハラーの苦悩にいとも容易く云い放つ。 「いつもむずかしい複雑なことをやってきたくせに、簡単なことは全然習わなかったの? 時間も興味もなかったの?・・・。でも、人生を思う存分ためしてみたが、何も見つからなかったとでもいうようなふりをなさるのは、いけないわ!」 こうして彼女やその友人のマリアやパブロから、十代の若者なら誰でも知っていることを、ハリー・ハラーは学ぶことになる。ダンスを、ダンスホールで女の子に声をかけることを、恋することを、ジャズを楽しむことを、ばかになることを、満足することを、笑うことを、そんなふうに平凡であることを、則ち生きることを。 「笑うことを学ばねばなりません。さて、すべて高級なユーモアは、自分自身をもはや真剣にとらないことから始まるのです」 「真剣にとるに値することを真剣にとることを学びたまえ! ほかのことは笑いたまえ!」 こうして「精神の人」ハリー・ハラーは、【生き直す】ことになるだろう。自殺・発狂・薬物・無差別殺傷を拒むなら、これ以外に、無いのだろうか。「精神」との均衡、ジョルジュ・ルカーチの云う節制 Haltung が、実際に如何に為されていくかは、この小説では描かれていない。しかし、そんなこととは無関係に、ともかくも、【生き直さ】れねばならない。【生き直さ】なければいけない。 □ 本作執筆にあたり、ヘッセ自身も担ってきた「ドイツ的精神」なるものの歴史的現実に於ける存在意義は如何なるものであったのか、第一次大戦を惹き起こし・敗北し・そしてまた来るべき戦争へと向かいつつあるドイツの知識人として、徹底した自己批判を為そうという意志がその根底にあったと思われる。 「われわれ精神的な人間はみな現実を家とせず、現実をうとんじ、敵視した。だから、われわれドイツの現実においても、歴史においても、政治においても、世論においても、精神の役割はひどくみじめなものであった。・・・。将軍たちや重工業家たちの言うことはまったくもっともだった。つまり、われわれ「精神的な人間」からは、何も生じやしない。われわれは、いてもいなくてもいい、現実にうとい、無責任な、才気に富むおしゃべりの集まりにすぎないというのだ」
今さらながら、「名作と呼ばれる作品を、少しでも読もう!」と考えています。 そこで、ドイツ人のノーベル賞受賞作家、ヘルマン・ヘッセのこの作品を、読んでみることにしました。 主人公は、禁欲的に学問の世界に打ち込み、それゆえに人生に思い悩んでいる、中年男性。 ある日、暗く思い悩む彼の前に、魅力的な若い女性...続きを読むが現れます。 その女性と行動を共にし、現代的な娯楽に触れるにつれて・・・という展開。 人間の中にある「二面性」による苦悩、娯楽というものの意義、歴史とはどのように作られていくのか・・・などなど、多くの根源的な問題が、この物語の中に込められていると思います。 後半の、不思議な世界が次々と展開していくくだりは、僕が慣れ親しんでいる村上春樹の小説などに脈々と受け継がれている、文学的な表現なのだろうなあとも感じました。 1927年発表ということなので、日本の年号では昭和が始まったころの作品です。 当時の風俗の描写等、現在からは想像しづらい部分もあり、また、難解な表現もあるため、作者の意図のかなりの部分が、僕には消化しきれていないかもしれません。 それでも、人間の根幹課題について多くの示唆を与えてもらえたという意味で、感銘を得た一冊でした。 やはり、名作というものは読んでおくべきですね。 これからも自分に向いていそうな作品を選んで、読んでいきたいと思います。
やっぱりヘッセはすごい。個人のある感情についてメタに、俯瞰的に言及することは誰にも可能だ。しかしそれに対してさらにメタの視点で言及することは少し困難だ。これを自由に使いこなす人間が小説家というものだと思う。しかしこれだけでは二流である。一流はさらにそれらに関してメタレベルで表現することができる。ヘッ...続きを読むセのすごいところは、さらにこのもうひとつ上のレベルにときどき「ひょいっ」と上がってしまうところである。ヘッセは最初から高みにのぼったりしない。いつも私の手の届きそうなところにいて、いよいよ捕えたかと思うとするっと脇を擦り抜け一段のぼる。繰り返すうちについに私は追いつけなくなってその背中をじっと見つめる。荒野のおおかみという小説はこのようなおいかけっこを人間の心の奥底にあるくらい部分で行った小説であった。
1927年(昭和2年) ヘッセが50歳の時の作品。 同じ年に紀行『ニュルンベルクの旅』を出版。 フーゴー・バルがヘッセ50歳の誕生記念に最初の伝記『ヘッセ伝』を出版。その直後バルは41歳で逝去。 ルート・ヴェンガーと離婚。 心は自分が全てと繋がっていることを知っている。 目の前のことに集中している...続きを読む時、没入しきっている時、過去に存在した全て、未來に存在する全てに確信を持てる。 微笑みを学べ。
1927年にドイツで発表された作品。 第一次世界大戦を省みるどころか、再び戦争に向かおうとしている社会を疑うこともなく生きる市民を批判する「アウトサイダー」の立場(おおかみ)の立場をとりながらも、まぎれもなく市民的行動の一部に加担している自分の葛藤が描かれています。そしてそんな自分は自殺によってし...続きを読むか報われない、と考え死を望むハリー・ハラーが主人公。彼はヘッセの自画像だそうです。 この葛藤はまさに、神経が不安定であったヘッセが色濃く表現されていて、 その如何ともし難い苦痛には時に目を覆いたくなります。 一方で、一般論や世の中の体制によって作られる考えを排除し、確固たる「自己」を追求すべきであるという考えは、ヘッセの作品で一貫してみられるスタンスで、現代にも通ずるヒントであるように思います。
共感しすぎて初めて読んだ気がしない本。 それでいて先人は刺激的で、まだ見たことのない世界まで連れて行ってくれる。現実の日常でもなかなか得られないような交流が、本を介して作者との間に生まれるのだから、作者の力にただただ頭が下がるばかり。体の奥から勇気が湧いてくる。 もっと頑張ろう、楽しもう。一度き...続きを読むりの人生を。ひとつだけの世界を。
自分が抱いている自分のイメージがどれだけ偏っていて、狭いものであるかを強く感じさせられる一冊でした。わたしもハリー同様、新しいことに踏み出すことにためらってしまうし、固定観念をかなり強く持っているところがあるので、ハリーがヘルミーネやマリア、パブロとの会話の中で抱く感情がわかりすぎて読むのが辛かった...続きを読むくらいです。生きているだけでとても価値があるということ、そして人生は短いからこそたくさんのことに挑戦することで輝きを増すということを改めて感じることのできた作品でした。
2007.6.12の感想 字が大きくなって読みずらかった。 まったく出版社は余計なことをする。 ヘッセのリズムが狂っちゃうじゃんか。
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