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スピノザは『エチカ』の中に自己の哲学思想のすべてを結集させた。典型的な汎神論と決定論のうえに立って万象を永遠の相のもとに眺め、人間の行動と感情を嘆かず笑わず嘲らず、ただひたすら理解しようと努めた。ドイツ観念論体系成立のうえに大きな役割を演じ、また唯物論的世界観のすぐれた先駆的思想でもある。
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Posted by ブクログ
なんとなく気になってたスピノザさんが読めた。いろんな謎が解けて、元気が出たっ!でも、ドゥルーズさんのスピノザ読んでなかったら難しすぎただろうな。本には読む順番ってあるな。
842夜 非常に面白い。 ドゥルーズが『千のプラトー』で器官なき身体に関する書物だと言っていた。 本来的に不自由な人間が自由を獲得するためには外的な刺激による身体の変化に伴って生じる受動的な感情を克服する必要がある。そのことによって人間は感情に支配される度合いを少なくし、理性により神を認識する...続きを読む直観知を獲得することができる。スピノザは直観知を獲得して自由人となることに道徳的な意義を認め「すべて高貴なものは稀であるとともに困難である」と述べて締めくくっている。-Wikipedia スピノザについて書かなかった理由ではなく、なんとなく書きにくかった理由に、もうひとつ、スピノザをめぐる周囲の騒音が多すぎるということがあった。これはドゥルーズのことじゃない(ドゥルーズのスピノザ論はたいへんに静寂に富んだものである)。 すでにヘーゲルにして、「スピノザは近代哲学の原点である。スピノザ主義か、いかなる哲学でもないか、そのどちらかだ」と言っていたのだし、ベルグソンは「すべての哲学者には二つの哲学がある。自分の哲学とスピノザの哲学である」とまで書いていた。スピノザとほぼ同時代の神学者ピエール・ベールですら、はやくも「宗教心がほとんどなくて、それをあまり隠さないのであれば、誰だってスピノザ主義者なのである」と囃したてていた。 ようするに、スピノザについて発言することは、たちまち全ヨーロッパの知との関係を問われるか、さもなくば自分の哲学を問われるということなのだ。 まさに踏絵なのである。それも全ヨーロッパの知を賭けた踏絵として、スピノザは位置づけられてきたわけなのだ。だからこそ、そこがプラトンを批判して全ヨーロッパの知を問題にしたニーチェとつながる畏怖ともなっているのであろう。ともかくも、こういうスピノザでは、ぼくでなくとも引っ込み思案にもなろう。-松岡正剛
幸せになるための考え方が詰まった本。 なにぶん古い本なので、現代情勢とはちょくちょく相容れない部分もあるけれども、その考え方自体は今も、そしてずっと未来までも色褪せないだろう。
あらゆる必要なことが、ここには描かれている。スピノザ主義と言われることで意図される無神論だとか決定論だとかは二次的なものであって本質を捉え損なっている。この本はいつまでも、誰かしらに影響を与え続けることだと思う。
ユダヤ教を破門された流浪の哲学者スピノザによる、幾何学的秩序に従って論証された倫理学。上巻は第一部「神について」、第二部「精神の本性および起源について」、第三部「感情の起源および本性について」までを収める。 『神に酔える哲学者』スピノザの主著にして、哲学書と奇書の間を行き来できる歴史的にも非常...続きを読むに稀有な本。
17世紀に書かれたものというから、有り難く読む。定義を丁寧にしながら感情の幾何学的をほどいていく。だが、QED、QEDと自己完結的に閉じていく論理は、読むほどに「これ本当に証明できている?」という違和感に溢れ、往年の哲学者に挑戦してみたい気持ちになる。いざ。 スピノザは、神を「唯一の実体」「必然的...続きを読むに存在するもの」として定義する。だがこの時点で勝負はついた(なわけはない)。 なぜなら「必然性」そのものが、世界の内部にいる人間にとって語り得る概念なのかという問いが、まったく処理されていないからだ。 必然か偶然か。それは世界の性質なのか、それとも観測者の視点の問題なのか。 もし世界が完全に規定された非人格的必然性モデルであるなら、そこに神は不要であるはずだ。分かりやすく言えば、この世界は神不在でも自然の摂理で成り立ち得る。だが、自然の摂理を創り上げた創造主が必要だ。観測者は神を想像できても、完全に捕捉することはできず、だから神について語り始めた瞬間から、そこに人間によるフィクションが混ざり始める。どうしても人間には神を語り得ない。 神を人格化させてしまうと、その神を作ったさらに上位概念としての神が必要となり、無限後退に陥る。これはこの世界は何ものかによるシミュレーションだというシミュレーション仮説でも同じジレンマだ。 確かに、スピノザの神は人格神ではなく意志も目的も持たない。しかしそれでもなお、彼の神は「世界が必然であること」を保証する装置として機能している。 —— ここに決定的なパラドックスがある。 必然だと語った瞬間、その必然性は人間の言語の中に落ちる。 これは「今から私は嘘をつく」という文と同型の自己言及的矛盾だ。スピノザは「神は必然である」と語るが、その語り自体が、世界の外部視点を仮構してしまっている。世界の内部にいる人間が、世界全体の必然性を語ることは論理的にできない。それは必然ではなく物語だ。 だからこそ、ウィトゲンシュタインは「語れないものについては沈黙せよ」と言った。しかし、スピノザは沈黙すべき地点で、あえて雄弁になった。その結果、『エチカ』は完璧な体系であると同時に、完璧な自己循環を作り上げてしまった。 では、この本は単なる詭弁であり、反知性主義的で大衆が有り難がって有名になった「観光地のような古典」にすぎないのか。 否、問題はそこではない。 スピノザの誤り(雄弁さ)は、人類が一度は必ず通過してしまう誤りだからこそ、この本は今も読まれている。『エチカ』は正しいからではなく、人間理性がどこまで行けて、どこで破綻するかを、これ以上ないほど誠実に可視化した書物だ。 QEDを重ねながら、実は世界の外に出られなかった。その事実そのものが、『エチカ』の最大の価値であり、この皮肉や虚無を真正面から受け止めたのがスピノザだったのではないか。下巻へ。
読み始めると分かるが、この著書でスピノザは神というものを設定している。そしてその神はどこにでもいることを前提にしている。これを汎神論という。つまり、スピノザはこのエチカで神はあらゆる所に存在しているということを前提に、人間の経験に依存せずにユークリッド幾何学の演繹方法、つまり定理、公理、証明などを用...続きを読むいて論を展開して行く。 設定された神は現在考えられている存在とは異なり、スピノザの神の設定はギリシャ神話、キリスト教、ユダヤ教などの神の概念とも異なっている。 エチカとは、ラテン語で倫理学をさす。神の存在、人間の精神や感情の本性などについて論証されている。 始めは神のことについて語り、その後少しずつ人間の精神や感情について語られて行くので、最初は退屈に感じるかもしれないが、後々納得する表現が目立ってくる。 「すべて高貴なものは稀であると同時に困難である」という、有名な言葉で結ばれている。
「幾何学的秩序により論証された」という副題が示すように、この『エチカ』はユークリッド幾何学に範をとり、演繹的方法による倫理学の体系化を試みた労作だ。デカルトは、実体を「存在するために他物を必要としないもの」であるとして、思惟実体と延長実体の二つを考えたが、周知のようにこれが心身二元論というアポリアを...続きを読む残した。これに対しスピノザは、一にして全なるものだけが実体であると考え、神=自然が唯一の実体であるとして、森羅万象をその「属性」に還元してしまうことでこの問題を克服したのだ。
哲学思想の展開とその諸定理の証明。 ・神について ・精神の本性及び起源について ・環状の起源及び本性について 公理や諸定理及びその証明が明確に述べられており、読みやすい。
オランダの哲学者、神学者スピノザ(1632-1677)の著。1677年刊。この世の事物事象はすべて唯一絶対の存在必然的な神に全く依存している、換言すれば、すべては神の表れ(神即自然)であるという全く一元論的な汎神論と、それに伴う人間の神への完全依存による自由意志の否定という決定論が展開されるスピノザ...続きを読む晩年の著。デカルトの研究者でもあった彼のこの著書は演繹的論述法により展開される。ただしスピノザは「世間一般の哲学は被造物から始め、デカルトは精神から始めた。しかし私は神から始める。」と述べ、デカルトを含むそれ以前の思弁法を排撃した。
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スピノザ エチカ
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畠中尚志
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