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明治七年の町村七万八〇〇〇、明治二二年の町村一万六〇〇〇弱。明治の大合併、それは新たな境界線を社会に引く試みだった。あいつぐ町村からの異議申し立て、合併後も紛争を抱える自治体……。近世の地縁的・身分的共同体というモザイク状の世界から、近代の大字-市町村-府県-国家という同心円状の世界へ。府藩県三治制、大区小区制、そして明治二二年の大合併にいたる「地方制度」の変遷をたどりながら、近代社会を問い直す。(講談社選書メチエ)
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Posted by ブクログ
最新の歴史学研究に基づく本で、大変おもしろかった。 色々と歴史は塗り替えられているのである。 最近の教科書では、士農工商というヒエラルキーは教えない、ということだし、正しい歴史観を保つことは難しいものである。
本書では、明治の町村合併こそが、日本において「近代」社会を成立させたと主張されている。 著者の考える近代社会とは、境界を持たない世界(=市場)と境界を持つ権力(=国民国家)が併存する社会である。境界を持つ権力である国民国家、あるいはその下部の単位(府県、市町村)は、人びとの暮らしが市場という無境界的...続きを読むな結びつきに委ねられているということを前提にしたうえで便宜的に境界を設け、それぞれの持ち場として便宜的に管理するシステムだという。その便宜的な線を引き、日本において市町村―府県―国家という同心円状の世界を完成させたのが町村合併であったとする。 江戸時代までの日本には、現代の我々が考えるような「地方自治体」はなく、当時の村は「地縁的・職業的身分共同体」であり、一定の領域に様々な藩などの領地が入り混じるモザイク状の世界であった。江戸時代の村は、年貢の村請などによって構成員にとって切実な意味を持つ単位だった。それが明治になり、地租改正などを経て、町村合併によって切実な意味を持たない同心円状の世界に再編されていく。これが本書の本論部分の大筋である。 本書を読み、市町村―都道府県―国という同心円状の世界は、決して自明のものではなく、江戸時代や明治前半にはまた違った「地方」の姿があったということを再認識させられた。「明確な境界線は切実な意味がないからこそ引ける」という本書の指摘は印象的である。現代の地方自治体の住民にとっての意味を再考するきっかけとなる指摘であると思う。 ただ、国民国家という「境界」と、市場経済という「無境界」の相互依存性などを主張する結論部分は、論理の飛躍があるのではないかと感じられた。本論部分で、市場との関係について触れた部分はそれほどなかったようにも思われる。また、本論部分の具体性に比べ、結論部分は議論が少し抽象的に過ぎるとも感じた。
幕府時代の幕領の村のあり方、そして明治期の内務省の松田道之、法務局の井上毅などの地方の位置づけ、三新法、日露戦争後の村のあり方。 内務省地理局の動きも知りたく思いました。
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町村合併から生まれた日本近代 明治の経験
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松沢裕作
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