ブックライブでは、JavaScriptがOFFになっているとご利用いただけない機能があります。JavaScriptを有効にしてご利用ください。
無料マンガ・ラノベなど、豊富なラインナップで100万冊以上配信中!
来店pt
閲覧履歴
My本棚
カート
フォロー
クーポン
Myページ
3pt
歴史に翻弄されつつ古代日本の息吹を今日に伝える沖縄文化。その源に潜む島民の魂を画家の眼と詩人の直観で把えた名著
アプリ試し読みはこちら
※アプリの閲覧環境は最新バージョンのものです。
Posted by ブクログ
太郎と旅してる様に感じる生き生きとした文体ですぐに読み終わってしまった。沖縄が太郎に書かせたんだろうな、太郎も書かされちゃったんだろうな、それが生き生きと伝わってくる。 読み始めて、なんか上から目線というか距離感のある客観視に違和感を感じたんだけど、この時は返還前でアメリカなんだ、って気づいてから...続きを読むしっくりきた。なんか距離感とか社会的に弱者が強者かでポジショニング変わっちゃうの悲しいけどしょうがないよなと思ってしまう。太郎はそういうの関係ないっ!ってどんな存在も対等にぶつかってるんだろうけど、、 はじめの方の下手なピアノの女に、すごい演奏見せつけて下手なピアノを止めさせてやろうのくだりとか、弱者強者でみたら弱者にマウントとってるからダサいなーとか思っちゃうけど、おそらく太郎は対等の気持ちなんだろうな そしてそういうとこ「紳士」とか演じたりしないから信用できる 途中で八重山の歌をしっかりたっぷりそのまま載せてくれてるのもとても良いです。 人頭税のこともしらなかった、八重山何回かいったのに、、。 あとがきの返還についてのとこで、今の感覚にあった叩きつける様な太郎節が読めて、これだよと思った。
芸術家が考えを言葉にできると、深い洞察と感受性により、ここまで鮮やかにまざまざと、感じたことを表現できるのだと感動しました。言葉もアートです。 「本土復帰にあたって」は涙がでました。
私が少年の頃は、岡本太郎は奇妙な芸術家だと思っていましたが、この本を読んでたちまちファンになりました。沖縄だけでなく、日本の、ひいては文化芸術全般にたいする目が養われ、いま私自身が芸術にかかわる仕事をしていくうえでの、大事な感覚をもてたと思っています。
岡本太郎が沖縄(八重山地域に関する話が多い)を訪れたときの旅行記と、日本文化に関する論考。 西洋的な現代美術及びその影響を深く受けた現代日本の美術や芸術は貴族文化がベースとなっているけれど、沖縄の文化(歌や踊り)は生活や労働に根付いたものであり、それが実は日本古来の文化なのではないか、という趣旨の論...続きを読むを展開している。 この考え方を敷衍して、沖縄が本土復帰するのではなく、本土が沖縄に復帰するべきなのだ、と主張している。 以前読んだ大江健三郎の『沖縄ノート』もこのような主張をしていた気がするので、この時期にこのような主張が流行っていたのかなとも思う。 岡本太郎の文章表現が非常に芸術的で、意図を読み取るのが難しい箇所も多くあったが、まだリゾート化する前の石垣島の様子も知れて、面白い本だった。
公開中の映画「岡本太郎の沖縄」(傑作)の元ネタということで手に取ってみた。 御嶽(ウタキ)とよばれる森の中の聖域。海辺には風葬の痕跡。 「久高島にはこのおびただしい死と、ささやかな生の営みが、透明な比重の層となって無言のうちにしりぞけあっている。生はひっそりと死にかこまれ、死が生きているのか、生...続きを読むが死んでいるのか。・・・しかしあたりは限りなく明るい光の世界。清潔だ。天地根元時代のみずみずしい清らかさ、けがれのなさはこのようではなかったか」(P114)。 私自身、竹富島で早朝のウタキに行ったことがあるが、ホウホウというなぞの鳴き声、さらさらとそよぐ葉、うっそうとした茂みから漏れる光、あれは確かに神聖な気配に充ちた場所だった。 沖縄は日本の原点。谷川健一らほかの多くの学者も主張していることだが、人類学の素養と審美眼の二つを併せ持つ著者による類まれなる一冊と思う。
・沖縄の古典舞踊は、べた褒め。日本舞踊や歌舞伎をお座敷芸の影響を濃く受けてゆがんで発達したと批判的。 ・入浴文化論。日本人が大の入浴好きなのは、身体をきれいに保つという実用的な意味だけではなく、多分に精神的でマジナイ的。毎日ミソギをやっているのだ。というのは面白い。 ・久高島の風葬。 沖縄には日本の...続きを読む原始宗教、古神道に近い信仰が未だに生きている。のろは、その神秘的な女性の司祭、つまりシャーマンである。古い時代、沖縄では神と交わるのは女だけの資格であり、直接神事に関する一切は男はタブーだった。 すぶのシロウトにも子供にだってグンと訴えかけてくるようなものでなくちゃ仕様がない。(136頁) 身を守る最低の手段として、美しさ、みえなど考えてもいないのに、結果は偶然に美しいのだ。(65頁) 文化とは何だろう。土地の風土によって、、根をはったものが本当だと考える。その土地を耕すことによって生成するもの。その土壌とは、民衆の生活以外にはない。、、やがて貴族や特権層によって、形式の洗練をほどこされ、余剰の富と力の象徴、虚飾的な美となる。いわゆる高度な文化を誇ることになるわけである。(203頁) ・ひめゆりの塔〜異様な記念塔が構えている。デカデカと相当の金をかけたものばかりだ。ああ、ここに代表された無神経日本。聞けば地方選を控えて、昨年後半あたりにぞくぞくと建ちだしたのだという。(225)
芸術家岡本太郎が、何をどう見るか?ということは、興味ふかい。 岡本太郎の三原則がある。①芸術は、きれいであってはいけない。②うまくあってはいけない。③心地よくあってはいけない。 岡本太郎は、芸術において、美しいということを拒絶する。心を動かすような激しい芸術を求めている。芸術は、あくまでも人の魂を激...続きを読むしく揺さぶるものである。どれだけ強烈に、毒のような刺激を与えるのか? 岡本太郎は、パリのソルボンヌ大学で、フランス民族学の父とも称されるマルセル・モースのところで民族学を修めている。それは、アフリカの民族の原始美術が、衝撃を与えたからだ。岡本太郎の三原則に当てはまっていた。アフリカでなぜ?が岡本太郎の疑問だった。「抽象と具象がぶつかり合い、引き裂かれたところに人間の本当の存在がある」と思った岡本太郎の想いがアフリカの原始美術の中にあったのだ。 そして、東京国立博物館で縄文土器を見たときに、またしても衝撃を受けるのだった。縄文火炎型土器の造形美、四次元的な空間性にある世界観が原始美術の中にあったことだった。それは、火炎型でありながら、深海をイメージさせるものと岡本太郎は思った。縄文文化のすごさを認めたのは、岡本太郎であり、自らのアートに縄文文化を取り入れて、蘇生させた。 「激しく追いかぶさり重なり合って、隆起し、下降し、旋回する隆線文、これでもかこれでもかと執拗に迫る緊張感、しかも純粋に透った神経の鋭さ、常々芸術の本質として超自然的激越を主張する私でさえ、思わず叫びたくなる凄みである」 その岡本太郎が、日本復帰前の沖縄に行って、またしても衝撃を受けるのだった。 その衝撃を表現したのが、本書『沖縄文化論』である。 「私を最も感動させたものは、意外にも、まったく何の実体も持っていない―といって差支えない、御嶽だった。御嶽―つまり神の降る聖所である。この神聖な地域は、礼拝所も建っていなければ、神体も偶像も何もない。森の中のちょっとした、何でもない空地。そこに、うっかりすると見過してしまう粗末な小さい四角の切石が置いてあるだけ。その何にもないということの素晴らしさに私は驚嘆した」と岡本太郎は書く。 『何もない』という空間が、御嶽だった。表現者である岡本太郎の存在さえも脅かす。沖縄の文化はそこから始まっているのだ。ゼロを発見したインドの人のように、祈りの表現としての『空』を岡本太郎は発見したのだ。 「沖縄の御嶽でつき動かされた感動はまったく異質だ。何度も言うように、なに1つ、もの、形としてこちらを圧してくるものはないのだ。清潔で、無条件である。だから逆にこちらから全霊をもって見えない世界によびかける。神聖感はひどく身近に、強烈だ。生きている実感、と同時にメタフィジックな感動である。静かな恍惚感として、それは肌にしみとおる」 沖縄文化論を通じて、岡本太郎は言う、日本は沖縄に返還されるべきだと。 沖縄の生活の中に美を見出し、踊り、紅型の色彩などに惹かれる岡本太郎。芸術を受け入れることは、根元に立ち向かうしかないのかもしれない。
久高島の聖地はぽっかりとして何もないところだった。それがまた、太郎さんの心をひきつけたのですね。芸術家としてだけではない、文化人類学の実践者としての岡本太郎の横顔が浮かび上がる。
沖縄の文化は何もないことから派生した、という考察が鋭くておもしろかった。 岡本太郎と同じく、島に恋する者として共感、感嘆する。 他の著書より、言葉のセレクトがウィットに溢れていてグングン引き込まれた。 岡本太郎が撮った、久高島の風葬の写真で、その習慣が断絶されてしまった事実が、わたしに...続きを読むは衝撃だった。 文化学に長けている、岡本太郎クラスの人でもこういうことを招いてしまうことも衝撃だった。 その賛否についてはここでは述べないが、当時の世論のバッシングを岡本太郎は意に介さなかったというのが、岡本太郎っぽい。
現代アートは好きですし、岡本さんの著作は「今日の芸術」も読んでいたんですが、この本がこれほど魅力的だったとは思いもよりませんでした。 眼を剥いてオカシナ事を口走るオジサン、としか思っていない方は、一読、この文章の水準に驚くのではないでしょうか。 感心したのは、この本、沖縄文化の魅惑を語りながら、...続きを読む単なる沖縄論に留まることなく、普遍的な文明論として素晴らしく、芸術一般を語る論考としても優れていることです。 さらに沖縄の風を語る時は、一流の抒情的エッセイとしても読める。 時に確かに納得出来ない論証、賛成しかねる描写もありますが、その考察の鋭さは、文化、文明の深い本質を覗かせ、わずかなそよぎとしか感じられない些細な現象から、魅惑をすくい上げて表現して見せる手並みは抜群です。 芸術家としての感性と、表現者としての力量の両立を感じました。 結局、沖縄という場所が、岡本太郎によほどの驚きと感動を与え、啓発したのでしょう。 沖縄に惹かれている方はモチロン、優れた文明論、芸術論を読みたい方にはオススメの1冊です。 ps 沖縄は「踊る島」だそうで、1章が割かれてますが、以下@ブログ用に改変省略有 「・・そして世界の踊りの喜びがみなここに入り来ているんじゃないか、と極端なことを考える。・・・のびのびと自由にやっているが、洗練されている。民衆自体によほど踊りに対する鋭い姿勢がなければ、とうていこの純粋さと新鮮さを長く保つことは出来ないだろう。凄みである」 個人的には、このエッセンスが安室奈美恵に抽出されている、と考えます。 やっぱり出自からバックグランドがあったのだ。
レビューをもっと見る
新刊やセール情報をお知らせします。
沖縄文化論-忘れられた日本
新刊情報をお知らせします。
岡本太郎
フォロー機能について
「中公文庫」の最新刊一覧へ
「エッセイ・紀行」無料一覧へ
「エッセイ・紀行」ランキングの一覧へ
誰だって芸術家
愛する言葉
愛する言葉 新装版
美しく怒れ
岡本太郎の宇宙1 対極と爆発
壁を破る言葉
壁を破る言葉 新装版
芸術と青春
「岡本太郎」のこれもおすすめ一覧へ
一覧 >>
▲沖縄文化論-忘れられた日本 ページトップヘ