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第二次大戦末期、ナチスは不治の精神病者に安死術を施すことを決定した。その指令に抵抗して、不治の宣告から患者を救おうと、あらゆる治療を試み、ついに絶望的な脳手術まで行う精神科医たちの苦悩苦闘を描き、極限状況における人間の不安、矛盾を追究した芥川賞受賞の表題作。他に『岩尾根にて』『羽蟻のいる丘』等、透明な論理と香気を帯びた抒情が美しく融合した初期作品、全5編。
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ナチスドイツは軍国日本の写し鏡
表題作は昭和35年上期の芥川賞受賞作。ナチス支配下のドイツで戦況の悪化とともに精神病患者の迫害が強まっていく様を描く。👨🏼⚕️狂気が狂気を呼ぶ深刻な情況が活写されるため、陰鬱で読み難くなりそうなものだが、適度な諧謔とドンデン返し連打の展開により、読み易く面白さもある。👨🏼⚕️戦局悪化のもとドイツ...続きを読む人が陥った禍々しい狂気は、当時の日本人も陥っていたという暗喩のもと、狂気と正気の表裏一体性や集団的政治発狂の制御困難さを教唆したものと読んだ。いずれ再読し、改めて思索に耽りたい。👨🏼⚕️
#タメになる
Posted by ブクログ
不治の精神病患者を安死させる決定をしたナチス。それに抵抗する医師ケルセンブロックは患者たちを安死させない為に無理な治療を施し、かえって悲劇的な結果を産むことに…。戦争の悲惨さよりも、戦争を題材に、極限状態に置かれた人間の苦悩が描かれている。
恐ろしいほど狂気に満ちた作品だった。 ナチスドイツがさいしょに虐殺したのはポーランド人でもユダヤ人でもなく、同胞ドイツの精神病患者たちだった、という事実。それを当たり前だと賛同していた精神科医師たちが多くいたと言う事実。 狂気の沙汰にあふれた時代を舞台に、患者を救うため一か八かの博打に打って出た医師...続きを読むケルセンブロック。しかしそれすら、使命感によって自己正当化された狂気の一端である。 精神科医でもある作者のリアリティ溢れる表現と、鮮明な描写、鬼気迫る行動で、気持ち悪い汗が止まらない。 蒸し暑さが増す部屋で読むべき作品ではなかったな。 正気と狂気の境目はいったいどこなのか?考えさせられる。
全体的に灰色がかった雰囲気の中、救いがないストーリー。短編で読みやすいのだが、すべて読み終わるのに時間がかかってしまう矛盾が・・・とても考えながら読んだ作品。 表題作も引き込まれたが、「岩尾根にて」が一番よかった。
読み始めました。何年ぶりでしょう。30数年ぶり。 (2013年11月23日) ◎「岩尾根にて」 ○「羽蟻のいる丘」 ほかは、「×」 (2013年11月25日)
『楡家の人びと』を読んで再読したくなった初期作品集。 表題作は述べるまでもないが、他の4作品も締め付けられるような死の臭いが漂う緊張感、そして読者を放り出すような感じでもってそれぞれの解釈に作品そのものを委ねるような結末、いずれも素晴らしい作品ばかり。 自分の時間を割いたことに対する十二分な報い、小...続きを読む説を読むということの醍醐味を感じずにいられませんな。
5編からなる短編集。表題作の「夜と霧の隅で」は、ナチスによる不治の精神病患者の安死政策に迫られる、第2次世界大戦終期のドイツのある精神病院が舞台。院長、医長が病気や戦線への出向で相次いで病院を退き、年次の関係で病院の責任者にならざるを得なかった、患者の治療に向き合うよりも研究にしか興味がない孤独な医...続きを読む師が、その政策に対し抵抗を試みるという話。 「目の前にいる一人の個人としての人間」には興味がないが、医学的倫理観は持ち合わせている研究者肌の医師が、患者の回復を試みナチスの担当将校にそれを証明してみせることで患者の処刑場送致を回避させようと、治療法も確立されていない人体実験さながらの苛烈な施術を患者に施していく。治療によって患者の様態を悪化させ、患者たちを次から次へ完全な廃人に追い込んでいき、同僚の医師から「どのみち回復の見込みなどないのだから、君一人が責任を感じることはない」と言われながらもそれに反応せず、更に他に治療方法はないかと突き進む医師の行動は、方向性こそ人助けであることに間違いはないが、正直一種の狂気も感じる。患者個人個人の尊厳の死守とか、優性思想そのものに対する憤りとは違う、「目の前の患者を治すだけ」という医者特有の倫理観を強く感じる。しかしながら、彼に他に方法はあったのだろうか?自分だったらどうするか? そういう彼(のパーソナリティ)なりの方法でナチスに対抗するという行為を否定することは誰にもできないようにも思う。医者とは何か、医療の倫理とは何か、軍国熱に酔いしれ戦意高揚短歌を数多く発表し、戦後猛批判を浴び隠遁してしまった歌人であり精神科医であった斎藤茂吉を父に持つ著者ならではの一つのけじめ的な作品だったのだろう。 現実と幻覚が曖昧に溶け込んでいくような山岳を舞台とした「岩尾根にて」「谿間にて」も面白かった。
ナチスによる安死術の指令と精神科医による限度を超えた治療。医師の本当の良心についての有無に恐怖を覚えた表題作。読後に寒気を覚え、繰り返し読んだ『岩尾根にて』、個人的に好きな味の『谿間にて』など5編。どれも感覚的な読書体験が得られる傑作。
頭から順に読んでいくと文芸というか文学というか 解説に云う「透明な論理と香気を帯びた抒情」というふぜい つまり「お話」のない小説でない文章で 心境を情景描写に仮託しているようなそれである 仮託とかいうことばを使う時点でそんなかんじお察し 最後に収められている表題作は他と違って「お話」が明瞭な小説と...続きを読むして読める こういうのだと読み下しやすい またこのお話からみればその他の作品にある作者が描こうとしていたものも なんとなく理屈づけられて見えるような気がしないでもない つまり小説すなわち筋書きのあるお話でないものは 筋書きでいちおう方向が示されているものに比べてどうとでもとれるのではないか どの作者が書いたのかより不明瞭で 詩歌のように短くなるほど表現技術の高低も素人に判別困難になる 絵画でも音楽でも万人が評価するものが優れている証だとは思わないが 評価できるひとにしか評価できないものは どうとでもとれるようにみえるものに多いようにみえるのが素人の感想 文章は手段であり目的のあるものではない 作品は目的を形にしたもので作者にせよ誰にせよ ひとのこころを動かすべく作られたものだが その機能が目的を果たしているかを判断するのは使用者の規格に適合するかで 作者のもとにはないと言える この本については 表題作は小説として無難に良く文句ないが その他は 例えば高校向け国語の教科書に採用されるかどうかという「規格」で評価するなら ややいやはっきり落ちるといえると思う
ひさしぶりに文学な作品を読んだ。 小説と文学の違い(とわたし流の分け方)は、 地の文が説明、解説になっているものと、 文が練れていて、雰囲気が漂うもの とである。 もちろん、前者でも後者でもいいものはいい。 コクがあるものが傑作なのであるし、読む楽しみになる。 この短中編集に収めてあ...続きを読むるのは 「岩尾根にて」「羽蟻のいる丘」「霊媒のいる町」「谿間にて」「夜と霧の隅で」 どの作品も心揺さぶられるのだが、やはり芥川賞の「夜と霧の隅で」が印象深い。 第二次大戦中、ドイツ南部の町にある公立精神病院の医師たちは、 ナチス政権による民族浄化というとんでもない思想の影響を受けざるを得ないその苦悩がある。 それが単にドキュメンタリーではなく、文学的で深みがある文章が心にしみた。 迫害されるユダヤ人だけではなく、精神疾患者たちにとってもむごい政策というか仕打ち。 そして病んでいる本人たちには何もわからないのだ。 患者を治療しているドイツ人医師たちの悩みはさまざま。 そこに同盟国の日本人医師も留学生としていたが病み、入院してその不条理を経験する。 その妻がユダヤ人という設定も悲しい。 わたしが映画や文章などで知ったことよりも、この中編は胸に響いた。 それが文学の力と思う。
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