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大学というのは思いの外、可能性に満ちている場所ではないか。大学全入時代のいま、世間から関心が集まるのは「就職に有利かどうか」一辺倒。学び・教えが軽視されてしまった。でも、大学ならではの「学びの本質」があるのではないだろうか。まんが原作、小説、批評など他ジャンルで活躍する人気筆者が、みずからの体験と実践を紹介しながら、大学の役割を考え直す。(講談社現代新書)
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Posted by ブクログ
よかった. 筆者の体験を踏まえて,大学4年間での学びをこのようにしたという話が書かれている. 話が行ったり来たりして,ついていけないところもあるし, うんちくが地の文に書かれていて, アニメーションや漫画のことを知らないとすっと読めないかもしれないけれど, 本質はそこではなくて, 大学の教育につ...続きを読むいてどのように考えて実践したかということ. 学ぶことについて悩んでいたこともあり, 今の私には良い書籍だと感じた.
大塚英志の本は昔よく読んでいた。最近はぽつぽつと気になるものだけ読んでる。 今は神戸の大学で漫画を教えているらしい。 彼がこれまで考えてきたことややってきたことを 試行錯誤しながら若い学生に教え、 学生は知識を学び頭を動かし手を動かし作品を作り上げる中で それぞれが自分のスパンでぐんぐんと成長してい...続きを読むく。 「合作」を作る作業の中で、自分の位置をシビアに感じながら 自分の役割を探り懸命にまっとうする姿は感動モノだ。 勉強ってこういうことだと思うし、 教えるってこういうことだと思う。
大塚英志の「大学論」は『「おたく」の精神史』を彷彿とさせる、思いのほか個人的でセンチメンタルな内容に、ぼくの方が気恥ずかしくなるのだが、そんな赤裸々な思いの告白のような、すごく私的でなおかつ青春グラフィティ的ノリに、自分の学生時代と重なって非常におもしろく読ませてもらった。 そして、いくつか気づか...続きを読むされることがあった。ひとつには大塚英志という先生は意外にやさしく、熱心で学生思いなのだな、ということだ。どちらかというと、訝しく学生を嫌悪し邪険にしそうなイメージであるが、実際は学生ひとりひとりをきちんと見る目を持っているようだ。さらには、教育に対する独自の信念や理想を持っており、それを貫こうとする気概が伺える。 「大学論」は評論というより読み物として評価できる。大塚先生と学生とのやりとりはまさに金八先生だ。そこには、学園モノの物語のモチーフがきちんと描かれており、それだけでも非常に価値ある読み物となっている。 さらに読みながらふと気づいたことだが、大塚英志が自身の単行本をやたら文庫化するのは、印税を稼ぎたいからではなく、より安価な物を買わせようという親心。さらには、かならず補講などおまけを付けて、単行本を売りさばいて買い換えることを奨励している。自身の本は消費財でしかないと考える大塚英志なりのやさしさなのだと思う。 大塚英志のような先生は結構周りにいるもので、ぼくの場合、代ゼミの菅野先生が体型的にも性格的にも似ていた気がする。菅野先生は現代国語を教えていたが、その内容は大学受験の域を超え、大学生が学ぶべき智学であったと今にして思う。 そんな中で、菅野先生が「夏休みの推薦図書」とタイトルされたコピー用紙を学生たちに配って、何冊でもいいから読んでみろと、怒っているのか笑っているのかわからないいつもの顔で言い放つ。そんなぼくらの知的好奇心を誘発するような巧みな話術で、ぼくの読書欲を一気に引き上げてしまったのもこの先生だ。 菅野先生の推薦図書の中でぼくが読んだ本は今ではうろ覚えだが、さらには20年以上前のことなので本当に推薦図書だったのかもうろ覚えなのだが、例えば、鈴木孝夫「ことばの社会学」、河合隼雄「コンプレックス」、宮本常一「忘れられた日本人」、山口昌男「文化人類学への招待」、中村雄二郎「術語集」、浅田彰「構造と力」などの書籍の中で、中沢新一「チベットのモーツァルト」は価値転倒のすえ、ぼくの人生を大きく変えた一冊となってしまった。 その他にも、筒井康隆「薬菜飯店」、村上龍「コインロッカーベイビーズ」「愛と幻想のファシズム」、村上春樹「羊をめぐる冒険」などといった小説もぼくの読書欲をおおいに沸かしてくれたのだ。 そうして、ぼくは教師の道をあきらめ、文化の大海原に船出するはずだったのだが、結局はそんなたいそうなことにはなるはずもなく、デカルトの哲学とレヴィ・ストロースの文化人類学もしくは構造主義と…そして結果的に学術とは程遠い世界へと足を踏み入れていったのである。 ちなみに、中沢新一との出会いは実は菅野先生が最初ではなかった。中学2年のときにYMO散開後の細野晴臣が出したソロ12インチシングルに付録として付いてきた小冊子「グロビュール」の中で、細野晴臣と対談する中沢新一が最初である。このとき、角川書店から出版されていた対談本「観光」は、後にちくま文芸文庫版で読むことになるのだが、このときのニアミスが菅野先生の推薦図書「チベットのモーツァルト」へと誘い、ぼくはまんまとその誘いの深みにハマってしまうのである。 ところで、ここまできたので、さらに赤裸々な、勝手な思い込みに近い告白をさせてもらうけれど、実のところ、中沢新一と大塚英志とぼくには共通点がある。それは、親がいずれも日本共産党員であったことである。政治的な背景はないのだが、どちらかというとマイノリティな、ある意味で特殊な環境で幼少期を過ごした共通性が、勝手な共感に繋がっている。 さらに大塚英志との共通点で言えば、漫画家を目指し挫折したことである。と言ってもぼくなんかは目指す手前で挫折したので似ても似つかないが… ということで、なにやらぼくの独白で終始した感があるが、大塚英志の「大学論」はそんな感じに赤裸々な物語が綴られているのである。
巻末に近く、筆者が「方法」と呼ぶものを得た、と語るものが、恐らくは全てだろうと思う。 そういう経験をきちんとしてきた人なら解るのでは。 ただ、これって実はある種の教養主義ではあるので、受けないんだろうなぁ、とも思うけど。
あとがきに、 いつかどこかで役に立つ。 何故、それでいけないのか。何故、教える側がそう自信を持って言ってはいけないのか、と思う。(249) とある。これに尽きるかなぁ。うん、いい本だった。
神戸芸術工科大学でマンガの授業をおこなっている著者が、大学教員の立場からどのようにマンガに関わったのかを振り返り、同時に著者が民俗学を学んだ千葉徳爾にまつわるエピソードを紹介しながら、「近代」という時代における「教育」の行き着く先についての考察を展開している本です。 雑多なエピソードがちりばめられ...続きを読むているために、ややまとまりの悪さを感じますが、そのような仕方でしか語られないような「教育」がある、というのが、著者の立場なのかもしれないという気がします。例えば著者は、学生時代に民俗調査の実践に放り込まれることで「人に会う」という社会的な振る舞いを身につけたことを語り、それは「現代思想」でしばしば「他者に対して開かれる」と述べられていることを、地を這うようにして身につけることにほかならなかったと述べています。そして、著者が大学で学生たちに教えている内容も、アミカケの仕方のような具体的なテクニックでもなければ、現代思想を駆使してマンガ批評をする作法でもなく、現実の歴史の中でマンガがたどってきた道筋を、まさに身をもって知ることだと言ってよいと思います。 そのような著者の立場から離れてややうわついた言葉を使えば、「近代」を生きる個人が、まさに「近代」の中に「棲み込む」ための作法を、本書を通じて学ぶことができると言うことができるのではないかと思います。
マンガという特殊な分野ではあるが、他の一般大学教員としても考えさせられる点は多い。 著者の教員という仕事への思い入れが感じられる。 たぶん多くの大学教員はこういう思いで仕事に取り組んでいないのではないかと思われるが、これからは大きく変化していくだろう。 大学に秘められた可能性を信じて、教授では...続きを読むなく教員として学生との関わりを楽しんでいければいいなと感じた。 現実は難しい面も多いのだが・・・
「大学とはこうあるべきだ」とか 「今の大学がここが悪いみ」たいな大学論とは違い、 著者の大学講師を経験するなかで感じたこと、考えたことを中心に書かれたエッセイ。 私が芸術面には疎いので、 マンガは映画の手法を取り入れているから、 もう一度映画に置きなおして実際に撮影する という手法を解説しているな...続きを読むど、興味を覚える内容だった。 また、大学講師を通して「教える」ということに対して 感じたこと、考えたことは参考になる部分もあった。
前半と後半は著者の千葉徳爾像を語り、中盤は著者による大学講座の話をしている。学びの方法としての「例のあれ」は興味深いと思った。
[ 内容 ] いま、大学でいかに学ぶのか。 大学全入時代だからこそ改めて問う体験的エッセイ。 [ 目次 ] 二年目の儀式 ぼくは大学でいかに学んだか 何故「描く方法」を教えるのか つくり方を「つくる」ということ まんがはいかにして映画になろうとしたのか ルパンの背中にはカメラのついたゴム紐が結んで...続きを読むある 日本映画学校と十五年戦争下のカリキュラム 一瞬の夏 ジャンルを「翻訳」するということ 高校でまんがを教える AO入試は下流なのか 千葉徳爾とぼくの「自学」 [ POP ] [ おすすめ度 ] ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度 ☆☆☆☆☆☆☆ 文章 ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性 ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性 ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度 共感度(空振り三振・一部・参った!) 読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ) [ 関連図書 ] [ 参考となる書評 ]
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大学論 いかに教え、いかに学ぶか
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大塚英志
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