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Posted by ブクログ
大塚英志の「大学論」は『「おたく」の精神史』を彷彿とさせる、思いのほか個人的でセンチメンタルな内容に、ぼくの方が気恥ずかしくなるのだが、そんな赤裸々な思いの告白のような、すごく私的でなおかつ青春グラフィティ的ノリに、自分の学生時代と重なって非常におもしろく読ませてもらった。
そして、いくつか気づかされることがあった。ひとつには大塚英志という先生は意外にやさしく、熱心で学生思いなのだな、ということだ。どちらかというと、訝しく学生を嫌悪し邪険にしそうなイメージであるが、実際は学生ひとりひとりをきちんと見る目を持っているようだ。さらには、教育に対する独自の信念や理想を持っており、それを貫こうとする気概が伺える。
「大学論」は評論というより読み物として評価できる。大塚先生と学生とのやりとりはまさに金八先生だ。そこには、学園モノの物語のモチーフがきちんと描かれており、それだけでも非常に価値ある読み物となっている。
さらに読みながらふと気づいたことだが、大塚英志が自身の単行本をやたら文庫化するのは、印税を稼ぎたいからではなく、より安価な物を買わせようという親心。さらには、かならず補講などおまけを付けて、単行本を売りさばいて買い換えることを奨励している。自身の本は消費財でしかないと考える大塚英志なりのやさしさなのだと思う。
大塚英志のような先生は結構周りにいるもので、ぼくの場合、代ゼミの菅野先生が体型的にも性格的にも似ていた気がする。菅野先生は現代国語を教えていたが、その内容は大学受験の域を超え、大学生が学ぶべき智学であったと今にして思う。
そんな中で、菅野先生が「夏休みの推薦図書」とタイトルされたコピー用紙を学生たちに配って、何冊でもいいから読んでみろと、怒っているのか笑っているのかわからないいつもの顔で言い放つ。そんなぼくらの知的好奇心を誘発するような巧みな話術で、ぼくの読書欲を一気に引き上げてしまったのもこの先生だ。
菅野先生の推薦図書の中でぼくが読んだ本は今ではうろ覚えだが、さらには20年以上前のことなので本当に推薦図書だったのかもうろ覚えなのだが、例えば、鈴木孝夫「ことばの社会学」、河合隼雄「コンプレックス」、宮本常一「忘れられた日本人」、山口昌男「文化人類学への招待」、中村雄二郎「術語集」、浅田彰「構造と力」などの書籍の中で、中沢新一「チベットのモーツァルト」は価値転倒のすえ、ぼくの人生を大きく変えた一冊となってしまった。
その他にも、筒井康隆「薬菜飯店」、村上龍「コインロッカーベイビーズ」「愛と幻想のファシズム」、村上春樹「羊をめぐる冒険」などといった小説もぼくの読書欲をおおいに沸かしてくれたのだ。
そうして、ぼくは教師の道をあきらめ、文化の大海原に船出するはずだったのだが、結局はそんなたいそうなことにはなるはずもなく、デカルトの哲学とレヴィ・ストロースの文化人類学もしくは構造主義と…そして結果的に学術とは程遠い世界へと足を踏み入れていったのである。
ちなみに、中沢新一との出会いは実は菅野先生が最初ではなかった。中学2年のときにYMO散開後の細野晴臣が出したソロ12インチシングルに付録として付いてきた小冊子「グロビュール」の中で、細野晴臣と対談する中沢新一が最初である。このとき、角川書店から出版されていた対談本「観光」は、後にちくま文芸文庫版で読むことになるのだが、このときのニアミスが菅野先生の推薦図書「チベットのモーツァルト」へと誘い、ぼくはまんまとその誘いの深みにハマってしまうのである。
ところで、ここまできたので、さらに赤裸々な、勝手な思い込みに近い告白をさせてもらうけれど、実のところ、中沢新一と大塚英志とぼくには共通点がある。それは、親がいずれも日本共産党員であったことである。政治的な背景はないのだが、どちらかというとマイノリティな、ある意味で特殊な環境で幼少期を過ごした共通性が、勝手な共感に繋がっている。
さらに大塚英志との共通点で言えば、漫画家を目指し挫折したことである。と言ってもぼくなんかは目指す手前で挫折したので似ても似つかないが…
ということで、なにやらぼくの独白で終始した感があるが、大塚英志の「大学論」はそんな感じに赤裸々な物語が綴られているのである。
Posted by ブクログ
神戸芸術工科大学でマンガの授業をおこなっている著者が、大学教員の立場からどのようにマンガに関わったのかを振り返り、同時に著者が民俗学を学んだ千葉徳爾にまつわるエピソードを紹介しながら、「近代」という時代における「教育」の行き着く先についての考察を展開している本です。
雑多なエピソードがちりばめられているために、ややまとまりの悪さを感じますが、そのような仕方でしか語られないような「教育」がある、というのが、著者の立場なのかもしれないという気がします。例えば著者は、学生時代に民俗調査の実践に放り込まれることで「人に会う」という社会的な振る舞いを身につけたことを語り、それは「現代思想」でしばしば「他者に対して開かれる」と述べられていることを、地を這うようにして身につけることにほかならなかったと述べています。そして、著者が大学で学生たちに教えている内容も、アミカケの仕方のような具体的なテクニックでもなければ、現代思想を駆使してマンガ批評をする作法でもなく、現実の歴史の中でマンガがたどってきた道筋を、まさに身をもって知ることだと言ってよいと思います。
そのような著者の立場から離れてややうわついた言葉を使えば、「近代」を生きる個人が、まさに「近代」の中に「棲み込む」ための作法を、本書を通じて学ぶことができると言うことができるのではないかと思います。
Posted by ブクログ
[ 内容 ]
いま、大学でいかに学ぶのか。
大学全入時代だからこそ改めて問う体験的エッセイ。
[ 目次 ]
二年目の儀式
ぼくは大学でいかに学んだか
何故「描く方法」を教えるのか
つくり方を「つくる」ということ
まんがはいかにして映画になろうとしたのか
ルパンの背中にはカメラのついたゴム紐が結んである
日本映画学校と十五年戦争下のカリキュラム
一瞬の夏
ジャンルを「翻訳」するということ
高校でまんがを教える
AO入試は下流なのか
千葉徳爾とぼくの「自学」
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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