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大地震と津波、そして原発の事故により、日本は根底からの大転換をとげていかなければならないことが明らかになった。元通りの世界に「復旧」させることなどはもはや出来ない。未知の領域に踏み出してしまった我々は、これからどのような発想の転換によってこの事態に対処し、「復興」に向けて歩んでいくべきなのか。原子力という生態圏外的テクノロジーからの離脱と、「エネルゴロジー」という新しい概念を考えることで、これからの日本、そしてさらには世界を目指すべき道を指し示す。【目次】日本の大転換/1 津波と原発/2 一神教的技術/3 資本の「炉」/4 大転換へ/5 リムランド文明の再生/「日本の大転換」補遺 太陽と緑の経済/あとがき
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Posted by ブクログ
中沢新一の新著である「日本の大転換」では、この大きな転換期に基づく新しいライフスタイルがなんなのか、そしてどのうような未来図を見出さなくてはいけないのかが短めではあるが解説されている。
ところで、ぼくはこれまでブログなどで何度も主張してきたが、この原発事故はもともと人間には手に負えないモノをさも知ったふうにして取り扱った結果であり、そして取り返しのつかない状況もまた結果である。ぼくらはこの結果を踏まえ、脱原発の方向で新しい生き方を模索してくしかない。
そのことを中沢新一は肯定的にさらに具体的な可能性を導きだしてくれていることに、すこし気が楽になった。未来は明るいわけではないが、そんなに暗くもない。それはぼくらの意識次第なのだ、ということをあいかわらずの語り口でさらっと言い切る中沢新一にまたしても聞き耳をたててしまうのだ。
中沢新一は、原発というシロモノを「生態系の外部にある核の物質現象を無媒介で生態系の内部に持ち込みエネルギーを得ようとするシステム」と定義した。つまりこれは原発が太陽を創りだす装置と位置づけてもいいだろう。沢田研二が演じた「太陽を盗んだ男」はまさにこのことを伝えたかったのではないか、と勝手に解釈してみる。
第6次エネルギーまでは、太陽のエネルギーを少なくとも間接的にエネルギーとして手に入れたが、第7次エネルギーである原発は太陽のエネルギーを自ら産み出して直接利用したのである。まさに神の領域に人間は野蛮に踏み込んでしまったのである。そしてそのツケが回ってきたことに、もしくは犯すべからずの領域であったことにいまさら気づきはじめたのである。
こうなってしまっては、この第7次エネルギーを求めることはできないわけで、中沢新一は第7次エネルギーに変わる第8次エネルギーを導き出すために、エネルゴロジー(エネルギーの存在論)という知の形態を提言する。これにより原発は完全に否定される。
中沢新一は、原発や資本主義を一神教的だとし宗教的な展開で批判する。それは、アメリカの経済破綻と原発事故によるエネルギーの破綻が同一の構造を持っていると容易に想像できる。
原発は太陽から降り注ぐ光量子エネルギーの贈与を無視し、自ら太陽を作りそこからエネルギーを得ることに成功した。資本主義も貨幣の一人歩きにより、贈与という概念を捨てもっぱら交換原理だけで発達することになった。それこそが一神教的なるものの欠陥であったのだろう。
中沢新一がこれから進めようとする未来図は、太陽光発電など太陽から降り注ぐ光量子エネルギーを活用した第8次エネルギーの活用ではあるが、そこに日本人がこれまで切り捨ててきた第一次産業である農林水産業を基軸に据えた経済をいま一度取り戻す必要がある。太陽の贈与を経済活動に直接結びつける農業、漁業こそが基幹となり、贈与と交換の市場経済を作り上げる(作りなおす)ことが必要なのである。これを中沢新一は「太陽と緑の経済」という素敵なネーミングで語っている。太陽は自ら生み出すものではなく贈与されるべき関係でしかない。それが人間と太陽とのもっとも適した関わり方なのだ。
中沢新一は「黄色い資本論」という論文でこれらの具体的な道筋をぼくらに示してくれるはずである。そして、あわよくば日本版「緑の党」を主宰しているかもしれない。どちらにせよ、原発の破綻で生き方を大きく転換しないといけないぼくらにとっては、画期的な道標になってくれることを願うばかりである。
Posted by ブクログ
雑誌『すばる』6・7・8月号に連載されていたときから注目していた論考ですが、そのときとったレジュメとレビューの下書きが、例のたなぞうの終了騒動(!)のドサクサでどこかに紛失してしまって、途方に暮れています。
でも、もし見つからないなら、何としてももういちど再考して、かたちとして残したいと思います。
これは、3・11以降に生きる私たちの持つべき世界観として、地震学者や医療救命関係者や原子力発電所関連の専門家や精神分析家や環境学者や経済学者や企業経営者や芸能人などが、それぞれの専門分野と思い入れを持って思索し行動して問題定義されたなかでも、とりわけ、もっともすぐれて重要な人類的視点で書かれた考察です。
彼は、一面的ではない、私たちがいま現在考えられる究極の選択をしようと試みます。それは、宗教と資本主義という、人間が作り出してきたシステムを根源的に問いただすという方法で展開されます。
Posted by ブクログ
釈迦が悟ったのは「縁起」であると言われる。
世の中は縁によって起こり、あらゆるものが関連し合っているという思想である。
そこから、生物との共生や自然との共生という思想にもなる。
しかし、一神教の思想は全く異なる。
縁で紡がれているはずの人間社会に、それを超越した神を持ち込んだのが一神教、すなわちユダヤ教、イスラム教、キリスト教である。
そして、宗教が力を失ったいま、拝金主義と科学信仰がはびこっている。
拝金主義の温床は資本主義だ。
そして、資本主義は縁でつむがれていた社会に「神の見えざる手」を持ち込んだ。つまり神を持ち込んだのだ。
さらに、科学信仰の真骨頂が核エネルギーであり、これは「神の領域」である。またも、神を持ち込んだのだ。
資本主義も核エネルギーも一神教的な神を持ち込んだという意味で同じであると著者は言う。
資本主義の市場原理はいまや、人々の心の中にどっぷりと入り込んでいる。子どもの心にさえ入り込んでいる。
核エネルギーは核廃棄物が処理できない時点で人間には扱えない代物であり、事故を起こして土地を汚染し住民の故郷を奪った。
神=外部性を持ち込んだ資本主義と核エネルギーは両者ともに行き詰まっている。
これを転換するには、仏教の縁起を思い出すことであろう。世界は縁によって紡がれている。
本書の原稿が書かれたのは原発事故から3ヶ月後の2011年6月だという。中沢新一氏の慧眼に感服する。
Posted by ブクログ
原子力と資本主義という「炉」は、本来の生態系から外れているおかしいものだ、もとに戻すのではなく、新しい思考のチャンスだ、と。今この時点では、この本を読んでそれに気づく、という段階ではなく、「踏み絵」ではなくて、踏み絵の先にある階段、それもピッチがあっていないもので、進むのは快適ではないのだけど、という印象です。
新しい気づきや行動のヒントがあるわけではなかったけど、うまく言えないことを、代わりに言ってもらっているような本だなあ、と思う一方で、やはり改めて転換する気のない「炉」の人たちとは交差点が持てないのだろうなあということも。出版されてすぐなら、また違う印象だったのだろう、とも強く思うのです。
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