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単に、人生を描くためなら、地球に表紙をかぶせるのが一番正しい――誰もが無頼派と呼んで怪しまぬ安吾は、誰よりも冷徹に時代をねめつけ、誰よりも自由に歴史を嗤い、そして誰よりも言葉について文学について疑い続けた作家だった。どうしても書かねばならぬことを、ただその必要にのみ応じて書きつくすという強靱な意志の軌跡を、新たな視点と詳細な年譜によって辿る決定版評論集。
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Posted by ブクログ
表題作の「堕落論」他、「続堕落論」と二つの間に挟まれていた「天皇小論」を読んだ。かなり好きな思想で、個人的には、「続堕落論」よりも「堕落」することについて妥協のない無印の「堕落論」の方が好き。 全体の趣旨は結構単純で、基本的には、戦前の国家主義的なイデオロギー批判だと読んでいいのだと思って読んだ。...続きを読む人間の本質は、倫理的でないこと、堕落した生活や生き方をすることにあって、放っておく限り人は堕落する。だから、世界の歴史は、人間を堕落させないための「カラクリ」を生み出してきたのだという。それは、天皇制であったり、武士道であったり、形は違っているが、その本質は同じで、理想的な生き方、倫理観を示すことによって、人を堕落させずに従わせようとするものである。こうしたものの存在が、第二次大戦における未曾有の被害を生み、日本を敗戦に向かわせたのだというのが、坂口安吾の歴史認識である。 では、そういった国を破滅に向かわせた「カラクリ」から逃れるためには、どうしたらよいのか? それが「堕落」である。 だが他人の処女でなしに自分自身の処女を刺殺し、自分自身の武士道、自分自身の天皇をあみだすためには、人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。そして人の如くに日本も亦堕ちることが必要であろう。堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である。(p86) 「堕落」というのは、何か理想的な状態があって、その理想的な状態から堕ちることである。であるからにして、「堕落」は普通、悪いことだと考えられる。けれども、安吾はそのような「堕落」観を否定する。 敗戦後国民の道義頽廃せりというのだが、然らば戦前の「健全」なる道義に復することが望ましきことなりや、賀すべきことなりや、私は然らずと思う。(p89) 戦後の社会が教えてくれたのは、かつて「健全」であったことの方がよっぽど「不健全」だったという事実で、そのような意味での悪しき「健全」から逃れる方法が、個人の「堕落」なのである。だからこそ、「堕落」は常に、「不健全」になりうるイデオロギーからの「堕落」であり、「制度の母体(p101)」として新しい「カラクリ」を作り続けるものでなくてはならない。このあたりの主張は、無印の「堕落論」よりも「続堕落論」の方が分かりやすくなっている。その分、無印の「堕落論」が持っていた「堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない」という「堕落」の徹底ぶりが、やや妥協されているように感じたところで、個人的には、徹底的に堕ちきる無印の方が好きである。 それにしても一番面白かったのは、わざわざ言わなくてもいい「私は二十の美女を好む」だと思う。 その当然堕ちるべき地獄の遍歴に淪落自体が美でありうる時に初めて美とよびうるのかも知れないが、二十の処女をわざわざ六十の老醜の姿の上で常に見つめなければならぬのか。これは私には分らない。私は二十の美女を好む。(p79〜80) いや、そうなのかもしれないが、わざわざ言う必要あるかと思う。安吾は、イデオロギーが生み出す「美」を否定する一方で、「美」に惹かれてしまう人間の性のようなものは否定しない。ところどころにそれは現れて、自分自身が「二十の美女を好む」ことを一々言うところとかは、すごく好きである。しかし、一方で怖いとも思う。 私の近所のオカミサンは爆撃のない日は退屈ねと井戸端会議でふともらして皆に笑われてごまかしたが、笑った方も案外本音はそうなのだと私は思った。(p100〜101) 巷では、時代が不幸になると安吾は読まれるようになるそうだ。どんな理不尽な状況やルールの下に置かれても、それが当たり前になると、その理不尽さはいつの間にか慣らされて、その理不尽の中で楽しみを感じるようになる。これは、理不尽なルールに満ちた中学校で、楽しそうに過ごす中学生たちを見ていると、身に沁みて感じることである。 「堕落論」は、いかに「堕落」することが、人間にとって困難な振る舞いであるかを、よく教えてくれていると思う。
-あの偉大な破壊の下では、運命はあったが、堕落はなかった。無心であったが、充満していた。 -人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。 否定する。幻想を夢みる。それは現実逃避ではなく、そうして自分という1人の人間の、いまこの生活を見つめるための文学的な生き方
最近、戦争(主に太平洋戦争)のことを調べるようになった。当時を生きた人が書いたものをいろいろ読んだ。自分にとっては遠い過去で想像もできなかったことが、本当にそこにあったんだなと感じるようになって、絶対にまた起きてはならないと、前とは違う感覚で考えるようになった。堕落論はそんな気分のうちに読んで、とて...続きを読むも心に残った。
凄いものを読んだ。今後、一生付き合っていく一冊だろう。色んな言葉が溢れ返る最中、坂口安吾なりの見解によって、取捨選択をしているな、といった印象。
昔に読んだけど、あらためて読んでみるとおもしろいものだ。昔は「生きよ堕ちよ。人間は堕落する」という派手な言葉の印象はあったものの、堕落の意味がピンときていなかった。今の時代は、封建制、ムラ社会、思考停止した精神論みたいなものが昔ほどはないだろうから、堕落しきった状態が現代というところか。 「続堕落論...続きを読む」は、より直接的でわかりやすい。 小林秀雄も酔っぱらうという「教祖の文学」や、日本人の好奇や、抽象的で情緒的な思考を外国人との対比で記した「」ヨーロッパ的性格、ニッポン的性格」もおもしろい。
引用された形で何度か読んだ坂口安吾「堕落論」。そこかしこに馴染みがあり、懐かしい文体を読んでいる間ずっと同世代だった父のことが頭から離れなかった。戦時中のことをほとんど話さなかった父だけれど、折に触れて聞かされたのは「人間は失敗するが同じ失敗をするのは馬鹿だ」と「戦争をするのは馬鹿だ」という事。 コ...続きを読むロナや気候変動で世界全体が不安定な今こそ 私達ひとりひとりはいかに生きるべきか。改めて安吾(と父)に諭された。 八蔵読書会課題本
明朗に時々の世論や時勢を斬るのがなんとも痛快。 すごく前向きである。このご時世でも堕落の意識は必要なのでは。 どうでもいいが、ちょうど中上健次『岬』も同時期に読んでいたので、岬の主人公に堕落論を勧めてたいと思う次第である。
堕落とは、怠惰に非! 何らかのシステムに帰属して安堵しがちな人間こそ、社会通念に叩かれながらも追い求める道をいけと言われた気がした。 近代文学に明るいとは言えない私の中でも、 この本は別格。
「人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ」 政治、歴史、宗教、戦争、人格者… 文学の極北から人間の真相を暴き、行動を分解する。 安吾の立つ座標は限り無く寒い。それが俺の人生だ。精一杯生きる感動だ。 薄っぺらな批評など、そ知らぬ孤高。
戦時中と戦後の日本を鋭い目で見た坂口安吾に敬意を評す。ほんとうの人間性や政治、社会のあり方まであらゆることを『堕落せよ』と説く。堕落とは人間に還ることである。個人的には本書の中で美を愛でる坂口安吾、好きだ。
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堕落論
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坂口安吾
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