三浦綾子 電子全集 われ弱ければ-矢嶋楫子伝

三浦綾子 電子全集 われ弱ければ-矢嶋楫子伝

小説・文芸
550円 (税込)

2pt

4.0

時代の常識を超えて新しい女性の創造に命を燃やした女子学院初代院長・矢嶋楫子(やじま・かじこ)の生涯

厳しい明治の世にあって、結婚、出産、離婚、そして郷里・熊本から上京し、教師の道を歩みながら妻子ある人の子を産んだ矢嶋楫子・・・。日本キリスト教婦人矯風会を結成し、禁酒、禁煙、廃娼運動を広く行う一方、女子学院の初代院長となる。愛と情熱のおもむくままに生きた新しい女性・矢嶋楫子93年の生涯を、著者が思いを込めて綴った伝記小説。

「三浦綾子電子全集」付録として、矢嶋楫子や女子学院、矯風会関連の写真と、「道南オリーブの会ニュース」発足10周年記念号に三浦綾子が寄せた文章「信仰の自治」を収録!

2013年に矢嶋楫子 生誕180周年。

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三浦綾子 電子全集 われ弱ければ-矢嶋楫子伝 のユーザーレビュー

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感情タグBEST3

    Posted by ブクログ

    この頃と今。
    時代は随分と進んだんだなあと感じる。
    今があるのは先人達が世の中を変えようとしてくれたおかげ。食べ物や洋服が最低限得られる事。教育。離婚の自由。信仰の自由。
    百年後には、いやそう遠くない未来には同性婚も"当たり前"になっているかもしれないなあ。

    けれどもこんなに変わっている事もあれば、DVやアル中とか、今もよく聞くような話も伺えて人間の弱さって変わらないんだなと思った。

    矢嶋楫子さんの事は初めて知った。
    前半は壮絶で心痛むけれど、素晴らしい人生だな。まるで一緒に生きているかのような錯覚に陥る文。
    のめり込んで読みました。

    こんな風に生を全うしたい。

    0
    2020年11月01日

    Posted by ブクログ

    女子学院の初代校長で、社会運動家の矢島揖子の伝記。試験の時に監督を置かないと決めたエピソードに心を打たれる。

    善悪の判断は法律がするのではなくて、私たちの良心がするべきではないのか。神の愛に感じて、してはならないことはしない、すべきことは断固としてする、そうした人間になるように教育する。大人になった時に、1人で物事の判断をつけられぬ人間になっては困るのです。 …そういう大人でありたいと思った。

    0
    2026年06月21日

    Posted by ブクログ

    まとまらないので備忘メモ。
    ・三浦綾子の語り口が良い。「われ弱ければ」このタイトルも良い。さぞかしご立派な方の説教くさい伝記なのであろうというこちらの警戒心をふるふると解く、それでいて気品のある、近寄り易さと神々しさとが同居する不思議な本だった。
    ・人を裁くことのできるのは神様だけ。「汝らのうち、罪なき者まず石を投げ打て」。
    ・『長煙管』の章が好きだ。ミセス・ツルーが揖子を新栄女学校の校長とすることを決めた時、揖子はクリスチャンではなかった。しかもスパスパ煙草を吸う。奮ってる。

    0
    2022年12月05日

    Posted by ブクログ

    これまでキリスト教の精神ってよくわからなかったけど、この本を読んで、救いを求める気持ちが想像できた。神以外を崇拝しない、自分の基準で他人を裁かない。自分の弱さを認めるところから全てが始まる。揖子の人生すごい。

    0
    2022年05月28日

    Posted by ブクログ

    女子学院初代学長である矢嶋楫子の伝記です。
    ほとんど校則がないという女子学院に興味を持ち、読み始めました。

    40歳まで一主婦として夫の暴力に耐えるという辛い体験をしながらも、その後教師となり、女子学院の学長・日本キリスト教婦人僑風会の会頭として活躍しました。
    89歳になっても渡米し(船で、ですよ!)、活動を行う楫子に心から感服します。

    また、ミッションスクールの意義についても考えるきっかけとなった一冊です。

    0
    2010年05月13日

    Posted by ブクログ

    女子学院の初代院長であり、日本キリスト教婦人矯風会(一夫一妻制、禁酒禁煙などを推進)の初代会頭の矢嶋楫子の話である。矢嶋が気付かせてくれるのは、教育者とは単に子供がかわいいとか、子供が好きだというだけではダメで、人間とは何かを捉えることのできない教育者であってはならないという。教師や母親は、いわゆる優しければよい、というぐらいのことでは、人間を育てることはできないのだ。愛は意志である、という言葉がある。矢嶋楫子こそは、その意志的な愛を持った闊達な教育者であった。
    矢嶋は、あなたがたには聖書がある、自分で自分を治めよ、と学校の生徒たちに言いきった。人間としての自覚を促されたのだ。矢嶋は規則のない学校を作った。生徒達を勝手気ままにさせておいて良いということではない。自分で自分を治めよと、生徒への人格尊重の思いがあれば、規則などを多く作り上げる必要はないのだ。
    巻頭に楫子の写真がある。70歳代の写真だが、厳しそうにみえて、優しく受け入れてくれそうにみえる。自分を治めよ、と今にも言い出しそうだ。
    楫子の祖父は、郷里が岩国で、洪水のたびに流される橋に心を痛め、錦帯橋を作り、楫子の姉つせ子は横井小楠と結婚したし、他の姉久子は徳富蘇峰の母であるなど、いずれも女性史上に名をなす人物といってよかった。横井小楠は、キリスト教布教の嫌疑で暗殺されたのだ。
    罪ある者には人を罰する資格はない。また、罪を冒さずに生き得る人間もない。行いの違いはあれ、心の中は、情欲と放縦に満ちている。欺瞞と傲慢、怠惰と不従順に満ちている。人を裁き得るのは実に神のみなのだ。
    私たち人間は、規則があるから人を殺さないのではなく、法律があるから泥棒をしないのではない。他に律せられれば罪を犯さないというのでは、人間として上等な生き方だとは言えない。たとえ法律になんと書かれていようが、もし人間としてしてはならぬことであればしてはならない。つまり善悪の判断は法律がするのではなく、私達の良心が判断するべきなのだ。神の愛に感じて、してはならないことはしない、また、すべきことは断固としてする。そのように楫子は教育したいと思い、校則を取り払ったのだ。一人で物事の判断ができない人間になってもらっては困るのだ。
    楫子もそうだが、先に読んだ榎本保郎も、人を信じきった人だったと言える。保郎は人を信じるというか、神を信じることで、結果として人を信じたことになったし、楫子は校則を作らず、聖書の力を信じることで生徒を信じたといえよう。楫子は、試験の際、監視官を置かないことを提案した。人の目があるから悪いことはしない、そんな人間にすることを恐れていたのだ。だが、人間は弱いものだ。だから、神に生徒を信頼して祈ったのだ。それに対して生徒は自分たちが信頼されていることへの喜びと、その喜びの上に立った自覚によって、人を恐れるよりは神を恐れる聖書の精神を身につけることができた。

    0
    2021年07月20日

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