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おい地獄さえぐんだで-函館から出港する漁夫の方言に始まる「蟹工船」。小樽署の壁の日本共産党万歳! の落書に終わる「三・一五」。小林多喜二(1903-1933)25歳のときの2作は、地方性と党派性にもかかわらず思想評価をのりこえプロレタリア文学の古典となった。搾取と労働、組織と個人。歴史は未だ答えず。[解説=蔵原惟人]
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Posted by ブクログ
蟹工船は再読。歴史的意義を鑑みて★5。内容はとにかく暴力的描写がきつい。3.15事件を共産党員側の立場で見ることができるのはすごいことだと思う。小説に描かれたような暴力により多喜二は死ぬわけだが、その死に方により小説の真実性を裏付けることになる皮肉。
蟹工船に集められた人たち。 彼らは日雇い労働者のようなもので、かつては土地の開墾や炭鉱で働き、たまたま今回はここに流れ着いた。 淡々と描かれる労働の描写は返って凄惨さを増す。 ひどいの一言では済まない感情が湧く。 炭鉱で働いていた祖父を思う。 昔々の話ではない。まだこのような状況が残っていたに違いな...続きを読むいのだ… 戦争だけが祖父母の代の代名詞ではない。 過酷な過去を背負い、生きていくのはどんな心情だったことか。いくら年月が過ぎて幸せを手に入れても、拭いきれない思いがあったはず。 一般的にはプロレタリア文学として知られる本書であるが、個人的にはそんな想いを起こさせる小説だった。
かなり政治的なところがあるので今まで遠ざけていたが。思い切って読んでみることにしました。かつて日本にあった理不尽かつ残酷な労働環境の実態がありありと伝わってきました。こういったプロレタリアートの考え方は100%賛成は出来ませんが、そうでなくとも楽しめる(?)作品です。
小林多喜二の「蟹工船」と「一九二八・三・一五」を読んだのは約30年前。 30年前も岩波文庫で読んだが、今度はワイド版岩波文庫。 最初に読んだときは、 漁夫たちは寝てしまってから、 「畜生、困った! どうしたって眠れないや!」と、体をゴロゴロさせた。「駄目だ、伜が立って!」 「どうしたら、ええんだ...続きを読む!」―終いに、そういって、勃起している睾丸を握りながら、裸で起き上がってきた。大きな体の漁夫の、そうするのを見ると、体のしまる、なにか凄惨な気さえした。度肝を抜かれた学生は、目だけで隅の方から、それを見ていた。(蟹工船 p56) のような強烈な描写に圧倒され、それが小林多喜二の作品のイメージになっていたが、今回読んでみて、特に「一九二八・三・一五」のあちこちで繊細な描写や叙情性とユーモアのある表現に出会って、彼がどれだけ作家としての才能と可能性に恵まれていたかが分かった。 真夜中に警察に踏み込まれ連行される父の姿を、娘の幸子が寝たふりをしながらそっと眺めているシーン。 力一杯に襖が開いて、父が入ってきた。後ろから母がついてきた。五人は次の間に立って、こっちを向いている。 「ズボン。」 父は怒った声で母にいった。母は黙ってズボンを出してやった。父はズボンに片足を入れた。しかし、もう片足を入れるのに、何度も中心を失ってよろけ、しくじった。父の頬が興奮からピクピク動いていた。父はシャツを着たり、ネックタイを結んだりするのにつッかかったり、まごついたりして―殊にネックタイがなかなか結べなかった。それを見て、母が側から手を出した。 「いいいい!」父が邪険にそれを払った。父は妙に周章てていた。(一九二八・三・一五 p148) ふと―幸子は分った気がした。それもすっかり分った気がした。「レーニンだ!」と思った。これらのことが皆レーニンから来ていることだ、それに気付いた。色々な本の沢山ある父の勉強室に、何枚も貼りつけられている写真のレーニンの顔が、アリアリと幸子に見えた。それは、あの頭の禿げた学校の吉田という小使いさんと、そっくりの顔だった。(同 p149) 娘のことを夢に見る父親。 「お父さんはねえ、学校の人と一緒に旅行に行くんだよ。」 幸子が黒い大きな眼をパッチリ、つぶらに開いて、彼を見上げる。 「おみやに何もってきて?」 彼はグッとこたえた。が、「うんうん、いいもの、どっさり。」 と、幸子が襖の方へ、くるりと頭を向けた。彼はいきなり両手で自分の頭を押さえた。ピーン、陶器の割れるその音を、彼はたしかにきいた。彼は、アッと、内にこもった叫び声をあげて、かけ寄ると、急いで幸子の懐を開けてみた。乾葡萄ををつけたような乳房の間に、陶器の皿のような心がついているー見ると、髪の毛のようなひびが、そこに入っているではないか!」(同 p180) この部分のイメージは、ちょっとありきたりな気がするが、それにしても、警察権力による拷問を内容とする作品にもかかわらず、陰惨な印象はあまりしない。作者の労働運動に対する希望と確信から来るものだろうが、豊かで瑞々しい表現力によるところも大きいと思う。 それだけに最後の二章が編集者の蔵原惟人氏の判断で除かれ、原稿が戦争で消失してしまったことは実に残念。
下級労働者達の苦闘のお話。いや、面白かった。後半は実は読めてないんですが、面白かったです。 赤化とはこの様に行われるのかと笑いつつも、恐らく今現在でも通用するであろう悲惨な労働現場で働く方々のお話でした。
現代でも、資本主義である以上は資本家の方が「賢く」「(フィジカル的には)効率よく」暮らせる。 実務でがむしゃらに体や手やを動かす存在より、意思決定の主体になれば「成功者」と言われる。 肝心なのはその成功者さんたちが、全体で見た時にいかに過酷な環境を強いることがないか。そうできないシステム(法律や規...続きを読む制)、そうさせない技術(AIやロボット)があるか。なのだろうと推測された。
「蟹工船」からは文学、「一九二八・三・一五」はルポのような雰囲気を感じた。三・一五というタイトルや、明らかな日本名を完全に無視できるなら、同時期のロシア文学と言われても違和感がない。
メモ ・独特な言い回しに苦戦 ・資本主義と帝国主義の関係 ・赤化が歴史で習ったようなマクロなレベルでなく、一人一人の労働者から見たミクロなレベルで描かれている(教科書で学ぶのとはやっぱりちがう) ・はじめは、皆同じように不満を抱いているのに、資本家に対して何も行動を起こせず、過酷な労働環境を受け...続きを読む入れ、病を抱えていく労働者たちに対してもどかしさを感じた。しかし、そのように思うのは私自身が「資本主義」と「社会主義」という枠組みを当然あり得るものとして認識、学習しているから。当時の労働者たちにはその知識が欠けていた。学びの大切さはここにあるなと。(→選択決定のプロセスに大きな影響) また、不満を抱く労働者のなかでもヒエラルキーが存在し、その異なる階層のうち複数が強調して動くときに集団は大きく動くことをストライキが示していた。同時に、社会運動の匿名性の重要度を労働者たちが身をもって経験する点に情報の流入を統制する政府の大きな力を実感した。
日本の代表的なプロレタリア作家、小林多喜二の代表作「蟹工船」が収録されています。 プロレタリア文学自体は小林多喜二以前にも存在していたのですが、「蟹工船」が雑誌「戦旗」に連載されたことで、プロレタリア文学が脚光を浴びるきっかけとなりました。 武者小路実篤らの"白樺派"、菊池寛らの...続きを読む"新思潮派"などと異なり、小林多喜二ら"戦旗派"は、低賃金でこき使われる労働者の権利を主張し、現実と立ち上がる力を民衆に啓蒙するような内容となっています。 ただ、小林多喜二氏の作品は、労働者への啓蒙に加えて、共産主義へ先導するような内容となっています。 プロレタリア自体は低賃金労働者を示す言葉ですが、日本のプロレタリア文学は自由競争への警鐘、共産主義あるいは社会主義的の主張が交じることが多いので注意が必要ですね。 収録作は「蟹工船」と「一九二八・三・十五」の二作です。 各話の感想は以下の通り。 ・蟹工船 ... プロレタリア文学の代表的な作品です。 戦旗は三・一五事件がきっかけで作られた合同組織全日本無産者芸術連盟(ナップ)の機関紙として発行されました。 蟹工船は戦旗に連載された作品で、本作により日本中の低賃金労働者は決起し、戦旗はプロレタリアの旗手となりました。 また、本作がにより小林多喜二は後に不敬罪により起訴、投獄されることとなります。 内容は過激で、共産党賛歌がすぎると感じるところもありましたが、命さえも奪いかねない拷問のような労働環境の中、共産主義という夢のような制度に憧憬を抱くのは仕方ないと感じました。 漁獲したカニを缶詰にする蟹工船「博光丸」、オホーツクの極寒の海が舞台となっており、そこでは貧困層からかき集めた労働者に対し、非人道的な酷使がまかり通っています。 特定の主人公はおらず、その船の上での地獄のような有様が書かれた内容となっています。 脚気に侵されて動かない脚を動かし、凍傷で動かない指を動かして働く労働者を様は酷いの一言につきます。 今がどれだけ恵まれた状況であるか、ということを実感できる内容と思います。今が極楽であるというわけではありませんが。 なお、文体は独特で、ストーリーのつながりがぼやけていて、直前まで菊池寛や芥川龍之介を読んでいたこともあってか、思ったより読みやすくないと思います。 普段文学を読まない人が挑戦する場合は少し気合が必要と思います。 ・一九二八・三・十五 ... 三・一五事件を題材にした作品。本作も戦旗に連載されました。 題材が題材故に、無産政党や共産主義的な考えが表に出た内容でした。 ただ、共産主義運動家達をある晩、急に検束し、拷問にかけてゆく内容で、特に拷問シーンの比重が高く、読みにくい作品ではないように思います。 特高警察による、善良な市民への不当な拷問描写を克明に書いた本作は、当然、特高警察の怒りを買い、小林多喜二は警察に要注意人物として目をつけられることとなります。 本作も特定の主人公がいるわけではないですが、思想を持って活動をしている人々一人ひとりが主役であるような書き方になっていて、それぞれの人は活動家だが、それに至る生き方があり、生活があり、家族がある。 そんな人々を突然拘束し、目を覆うような酷い拷問にあわせる様が書かれていて、事件の告発という感じを強く受けました。 どれだけ忠実なのだろうか、と思うくらい、拷問描写はとにかく凄まじいです。 その後、小林多喜二自身も拷問死したことを思うと、そういう時代だったんだろうなあと思いました。
今の労働環境にも通じるところがある。本作中にでてくる台詞で、慣れこそが一番の弱点。既成概念を捨てろ!このフレーズが心の底まで鋭い矢になって突き刺さっている。
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蟹工船 一九二八・三・一五
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小林多喜二
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