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真夏の広島の街が、一瞬の閃光で死の街となる。累々たる屍の山。生きのび、河原で野宿する虚脱した人々。僕死にそうです、と言ってそのまま息絶える少年。原爆投下の瞬間と、街と村の直後の惨状を克明に記録して1度は占領軍により発禁となった幻の長篇「屍の街」。後遺症におびえ、狂気と妄想を孕んだ入院記「半人間」。被爆体験を記した大田洋子の“遺書”というべき代表作2篇。
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Posted by ブクログ
原民喜『夏の花』においては壊れる勢いと衝撃が強かったのに対し,『半人間』では壊れた後の持続がいくらか書かれている。『屍の街』では,「急激に拡張する現実」に対しある種の使命感に駆られて書いたような感じだろうか。
作者が強調する原爆の恐ろしさは、その破壊力や被爆だけはない。それは今までにない爆弾だった。人々の想像力を超えていた。そして突然の未知の力による破壊は、肉体のみならず人々の精神内部にまで及ぶ- まさに体験した者だけが言えることだが、原爆の最大の恐怖は、人々の気力を奪い去り、表情を消し、魂を蒼ざめさせ...続きを読むることだという。「じっさいは人も草木も一度に皆死んだのかと思うほど、気味悪い静寂さがおそったのだった」「裂傷や火傷もなく、けろりとしていた人が、ぞくぞくと死にはじめたのは、八月二十四日すぎからであった」 見渡す限りの焼け野原を見た喪失感、そして生存者が日をおいて発症して死んでいく、という不可解な死の恐怖が全編を占めている。 そして作者は、自分の魂と人々の心をここまで消失させ、死の恐怖におびえさせた原因についての思いを率直に書く-。 広島は国内の他都市が大きな被害を受けたなかで、8月まで大空襲を免れていた。それはなぜか?アメリカは世界最初の原爆の地として広島を残していただけの話ではないのか? そして、広島が爆撃を受けない理由を徹底的に調査し分析しなかった戦争責任者、知識人への激しい憎悪… 「その推理が主知的に処理されていたならば、広島の街々に…あれほどの死体をつまなくてすんだことと思える。」 ところで大田洋子は書くことによって、魂の亡失から抜け出し、自らを救済できたのだろうか? 作者のむける刃は、戦争というものに向かい、それに対して何もしようとしない無気力な人間に向かい、そして最後に、感情を狂わせ喪失させられた自分自身に向かい、自らを傷つけることで救いを得ようとしているように感じて、気になった。 (2008/8/6)
広島で被爆した作家の私小説。 原爆小説としては井伏鱒二の『黒い雨』などが有名だが、この作品は描写が淡々としていて悲惨さを感じない。 苦しいとか悲しいとか、そんな人間的な感情さえ、原爆という悪魔の兵器は破壊してしまったということがわかる。 現代人の目から見れば作家が見ている情景はまさに...続きを読む悲惨そのものだ。しかしそれを悲惨なものととらえることすらできず、まるで電車の窓から外の風景を眺めているかのような描写はどこまでも冷めている。 人間が痛みを感じることができなくなることほど深い病があるだろうか。 屍の街に書き記されている世界は、まさに痛みを痛いとも感じることのできない地獄で、戦争がもたらした麻痺の恐怖に読者は絶望するしかない。
原民喜とは対照的な仕方で、「屍の街」のありさまを凝視し、それをもたらしたものを突き止めようとする意志に貫かれた作品。併録された、生き残ることの苦しみと、苦しむ者たちに注がれる視線を内側から抉るように見据える「半人間」も印象深い。ただ、両者を貫く怒りのこもった意志は、被爆以前の大田においてそうだったよ...続きを読むうに、「日本」を語ることとあまりにも親和的である。
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