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「女も男と同じごと仕事しよったですばい」「どんなことにでも堂々とむかってやる,こい」.筑豊の炭鉱で働いた女性たちの声を聞き取り,その生き様を記録した一九六一年のデビュー作.意志と誇りを失わず,真っ暗な地の底で過酷な採炭労働に従事した彼女たちの逞しさが,生き生きと描かれている.(解説=水溜真由美)
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Posted by ブクログ
すごくいい本だと思う 日本の歴史のことが書かれてて でも残念なことに、昔の言葉と九州の方言で 意味が分からないことも多々… 現代風に書き換えてくれたら、もっと見やすいのに… 炭鉱で、採炭作業がまだ機械化される前の大正期頃の話 スラ(そり状の木箱)やセナ(竹の籠)に石炭を入れて地上へ運ぶ これを...続きを読む、ほぼ女の人がやってて 夫婦で炭鉱で働いて、採炭作業が終われば家事 その頃、旦那さんは飲みに行く… 夜中に子どもを保育園に預け、また夜の寝てる頃に迎えに行く… 子供の顔は寝顔しか分からない 今じゃ考えられない でも、それが当時は普通 14歳で炭鉱で働いたり 学校は行かなかったり 戸籍はなかったり 何者か分からないものが働いてたり すごい世界と感じた 坑内で、亡くなる人の亡くなり方が スラに轢かれたり… 人がやっと1人通れるような暗い道を1人通る怖さは想像を絶する…
米原万里の紹介本である。明治大正昭和の炭鉱で女性がどのように穴に入って働き生活してきたかを聞き書きでかいたものである。1つの話のあとに森崎の説明が入っているが、必要であろうか。 女工夫についての本はほとんどないので貴重である。
衝撃の一冊。 おばあさんたちによって、炭鉱での仕事と生活が平易な言葉で語られるけれど、人間とは、歴史とは、労働とは、女性とは、産業とは、と色々な観点で考えさせられる。後を引くおもしろさ。かつ、私の人生を変える予感。 祖母と同じ語り口。祖母から話を聞いているような、あたたかい気持ちになる。 ○ま...続きを読むず、女性がこんなにワイルドで強かったということに驚愕。これが私にとって一番力になる。私の中にもこれくらいの強さがあるのかもしれない、と思えることがこの本の希望。 ・偉そうなむかつく男を女子グループで手足を縛って袋叩きにして暗闇に放置してあやまらせる。 ・先山となってマイトをうまくしかけて石炭を掘り男たちからも尊敬される。 ・神を信じず、迷信に囚われず、自分の意思で物事を決める。 ・月のさわりでも休めず、草履でも新聞紙でも突っ込んで仕事。 ○彼女たちの恋愛事情もシンプル ・いい仕事ができる、いい先山に惚れる。そうせな生きていけん。組んで仕事しよったら情が移る。 ・(坑内で)やらんではおれん ・子持ちでも若い男とけつわれ ○不条理や恐怖に耐え抜く ・親の借金のかたに突然結婚 ・貧しくて教育を受けられない ・事故死 ・極貧、そのひぐらし ・制圧 ・競争 ・女性の入山禁止 ・男より安い賃金
ユリイカ2022年7月号、「スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチ」特集での、佐藤泉氏による寄稿、 「とばりの向こうの声を集める」のなかで、聞き書きの代表的書き手として、森崎和江氏が、そしてこの「まっくら」が紹介されており、読むに至った。 明治期後半から昭和初期の、女性坑夫からの聞き書きで構成されたこ...続きを読むの本は、1961年に発行されている。その当時、まだかろうじて残っていた福岡県筑豊炭坑住宅に著書自らが暮らし、聞き取ったもの。 森崎は当時の女性としては最高とも言える教育を受けて育って、しかしその中で触れるたくさんの文字、書かれた言葉中の日本人は、「もう結構だった」と言う。 「文字に縁なく、そんなものを無視して暮らす人びとは、新しい泉に思えた。私は救われたかった。」と。 記された10人の、かつての女坑夫である老女の話す言葉は、訛りもそのままに生々しく、読み手をも焼き滅ぼすようにこちらに向かってまっすぐに向かってくる。 たいていの坑夫は、流れ着いてまた流れて、を繰り返すようで、戸籍のない人も多い。その日の炭の取れ高により、米や金券のようなもので交換される。そこから納屋代や道具代なども差し引かれると、手元には何も残らない。ほとんどの人がその日暮らしだ。夜暗いうちから地底に降りて、這うように炭を掘り、外へ出る頃にはもう真っ暗。 「黒雲天井たい。数えの十四たい。十四の歳から坑内にさがった。そして二十二の歳まで、わたしは青空天井とは縁が切れた。」 印象的だったのは、「生活のぜんぶが、人間的なものの抹殺であるようなぎりぎりの場」では、実体験として、信仰や信心は「ないがよか」と悟る坑夫の話。 赤不浄(生理中)は坑内に入るな、山の神さまは女だからとか、坑内での様々なタブー。 しかし、おがみやと呼ばれる年寄りに彼女の母親が無事かと聞いても、地下で働く者の安否は見えないのだという。 ならば、「ないがよか」と。 「神さんも地の下ににんげんが入ると、生きとっても生きとらんのと同じことげなばい。神さんにも。」 「信心は、これは地の上のことばい。神も仏も、これは地の上のことばい。」 生理中だろうと、出産したすぐ後だろうと、今働かなければ食べられないというギリギリの状態で、十七の歳に彼女はそうして信心を捨てる。切ないを超えている。 それを涙を流して話す姿から透けて見えるものを、今までずっと言葉にならなかった言葉を、引き出していく。 巻末の解説に書いてあるが、1928年には、国際労働条約の締結に伴い、女性の坑内労働は原則禁止になる。 「男は仕事、女は家事」という性分業の先駆けとも見えるが、女坑夫達の気持ちは違った。 もちろん辛い仕事だが、そこにはあまり男女の優劣が無かった。坑内では男女は対等であり、先山(先に掘り進める者。主に男)と後山(掘った炭を集めて函に入れ運ぶ。主に女。親子の場合先山が親)は、どちらが楽ということはなく、男も女も同じように働く。炭鉱によっては、男女差の無い賃金のところもあったようだ。 女はより能力の高い先山を求めて男を変えることもある。 そのような生き方の中にある「始点」というような得体の知れない感動。 しかし大きな物語の中でそれらの小さな感動は言葉をもたず封印され、(書かれた)当時の近代的価値観により、進化による性分業とみなされてしまったと森崎は訴える。 そのような森崎の視点は、インテリジェンス(しばしば大きな物語目線になりがちな)が無ければ得られないものだが、その側からは語られない。その場所に居る人に聞くことでしか封印は破られないし、それを公共の言説空間に現出させることは森崎側にしか出来ない。 だからこそ、森崎は 「心を無にして、相手の思いの核心に耳を澄ます」という方法で挑んだ。 私はそれを両側から受け取る。 西欧社会にはパロール(話し言葉)本意主義があり、パロールはエクリチュール(書き言葉)に先行するという哲学的思考がある。 デリダはこれに異を唱え、二項対立の脱構築を試みるのだが、 先に紹介した佐藤泉氏の寄稿には、 「ロゴスの世界にアクセスできるのは、話し言葉ではなく書き言葉のみだからだ。」 とある。 ならば聞き書きとは、より一層真理の方へ、下へ下へ、向かうのではないか。 両側から受け取った今、そう思う。 書かれた時代と現代で比べれば、森崎の考え方の遅れも感じる。女性が男性と同じように働くのが平等では必ずしもないし、家庭に収まる女性にどこか攻撃的な部分、冷ややかな書き方もチラと感じられるからまるごと共感は出来ないが、 「それは確かにあった」という前提で聞いた、その地の裂け目からの声を私もまた聞いたように読んだ。 それはかつての女坑夫達への何にも代え難い鎮魂になるのではないのか、と思う。 語ることもなく死んでいった彼女達への。
あまりの面白さに一気に読んでしまった。聞き書きの部分は宮本常一の『土佐源氏』を彷彿とさせるオーラル・ヒストリーであり、こういう形で残さなければ世の中に伝わらなかったであろう地の底の声である。かたや著者の感想としての文章は、読みながら受け取った感想とは全く異なる視点のものもあり、やや違和感が募った。
一昔前福岡に勤務していて、炭鉱自体はとうの昔に閉山していたが、ボタ山や炭鉱跡を見たり、上野英信の『追われゆく坑夫たち』、山本作兵衛の画文集などを読んだりして、多少の知識は持っていたつもりだった。 今回本書を読んで、聞き書きという形で語られる、かつて炭坑で働いていた女性たちの、それぞれの人生を語...続きを読むる生々しい肉声を読んで、死と隣り合わせの労働の厳しさや、男何するものぞとの逞しさなど、いろいろなことを感じさせられた。 お天道さまの見える地の上と真っ暗な地の下、農業に従事する者からの差別、地上に上がっても男と違い、家事や育児をしなければならない生活、今では考えられないような生活をしていた人たちが大勢いた訳だ。 各人の聞き書きの後に、話者からの話を聞いた著者の感懐がそれぞれ綴られる。良く分かるものもあれば、どうしてこのように著者は感じたのだろうと疑問に思うものもあった。直接接した人が感得し得たことなのだろうか、それとも時代が隔たり過ぎた故なのだろうか。
九州の女炭鉱夫への聞き取り本。 インタビューのまま強烈な方言で書かれており、読みにくいがその分、生々しく体験が伝わる。 炭鉱は暗く、狭く、陰鬱な恐怖の場所である。ガスへの引火、落盤、トロッコの暴走でいとも簡単に人が死ぬ。 そのような環境だからこそ、暗闇で蝋燭がひときわ輝くような強烈な生命の発露がイン...続きを読むタビューから感じ取れる。 作者の解説で、炭鉱労働は無くなる一方の労働であるというくだりがあった。採れば採るほど、炭は枯渇し、深くまで掘ることとなり、最後は鉱山が終わる。そこに発展はない。殖えることのない労働だ。 そのような労働に殖やす性である女性が身を捧げるちぐはぐさ、それも作者がこの本で伝えたいことではなかろうか。
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まっくら 女坑夫からの聞き書き
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