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受刑者が互いの体験に耳を傾け,本音で語りあう.そんな更生プログラムをもつ男子刑務所がある.埋もれていた自身の傷に,言葉を与えようとする瞬間.償いとは何かを突きつける仲間の一言.取材期間一〇年超,日本で初めて「塀の中」の長期撮影を実現し,繊細なプロセスを見届けた著者がおくる,圧巻のノンフィクション.
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Posted by ブクログ
色々あり、この本や映画や刑務所の存在を知り読む。 書き方も入ってきやすく一日で読破。 映画は今後みる予定があり楽しみ。 ドキュメンタリー、受刑者たちの生々しい過去や凄絶な体験が綴られる。 誤った学習により自己防衛の知識技術を身に付けてきた受刑者たち 自分を守るのは自分しかいない、自分を守らなけれ...続きを読むばいけない状況が常にある。 そして他者攻撃につながる。 人が自分や他者を傷つけなくていいように、人には人が必要 良い方法で支えてくれる誰かが必要
映画を観てから読んだが、映画にはなかった性加害の話もあり、難しい問題だと改めて思った。 映画にも出てくる主人公らは、加害の前に多くの被害を受けていて、加害者になってしまったのは社会の責任も大きいと感じた。更生施設が、更生のための機能を果たしてくれないと…と改めて感じた。
衝撃的だ。犯罪者といえば忌むべき恐ろしい存在で厳しい懲罰と管理が必要だ、というのが固定観念だったことに驚かされる。本書を読むと、刑務所に収容されている受刑者こそ、世代間連鎖の被害者であり、社会的弱者であり、刑務官、弁護士、社会常識のほうが冷酷で無慈悲な悪だと感じ、映画の主人公たちに感情移入し、エール...続きを読むを送りたくなる。成熟した社会は、加害者をうみださないのだろうか。映画を見てみたい。
語ることで自分の感情を認識することを感識。それを理解出来ないことを感盲。自分の子供の頃から今までTCの様に他人と語り合って自分の感情を知るということをどれだけしただろうか? 親からの虐待、友人からのいじめ等が被害者の感情を押し潰し、あろうことかその辛い経験を自己防衛から自分の経験から抹消するも、その...続きを読む負の経験が連鎖し、被害者が加害者になり、また、今の刑罰制度が懲罰の下にある意味、加害者への加害行為をしてしまう実態があること。 被害者の立場から加害者に懲罰を求める感情は、自然な感情であろうと思うが、加害者が加害行為をした背景に踏み込み、思いを至らすと別の処罰の文化があり得るべきとの本書の主張も理解出来る面がある。 戦争での加害、被害も同じ面があるのではないだろうか。色々新たな気づきがありました。
7/22 今日読み始めたばかり。プロローグ終わって一章駆け出しのところ。まずはじめの問い「傍観者とは?」 私は「この人に対しては私は傍観者」「でもこの人はnot傍観者」のように人によって使い分けていると思った。例えば電車の中で見るマナーの悪い人、傘の持ち方が悪い人、そんな人にいちいち立ち止まって声か...続きを読むけて注意して……なんてやってられない。別に一瞬すれ違った人が自分に危害を加えなければどんな行動をしても関係ない、そう思う。これは完全に傍観者 次に私の家族が、友達が同じことをやっていたら私は絶対に注意すると思う。 こうやって自分の身の回りにいない人に対して傍観者が増えた結果が「沈黙」なのだとも思う。 でも私はこうも思う。いままでどのように生きてきたかもわからない、数秒前に会った人に急に注意をされたら果たしてアッサリそうなのですね。と引き下がる人は何人いるのだろうか。電車内で喫煙をしている人に対して注意をした男子高校生が重傷を負った事件もある。 自分の身は自分で守る。そのために当たり障りのいいことしか言わない「沈黙の人」が多いのではないだろうかしら。 現代の人はインプットに忙しく物事をよく考えることをしなくなったと思う。 7/26 怒りで解決しようとすること。怒りで空気を変えて相手の出方を変えようとすること。 犯罪を犯した人だけではなく周りに結構いると思う そう考えると犯罪を犯した人も私たちとはよほど変わらないのかしら 7/29 周りに頼れる人がいないこと、自分を受け止めてくれる人がいないこと。それが犯罪に後々繋がっていくんだな。 実際に毎日逮捕が続いてて虐待や殺人、詐欺など今まではたまたま被害者になってなかっただけで次は自分かも。 加害者を減らしたいけどどうしたらいいか分からない
表題作の映画が公開されたらしいことは何となく知っていた。今年になって本書が刊行されて、ああ『ライファーズ』の坂上さんか、と気づき読んでみることに。(『ライファーズ』を読んだのは4、5年前かなあ、と思いながら本棚を検索したら…もう10年近くも前だった!びっくり。最近、時間の感覚が実際より短いことが多く...続きを読むて…分母となる時間が伸びたせいかなとやや自虐的に思い返しつつ。汗) 昨日、刑法が115年前に制定されて以来、初めての改正案が成立したらしい(正確には、成立の見通し、だったか)。懲罰ではなく更生を軸にするという。私個人としては、ようやく、という思い。SNSなどでは、何かと自己責任、犯罪には厳罰化の声が多いように思うが、はっきり言ってそれでは効果がないことは、様々な検証からほぼ間違いないといわれている。再犯してしまう人の多くが、出所後の支援がほとんどないために社会から排除されてしまい、社会での受け皿がないことが再犯に走る大きな原因である。そのことが社会に浸透していない。犯罪を防ぎたければ、社会で彼らを受け入れる土壌、意識、包摂の文化が不可欠なのだ。加害者に税金を使う前に被害者救済だろ、という向きもあるが、もちろん加害者の更生に向けた施策と同時に、あまりに希薄な被害者救済の手立ても進めていく必要もあるだろう。加害者がいれば被害者もいるのだから、どちらにも手を差し伸べなければ、本当の意味での問題解決には至らない。 そのためのひとつの方法として、修復的司法の取り組みがあると思うが、思いがけず、そこに話が広がっていた。以前から興味を持ち書籍などをあたっていたが、海外では1970年代から取り入れられている手法という記述が本作中にあった。30年くらいの歴史があるものと思っていたが、そんなに以前からある考え方だったとは。死刑制度の存続を支持する人が多かったり、自己責任論、厳罰化の流れが強い日本がいかに遅れているかを改めて痛感する。 今は包摂の時代。共生、多様性を実現したいなら、過度の自己責任論、個人への責任の押し付けは排除を生むだけだと、皆が理解しなければならない。 本書に登場する「犯罪者」たちが、犯した罪と向き合い、自分自身と向き合って、彼らが経験できてこなかった「人とのつながりの中で、自分も相手も尊重しあう」体験は、彼らを生き直させる。更生し人として成長し「被害者」や「被害者家族」からも応援され、社会で役割をもって暮らしている姿に涙がとまらなかった。 すべての人が同じように変われないかもしれないが、変われる人もいるのなら、それは取り組む価値がある。結局は、彼らの更生は、私たち社会に返ってくる。 みんながそう思えるように、社会が包摂の概念を受け入れられるように、地道に進んでいくしかないのかもしれない。 筆者によると、施設での職員の入れ替わりに伴って、島根あさひでの取り組みは本作が書かれたころに比べて、活動の様相が変化して弱くなっているらしい。なんとも残念なことだ。ぜひとも続いていってほしいし、ほかの更生施設でも取り入れてほしいと切に願う。 そして本作を通して強く思ったのは「話す」ことと「話を聞いてもらう」こと、対話の持つ力だ。修復的司法や精神療法としてのオープンダイアローグ、メンタライゼーションや依存症の自助グループの活動、そしてこの島根あさひでの取り組みなど、やり方の多少の違いこそあれ、対話が人を癒し対話が人を変化させている。ベースとなるところはどれも同じで、そのどれもが、人の中でその人がそのまま受け止められることで、人を癒しているということ。 つまるところ、実はその人自身にはちゃんと回復する力があって、その力を引き出すのは、その人を丸ごと受け止めてくれる誰か、なんだよなあ。 犯罪や精神疾患に限らず、虐待だったりDVだったり生活困窮だったり、社会の中にある解決すべき課題は、どこかの時点で、その中の誰かが、人とのつながりの中に入ることができたら、きっと何かが変わるはずなのに。 社会的な孤立や排除は、社会の問題を弱者に押しつけているにすぎない。人は人の中でしか癒されない。
「サンクチュアリ」 「自己開示」 「対話」 「自己責任」 「厳罰化」 「加害者と被害者」 「理念と現実」 自己開示なんて、僕にはとても難しい話。だけど、どこかでそれを求めている自分もいる。ネットの世界では、自分の考えていることを「本音のように」話すことはそれほど難しくなくできるのだろうけど、現実に...続きを読むは「本音のように」話すこともままならない。 自分を受け入れてくれる場所、仲間、環境。サンクチュアリをつくっていくのは誰なのだろうか。 話の舞台は「塀の中」だが、世の中の至る所で、サンクチュアリを求める人はたくさんいるんだろうな。 涙が溢れそうになっては、乾き。 感情が高ぶっては、低まる。 自分の思いがぐちゃぐちゃになっては、整頓されていく。 本では掴み取れなかった主人公たちの想いに、もっともっと触れたい。 映画が観たい。
怒涛の5冊買いの3冊目は、プリズン・サークルです。 私たちもまた、泣いているあの子を見捨てた加害者のひとりではなかったか?人はひとりでは罪に向き合えないのです。 埋もれていた自身の傷に言葉を与えようとする瞬間、償いとは何かを突きつける仲間の一言。圧巻のノンフィクションです。
2008年に「新しい刑務所」として開所された「島根あさひ社会復帰促進センター」で行われているTC(回復共同体)という更生プログラム。それは、受刑者同士が互いの話に耳を傾け本音で話し合いながら罪と向き合う。 日本で初めて刑務所内での長期撮影を行った模様が映画化された『プリズン・サークル』(坂上香監督)...続きを読むの書籍版。映画で登場した彼らの「その後」を知れ、罪とは、罰とは、更生とは何か?ということを問いかけてくる。昨年、映画を見ましたがその衝撃が大きく、このように書籍化され冷静に自分自身に向き合えました。
とても面白い。 もちろん全員ではないが、自分の犯した罪に対して罪悪感がない受刑者って一定数いるんだろうなと思った。 本書でも「なんで悪いのかわからない」とか「なんで自分ばっかりこんな目に遭わないといけないの」とか言ってる人何人もいて驚いた。 だって彼らは公判でも反省していますと言ったり反省文書い...続きを読むたりする。 でも、やっぱほんとはそうでもないんだと驚いたし、 そのリアルな内心を拾えたことが本書のまず大きな成果だと思う。 受刑者たちは幼少期に虐待やいじめなどの経験がある子も多く、生きづらさを抱えている人が大概であるから、被害者意識の方が強いというのも興味深い。 そして自分と向き合って自己憐憫を認めてその原因を考えてそれを取り除いた上で初めて、罪悪感をもち反省する気持ちが芽生える、ということもよくわかった。 私たちは反射的に「悪いことしたら反省しろよ」と思ってしまうが、それは実は途方もなく長いプロセスが必要なんだな。 罰としての刑務作業ではなく、罪悪感を持ち反省に至るような思考のプロセスを形成できるトレーニングを提供しないと、絶対にまた再犯するだろうしこの世から犯罪はなくならないと強く思う。 来年の拘禁刑導入を機に、刑罰の形が良い方向に変わるといいな。
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