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厳父の家業失敗により、著者は11歳で実社会に抛り出された。以来、印章店の小僧、印刷工、給仕、小間物の行商、港の船具工など、幾多の職業を経験し、浮世の辛酸をなめ尽す。幼いながら一家の大黒柱としての自覚、また逆境に芽生える思慕の情、隆盛期の横浜が少年の著者に投げかけた強い色彩――その波瀾に富んだ少年期を回想した自叙伝であり、吉川文学の原点でもある。
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Posted by ブクログ
『三国志』や『宮本武蔵』などの国民的大衆小説でお馴染の吉川英治氏の自叙伝。 学生時代に『三国志』と『新平家物語』を半年がかりで読んだ。思えば自分が本好きになったのはこの頃からで、その後、『私本太平記』を読み、『平将門』『源頼朝』『上杉謙信』と読んだ。意識していなくても、おそらく自分は吉川英治氏の...続きを読む史観の影響を受けている。そんなこともあり、手にとってみた。 この本を読むまでは、とても厳格で、間違ったことが大嫌いな人格者、ちょっと堅物、というイメージが自分のなかにあったが、実際はそんなことはなく、間違いもすれば、悩み、落ち込みもする、いたって普通の人だった。 子供のころは父の事業が好調で、おぼっちゃまのように育ち、嫌味なこともするし、高飛車なところもあった。女中を蔑み手をあげたとき、「おぼっちゃまもいつかしっぺ返しをくらいますよ」と言われた。その言葉通り、父が事業に失敗してからは、一転貧乏のどん底に落ち、弱気になったり、卑屈になったり、で大変な苦労をしたようだ。丁稚奉公に出された妹が死んで深い悲しみも味わっている。作家になるような素養なんか微塵も感じない。 父親の独善に生涯母親は耐え忍んだようだ。今なら即離婚でも明治では無理な話で、かわいそうになってくる。でも父が悪いのかというと、この当時の男は、たぶんみんなこんななんだろうとも思う。日本全体が貧乏だった時代だから、過酷な競争社会で、人を蹴落としてでも勝ちにいった。プライドを失った男の悲哀が父親の人生には以後ずっとつきまとう。 母親は「お前たちがいなかったらと考えることが何度もあった」と言う。自殺を何度も考えるほど追い込まれたのに、それでも耐えて、子どもたちを育てた母の愛情は深い。 氏は青年時代、横浜のドックヤードで働いていたときに、高所から落ちて大けがを負う。それも同僚の不手際が原因なのに、生死の境から帰還したときも、その同僚は笑ってごまかし責任は感じていなかった。命の軽い時代だ。 明治に生きた家族の物語として十分に楽しめると思う。生きることが当たり前ではなく、必死にならないと生きることができなった時代だったのだと思う。 氏は『上杉謙信』の中で、「死中生あり、生中生なし」という言葉を謙信に語らせている。謙信の言葉ではあるけれども、氏が自らの人生の中で得た言葉のようにも思う。
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