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これはわたしの犬《むすめ》。 もし何かしたら、殺してやる。 この世から忘れ去られた海辺の寒村。子どもをあきらめたひとりの女が、もらい受けた一匹の雌犬を娘の代わりに溺愛することから、奇妙で濃密な愛憎劇《トロピカル・ゴシック》が幕を開ける…… 人間と自然の愛と暴力を無駄のない文体で容赦なく描き切り、世界15か国以上で翻訳され物議をかもしたスペイン語圏屈指の実力派作家による問題作が、ついに邦訳!!
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Posted by ブクログ
面白いとか心震えるとかじゃない、「私がいる」と思った。 女であること以外に共通点のないダマリスが抱えるものを私は知っている。 根源的な母性の暴力性と濃密な南米の自然の描写はあまりにも似ていて、自分が子供の頃から振りまわされ持て余し恐れていた「これ」はまさしくこのジャングルであり母性。
コロンビアの海辺の村で邸宅の管理人をしているダマリスは、近所からもらった雌の子犬を飼い始める。ダマリスは不妊治療の末に子どもを諦めた過去をもち、子犬の成長に慰めを感じて溺愛するが、いつしか思い通りにならない犬への愛が歪んでいく。トラウマを持つ中年女性と雌犬の愛憎関係を乾いた筆致で描く。 なんだか...続きを読む雌犬づいている。女性と雌犬の奇妙な依存関係が印象的な物語を読むのは今年に入って3作目。レベッカ・ブラウンの『犬たち』、ホセ・ドノソの「散歩」、そしてこの『雌犬』だ。もちろん本書は最初からタイトルに引力を感じて手に取った。 『犬たち』は幻想の雌犬が増殖し、深い孤独を抱えた主人公の心を苛む話。「散歩」は弟と甥の"子育て"を終えた女性が野良の雌犬と出会い、それまでの人生からするりと抜けだしていく話だった。この二作における犬はとてもシンボリックな存在だったが、本書のチルリは違う。最初から最後までリアルな動物の犬であってそれ以上でも以下でもない。その描き方が非常にドライなのである。 その犬らしい犬でしかないチルリをダマリスは娘代わりにしてしまう。それが歪みの始まり。ダマリスはずっと夫がチルリをいじめるんじゃないかと心配しているけれど、ロヘリオのほうが犬をしっかり犬として取り扱い、人間に期待するような見返りを求めてはいけないとわかっている。 不妊治療に関してもロヘリオが不実だったというわけではなく、ただ決定的な場面で男尊女卑的な価値観からモラハラじみた発言をしてダマリスを傷つけてしまう。ロヘリオが妻の苦しみを顧みないただのクズ夫だとは言えないから苦しい。(不妊治療のエキスパートが魔術師や祈祷師なのはコロンビアあるあるなのか、夫妻が追い詰められていることを意味するのかどっちだろう) そもそもダマリスの出生事情が複雑だったり、夫妻が住み込みで管理している邸宅が昔死なせてしまった友人の家だったりして、読み進めるほどに彼女が八方塞がりの人生でプレッシャーと闘いながら今に辿り着いたことがわかってくる。子が欲しいという強烈な願いは私にはわからないけれど、ダマリスは実際に子どもが産まれてもその子を通して世界に認められたい、受け入れられたいという思いが強すぎて規範を押し付けてしまったかもしれない。チルリは容易く脱走を繰り返しては子を孕んでダマリスのコンプレックスを刺激し、その苛立ちはやがて暴力に発展する。 この小説は終わり方がすごい。それこそ崖から突き落とされたかのような幕切れに虚を突かれた。とにかく全ての設定がダマリスから逃げ場を周到に奪い、彼女を追い込む。本当は生きたチルリと一緒にジャングルに逃げてしまえばよかったんだと思う。自己規制に苦しめられる主人公像がやっぱり『犬たち』に似ている。この作者は幻想的な書き方を一切しないけれど、終盤のダマリスは幻聴や幻覚を見ていても不思議ではない。 停滞した人間関係が一匹の犬の登場によって静かに狂っていく。犬はただ犬であるだけなのに、人はそこに意味を期待して勝手に裏切られた気分になる。庇護できるものへの愛はいつも生殺与奪権と表裏一体だ。だが、本作が悲惨なだけの印象で終わらないのはこの圧倒的にドライな文体のせいだろう。乾いているがマッチョではない、極限の女性を描くために研ぎ澄ました文体が見事だった。
シンプルな話である。飼っている犬を最初は溺愛していたが、次第に憎しみがつのり、殺してしまうという話。コロンビアの女性作家。舞台は交通の便などで近代化されていなく、ほぼジャングルのような場所のよう。こういうテーマは時代、場所、人間の立場、心情など関係なく、誰もが共感できるテーマであり、故に作者の技量が...続きを読む真に試される作品だと思う。愛と憎しみは同じものであって、その日の天気のように表情を帰るだけだと自分は思っている。対動物では人に対して使用する「考え方の違い」などが通用しないのでシビアだ。
コロンビア奥地の寒村。 ジャングルの湿り気と主人公の渇きの対比がなんとも素晴らしく苦しい作品。 特に犬との関係が悪くなってからの女性の感情や行動は、恐怖と悲しさの入り混じったサスペンスみたいに、ぐんと胸にせまる。 雨。ジャングルの臭い。貧しい生活。汚れ。匂い。 湿度や匂いまでも感じるような表現がまる...続きを読むで映画のようだった。
南米の貧しい村に住む女性の話。 不妊からのコンプレックスで心を病みかけた彼女が一匹の雌犬をもらって溺愛しつつ育てる。しかしその犬がある日姿を消し、帰ってきたら妊娠していたことから歯車が狂いだす。 純文っぽい重苦しい展開と読ませる文章。あんまり普段こういうの読まないんですが、たまに読むと悪くないです...続きを読む。犬に対する愛憎半ばする主人公ダマリスの感情の動きが読んでる側にも伝わってきます。 非常に興味深い話ではあるんですが、読んでいて心地よい気分になるようなものではないものですね。純文学って全体的にそういう印象。まあ勝手な思い込みです。
可愛い愛しいだけでは決して済まない、犬との関係。愛と憎しみは常にセットだし、常に内包しあうな、と思う。
動物好きな人はご用心かも。 重たすぎる愛は憎しみに変わるとき、暴力を伴う。 ダマリスはずっと子どもが欲しかったから夫のロヘリオと努力したけどとうとう子どもは出来なかった。 ロヘリオも若い頃は協力的で薬草を一緒に摘んで薬を作ったり、怪しい民間療法をうけたりしていたけれど今はもうそんなことは遠い話にな...続きを読むってしまっている。 もう、40歳になってしまいロヘリオとは生活は共にしているが愛情はあるのかないのかよくわからない。 家族になりきれなかったように、きっとふたりとも考えていそうと思った。 海岸で死んでいたエロディアさんの犬の子を衝動的にもらい受ける。雌犬だ。 雌犬に女の子が産まれたらつけようと思っていた名前を与える。 チルリ、と。 その事を無神経な従姉妹にからかわれたりする。 そんな風にしてダマリスには憎しみが少しずつ蓄積していっていたのではないかと思った。 誰もが当たり前に子どもを産めるわけじゃないのに無神経な従姉妹やまわりのことばにダマリスがどれだけ傷ついたか分かる。 でもダマリスは何も言わない。 チルリと名付けた雌の子犬に親の愛情を注ぎ続けただけだ。 犬は人ではないのに。 手痛い裏切りにあうのに。 雌犬はロヘリオの犬たちとともに家出をし、ジャングルへ消える。 必死で探し諦めたときに帰ってくる。 しかも妊娠して。 ダマリスは裏切られたと思ってしまった。 憎しみの塊が雌犬に向けられてからが怒涛の展開になる。 犬は思うようにはならないし、人生もたぶん同じだから、どこかであきらめてしまう。 この世から忘れ去られた海辺の寒村では失くしたものから立ち直ることが難しい。 だから、ダマリスはどこへも通じない世界の終わりの、ジャングルに足を踏み入れるしかないのかもしれない。 このあと、ダマリスがどうなったのか、めちゃくちゃ聞きに行きたい気持ち。
特段心揺さぶられることなく読み進めていたが、最後ガツンと頭を殴られたかのような衝撃があった。 読み終わってじわじわくる雌の怖さ。自然と人間の生々しい部分が詰まった作品だった。 可愛がっていた犬を邪険に扱うようになるなんてひどい!と思いつつ、相手が思い通りに動いてくれない時に起きる苛立ちは私の中に...続きを読むも存在するし、子供を産めない自分が、望まずとも子供を身籠る犬を憎らしく思うというのも、想像のつく感情だと思った。 生き物を殺める行為は何時も非難の対象だけれど、それは全て悪なのか、その背景やその後の影響にも問いを投げかけられていたように思った。(それとも単に自己を正当化しようとする心理がダマリスに働いていただけか?)雌犬が死ななかったら、ある種自分と同じような寂しい思いをする子供たちが増える、自分になんらかの被害が及ぶかもしれない。 子供は親を選べない。親もまた子供を選べない。 彼女が自分の子供を産んでいたら、どうなっていたのだろう。
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