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元・書店員の一香は、古い洋館の家事手伝いのアルバイトを始める。そこでは調香師の小川朔が、幼馴染の探偵・新城とともに、客の望む「香り」を作っていた。人並み外れた嗅覚を持ち、鼻で、相手の行動パターンや健康状態を一瞬にして嗅ぎ分ける朔は、どんな香りでも作り出すことができ、それゆえ風変わりな依頼が次々と届けられる。だが、一香は朔の近くにいるうちに、彼が天才的嗅覚を持つがゆえに深い孤独を抱えていることに気づきはじめる……。直木賞作家が紡ぎだす「香り」にまつわるドラマティックな長編小説。第6回渡辺淳一文学賞受賞作。
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Posted by ブクログ
「ページをめくるたび、文字の奥から微かな香りが立ち上ってくる。もともと言葉とは遠い場所にあるはずの、姿を持たない、香り、と名付けられた空気の揺らめきが、文字を追う視覚よりもずっと繊細に伝わってくる。言葉の意味を越えて、嗅覚が際立つという稀有な体験をさせてくれる小説である」まさにその通りだと思った。
読み進めていくうちに心の奥深くから沸々と湧き上がる感情があった。興奮でも悲しみでも何かに強い共感があったわけでもない。ただ、沸々と。感情に名前がつけられなかった。すごく不思議だ。
感動したわけでもない。悲しんだわけでもない。ただ小説の中の人物たちに流れる時間はしごくゆっくりで、かなり落ち着き、シンとした空気が流れているが、その様子を1番近いところで見届けたい、ページをめくる手が止まらない。そんな感情だ。
それでも香りだけは1ページ目から最後の1行まで鮮明に感じ取ることができた。嗅いだことのない香りもあるはずなのになぜかわかるような気がした。それが妙に心地よかった。
それはもしかすると、私自身が日常生活の中で香りを頼りに生きているからなのかもしれないと感じた。柔軟剤を嗅げば何歳の時に使用して、どんな出来事があったのか全て鮮明にフラッシュバックしてくる。顔は思い出せななくても、人の行動や発した言葉、当時の感情、全て蘇ってくる。この小説の登場人物たちと同じように思い出したくないものまで。
柔軟剤だけではない。街中である口臭の人とすれ違えば私は自分の暗黒時代をフラッシュバックしてしまう。これは登場人物の一香と同じではないか?目を逸らし事実を受け入れきれていないのか?その人が何か言葉を紡ぐために口を開くたびにコーヒーと甘ったるいタバコの臭いが混ざったであろう腐ったコンポタージュのような匂いが漂ってくる。当時の私はほとんどの確率で鼻の空気の通り道を意図的に塞ぎ口から酸素を求めたものだ。決して気づかれることないよう。
もしかすると私自身も香りに執着して生きているのではないか?だから香水を好み、自ら良い思い出とお気に入りの香水とを選択して、己の海馬へ永遠の記憶として刻みこもうとしているのか?
それは果たして良い選択なのか?そもそも意図的にそのような行動をすることは悪なのか?
興奮を「昂奮」と記したり情景を想像しやすい香りの説明だったりと千早茜さんの書く文章はとにかく綺麗で澄んでいる。なぜか夏を描いていてもこの小説の中ではどこかひんやりした場所があって爽やかな風が通っている。私はそこが気に入ったのかもしれない。
また読もう。
Posted by ブクログ
香りをテーマにした物語だけど、文章からは色もよく感じ取れた。前半、とても静かな本だなと思っていたらちょうど中盤でガラッと雰囲気が変わり、本から香りと色が湧き立つように感じた。朔の紺色の声が本全体に静かに漂っていて、洋館での生活や出来事の香りと色がぽつぽつと浮き上がってくるようだった。朔の孤独と主人公の後悔が、決して忘れることのできないもので終わらずに静かに終われていく様が美しく、固い蕾が開くような変化だと思った。
変化は恐ろしく、変わらずにいることはとても心地よいぬるま湯だけれど、停滞を破るきっかけを掴んで少しずつ変わって生きていく。
2人を見守る周りの人達も温かく癒された。
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