先に読んだ内藤氏のイジメに関する著作と合わせて読むと、双方の限界点が見えてくる。
内藤氏は、あくまで学校という共同体を信奉する限り、いじめは深刻化するという。
森田氏は、学校という、社会性(市民性)を育む場の可能性について、言及している。
つまり、両者では学校に対するスタンスが180度違う
...続きを読むのだ。
森田氏は諸外国のいじめ対策について詳しく、そこから、傍観者と観衆を市民として育成した欧州各国の取り組みが功を奏していることについて記述は説得力がある。
しかし、短期的な視点、言い換えると、今、苦しんでいる子どもたちをどう励ますのか?という切実さは感じられない。
森田氏は政策的、教育的な視点に立ち、内藤氏は社会心理的な視点に依っている点から、お互いカバーできていない部分があることに気づく。
これらを比較検討して、両論を止揚していくことが、私の課題か。
自我の暴走をくい止め、個性が開花する公共空間の創造が求められている。