【大王製紙の歴史】
1950年に朝鮮戦争が起きると、焼け野原となった戦後日本に活を入れるかのような特需が起きた。
そして朝鮮戦争末期の 52年あたりから「三白景気」と呼ばれる好況が続いている。
紙・パルプ、セメント、砂糖という3つの「白」が一気に売れ始めたのだ。
「三白景気」に後押しされて大王製紙は
...続きを読む急伸張し、 56年には大証(大阪証券取引所)に上場、 57年には東証(東京証券取引所)に株式を上場している。
いわばベンチャー企業が、バブル景気の大波にうまく乗っかったようなものだ。
製紙業の最大の弱点は、膨大な設備投資を必要とする装置型産業だという点だった。
巨額の設備投資を回収するためには1年や 2年ではどうしようもない。 10年単位の経営戦略により、ようやく巨大設備の負債を回収したうえで利益を生み出していくことができる。巨額の設備投資と原料高が重なり、大王製紙は 62年に不渡りを出して倒産してしまった。
【大正製薬と永谷園のリーダーから学んだ経営哲学 】
もともと懇意にさせていただいていた大正製薬の大平明副社長と永谷園の永谷栄一郎社長と同じテーブルに。
「大正製薬の『リポビタン D』って、ものすごい量の CMが流れていますよね。広告宣伝費は売上のうち何%くらいかけているんですか」
2ケタに近い数字をかけているというのだ。「えーっ!? その数字って、ウチの製品の利益率をとっくに超えているじゃないですか。 CMみたいにパッと流れてパッと消えてしまうようなものに、よくそれだけのおカネを使えますね」 私がそう言うと、大平副社長と永谷社長は怪訝な顔をしてこう言った。「何を言ってるんだい。ブランドが残るじゃないか」
「僕らは 100億円単位の設備投資をしているわけですよ。年間の償却費が何十億円もかかるわけですが、形が残るものにおカネを投入する理屈はわかります。あとで形が何も残らない CMに何十億、何百億という予算をかける理由が理解できません。」
「こう言っちゃ悪いけれども、設備はおカネをかけたあとにしばらくは赤字を出すんじゃないの?
10年先も使えるかどうかわからない高い設備に何百億円もかけるほうが、我々から見たらビックリだよ」
大王製紙の経営者として、私は空虚な言葉だけの議論を徹底的に排除することにこだわった。
会議の席上、こんなことを言う人間がたまにいる。「コストを徹底的に削減し、営業部員との意思疎通、コミュニケーションを密にします」
こういう抽象的な言葉が飛び出したときには、私はすかさず具体性を問うようにしていた。
「『コストを徹底的に削減』って、どこのコストをいつまでにいくら削減するの?
『営業部員との意思疎通、コミュニケーションを密にする』って、メールを毎日 1通は必ず送るという意味? それとも週に 1回は必ず直接会って話をする?」
美麗な言葉を口にしてその場をごまかそうとする人間は、このような指摘をされると、とたんに言葉に詰まってしまう。
「コミュニケーションを密にする」など、何も言っていないに等しい。
「テレビ会議でもかまわないから、週に 2回は必ず開発部と営業部の会議を開く」といったように、具体案を述べなければ仕事は先へは進まないのだ。
私はいつも「 5 W 1 H」ならぬ「 5 W 2 H」を心がけていた。
「 5 W 1 H」とは「 when(いつ)」「 where(どこで)」「 who(誰が)」「 what(何を)」「 why(なぜ)」「 how(どのように)」を指す。
これに加え、私はもう一つの「 H」を重視していた。「 how many」もしくは「 how much」、つまりいくつ、いくらという具体的な数値だ。
問題は、結果が出なかったときに抽象論でお茶を濁すことだった。
すでに述べたように、大切なのは結果が良かろうが悪かろうが、自分の頭で考えて仕事をする姿勢だ。
芳しい結果が出なかったのであれば、担当の課長や部長と相談し、綿密にコミュニケーションを取りながらメソッドを修正していく。
今回の敗因をきっちり分析し、次につなげればいいだけの話だ。