現在の改修はもちろんだけれど、書に置き代えても、とても勉強になる。まったく無理がない。
以下引用
よい住宅というのは、形そのものよりも、その家自体に『たまり』というか、重心のある居住空間のある家のことだと思う
昨今のレクレーションにならないレジャーなおで身心をすりへらさずにすむような場を家庭生
...続きを読む活に与える
狭くてもデザインによって広さを感じさせられる
単純な部屋を造る、そうすればどういう風にでも飾れる
日本住宅というのは、庭がなかったら貧弱な空間になってしまう
だいたい住宅ではよほど特殊な場合を除いては天井はあまり明るくないほうがいいんじゃない?部屋がずっと落ち着いてくるから。部屋もちょっと暗めのほうが僕はいいと思うね。
住み心地のよい住宅、住み心地の悪い住宅、これらは、その中におかれる家具と強いつながりをもっている。家具の寸法と部屋の大きさとの関係、家具の位置関係
風景のいいところ、人のいくところは、必ず湖か川か海か、庭には池がある
水というのものは、人間の幸福に関係がある。それから光ね。僕は住宅なんかでは、やっぱり夜の楽しさと、昼の楽しさ両方がある方がいい
空間の快適さと物的快適さの中で光が占める役割の重要さというのは相当なもの。ぼくらが欲しいのは光であって照明器具ではない
人間生活に最も大切な精神面の近代化
周囲に収まるようにこう建てる
その地でみなければ結局はだめ
品格というのは、プロポーション
日本のものはサーカススタンス(生活環境)のなかでみなくては、そのよさがわからない。茶碗、お盆、、、
日本人は自分たちの色を見失っているのです。
照明を固定してしまうというのは、なんだかそれだけで限定されてしまう
とにかくあなたたちが見てエンジョイしたらいい
建築は詩である
建築というと皆さんは、石とか木とかいう物質から創造されると考えられるけれど、本当は純粋に空間なわけです。
ものをつくるときは、人間の直感というものが原動力。理論はいつでも一面しか考えられない
昔のものには建築に限らず品があった。やはり本当にいいもの、品のあるものには、必要なものだけで構成されていることが多い
日本建築の特色ー流動的な自由な空間をもつこと。純粋さ、誠実さ、
日本の建築では、建物の内部と外部とは一体のものとして考えられてきた。室内と庭との自由な交流、季節の移り変わりが室内に反映する
建築の誠実さー建物の目的を忠実に解決するということ。建築の造形を誇張しないこと。
形が複雑で重々しいものに価値があるというのは、ヨーロッパ的表現で、日本には日本の建築的表現がある
最近の日本の建築には品というもが欠けている
良い悪い、好き嫌いは別にして、その作品に品があるということは非常に大事、真に芸術的なものを一言で表現しようとすれば、『品』ということに尽きる
ディティールのよい住宅は気持ちのよいものであるが、形のみの追究に終止して、機能の追究がおろそかになり、よさが壊れる
機能に対する追及の努力の喪失が、きびしい美しさを失っていくひとつの原因
少ない材料で豊富な空間をつくるのが本当の建築の魅力
これは超一流ですという材料ばかりでつくった家に行くと、私はちっとも楽じゃない
近代建築は設備と一体のモノ
その材料のために金を使うということはしない。なるべく快適で我慢できる材料は何かという風に考える
精神的な影響
今の時代は、一般の人も良くない。
建築家でなければ建物のいい悪いは判らないと思っている。でも普通の人が見て、素直にいいと感じた者が本当にいいもの
建築ははじめに造形があるのではなく、はじめに人間の生活があり、心の豊かさを創り出すもの
協力してというより、住む人が注文してつくっていかなければ、これからの家は出来てこない
デザインが二義的なところからスタートしている。もっと基本的なことからスタートして、デザインをやってみれば、デザインにも新しい生命力が出てくるような気がする
住む人の心理的な面を考えないならば、それは建築ではなく、建物にすぎない
品がいいとかは、一流の素材だからとか金がかかったからということばかりでなく、プロポーションが大きく関係している
昔の日本のうちにいってみてなんとなくいいってことは、大切なことがちゃんと裏付けされているから良いんであって、さもなけりゃ、なんにもない日本間のインテリアなんてのは空しくて住めたものじゃない
とにかく要らないものはできるだけ省く、物も気持ちも
建築家はなんでも経験して豊富な生活感覚を持つこと
君の意見は、とすぐに聴く