世界に二人しかいないヴィオラ・アルタ奏者の平野氏がその幻の楽器との出会いから由緒を探してたどりつくまでの物語はさわやかに仕上がっている。残念ながら音楽に例えて表現する能力はない。
クラシックの道に進んだ平野氏は高校進学と同時に上京し、切れたヴァイオリンの弦を買うために有名な木下弦楽器店に飛び込んだ。その楽器はその頃から既にショーケースに並んでいたのだが何と気がつくのは20年後の2003年になってからで、店に来ていた男の子が「こんなに小さいチェロがあるよ」と声を上げたのがきっかけだった。木下氏によるとその楽器はアメリカのオークションを経て数十年前に木下弦楽器に船便で送られてきたもの。つまり、ハンドキャリーするような重要なものではないその他大勢だということだ。チェロとしては大変小さく、ヴィオラとすればあまりに大きい。裏板の長さは47センチ、ヴィオラの40センチ前後と比べると同じく顎にはさんで演奏すると弦の位置も遠くなり疲れやすい。最初に分かったのはこの楽器の名前Viola altaだけだった。
数日後に講演会で愛用のヴィオラとともに紹介すると長年練習してきたヴィオラと数日前に出会ったヴィオラ・アルタの演奏が同等の評価を得た。遅れてやってきた人は扉の外まで音がハッキリ聞こえたという。平野氏はヴィオラ・アルタに惚れ込み真実を探す旅が始まる。音楽大辞典には1872〜5年にドイツのヘルマン・リッターが考案したヴィオラの改造種でワーグナーやR・シュトラウスもこの楽器を賞したが大きすぎて一般化しなかったとあった。
先ずは専用のケースを探すがオーダーメイドにならざるを得ない。記憶を頼りにドイツ東部の町のケース工房に連絡を取ると昔一時期このケースをたくさん作ったという。また調べていくと数字が彫り込まれていてこの楽器はサイズを指定して大量生産された痕跡が浮かび上がってきた。そして製作当初は五弦の楽器だったこともわかった。ヴィオラのド・ソ・レ・ラとヴァイオリンのソ・レ・ラ・ミに対しヴィオラ・アルタは当初ド・ソ・レ・ラ・ミの音が当てられていたようなのだ。(四弦はヴィオラと合わせてある)
リッター教授のことも分かってくる。大きなサイズのヴィオラ作成に心血を注ぎ1876年に発表されたヴィオラ・アルタはワーグナーの興味を引き彼が主催するオーケストラに首席奏者として呼ばれた。後にはリストのサロンに呼ばれ競演をし、リストが作曲したヴィオラとピアノの協奏曲「忘れられたロマンス」にはヴィオラ・アルタの発明者、ヘルマン・リッター教授にと言う献辞がささげられている。この曲は実はヴィオラ・アルタのために作られたのではないのか?
平野氏の調査は続く。リッター博士の書いた書籍それこそ幻の「ヴィオラ・アルタ物語」はニューヨークの音楽関係のアンティークショップで見つかり、現物もサンフランシスコ、スイス(危うく使いにくいとネックを切られるところだった)で見つかった。そしてとうとうオーストリアのヴィオラ・アルタ奏者カール・スミスがviola altaと検索して平野氏がトップでヒットしたと連絡を入れてきた。
二人の楽器の音に対する表現がさすが音楽家と思わせる。
ヴァイオリン 細く輝かしい響き、小鳥のさえずり。
ヴィオラ 繊細さと荒々しさ、オーケストラでの音と音との隙間を埋める家庭的な紳士、夕日に向かって勝利を誓う馬上の騎士、濃く焼けた様な響き、鼻にかかった響き、くすんだ音。
ヴィオラ・アルタ 音が遠くから歩み寄る、ドイツ的で澄み切った発音、静かに湖面を滑り、優雅に羽ばたく白鳥、人の美しい歌声「ベルカント」の響き。
そして平野氏が感じたふたりで演奏したときに生まれるパイプオルガンの様な共鳴する膨らみ。この共鳴は計算されたものなのか?その答えは他の楽器全ての音を出せるというバイエルン地方バッサウの世界最大級のパイプオルガンに残っていた。
ここまで受け入れられたヴィオラ・アルタが完璧に歴史から姿を消したのはただ扱いにくいということだけなのか、有名なオーケストラでヴィオラ・アルタは体を害する怖れが有るという記述が見つかり、クロアチア人の平野氏のヴィオラの師匠も同様のことを口にしている。誰も口にしないがワーグナーによって「ドイツの正当性をになう」弦楽器と太鼓判を押されたことが不運だったのかも知れない。平野氏は日本人の自分が今この楽器を再発見したことに運命的なことを感じているように見える。ヴィオラ・アルタという「忘れられたロマンス」をもう一度思い出していい時期ではないかと。