「玉木宏の100番目の妻とかでも全然良いのだが…」と書かれたTwitterが少し前に話題になった。非モテより、イケメン俳優の妻になりたい。毎日じゃなくても良いから、定期的に構って貰えれば満足だと。ポリガミー的な視点であり、ポリアモリーとは異なる。つまり、複数女性によるハーレムが希望だが、別に、複数男
...続きを読む性は不要だと。
本著では、男性の視線の中で女性が女性を価値づけることの暴力性について、その視点から発生したと思われる、妾や愛人についてを探る。古来、妾は男性に所有される禽獣に近い賤隷として、日本では1882年に妾は法的に廃止されるまで、制度としても存在した。結婚自体が家の存続や政治関係から当人同士以外の意向による面もあった中、世継ぎの必要性からも認められた制度だった。
女性が偏見に晒され経済的弱者となり、仕方なく、性を商品化する構図は、経済的弱者となるスタート地点から是正する必要がある。教育格差や就労差別、出産や家事、育児の負担、表向きは差別がなくとも、そもそも肉体的、生理的に不利でもあるから、経済弱者になり易い。仕方なく、男性性に従わざるを得ない。これが是正された後、自らの意思で、玉木宏の愛人になりたいなら、またそれは別の話。消極的動機と積極的動機の二パターンがあるが、消極的動機の解消を進める際に積極的動機まで混同して否定しない事が重要だ。AV新法然り、だろうか。
女房の役割がその「日常性」にあるように、愛人の役割は「非日常性」にある。一夫一婦は夫の生産労働と妻の家庭内の再生産労働によって資本主義社会のシステムを稼働させる一つの単位とされた。このモデルが崩れ、妻による所得税も必要となり、女性活躍が叫ばれる。しかし、家庭内の仕事をしたい女だっているのだ。繰り返すが、積極的動機まで、一緒くたに議論しない事が重要だ。